第一章:<イチゴの花>と<追憶慈愛人形>(Ⅵ)
越えた…越えれたんだ!
僕は心の中で驚喜する。
手は震え、心拍数を上昇させながら下駄箱へと歩く。
今の自分に対して、誰もが訝しむことなんてない。
異端の目で見られることなんてない。
頭ではわかっているつもりではあるが、身体が、己が心底に刻まれた恐怖が、今もなお負の自分が自分を支配しようと、揺らめいてる。
廊下を歩くと聞こえてくるどこかの教室で話す女子の高い笑い声が、すれ違う人が話していることが、全部が怖い。
けれども、自分の足は動いてくれる。
誰かに背中を押されているような、支えられているような気がする。
教室の前に来て僕は深呼吸をする。
さあ、ドアを開けるぞ。と思い引き戸のドアノブに手を伸ばす。
だが、自分が開ける前にドアは開く。
目の前には奏兎が立っていた。
「っ!?」僕は驚き後ずさる。
「あ、良夜おはよう。おっとすまんな驚かせて。」と笑いながら言った。
奏兎の顔をみるなり、あの時のトラウマが僕を縛った。
身体が震え、声が出ない。
「どうした?寝ぼけてんのか?」そう言われ
「ぁ、お、おはよぅ…」とても元気のない声が出た。
その声を聴いた奏兎はもちろん心配し
「おいおい大丈夫かよ?具合悪いのか?学祭もあるんだから元気にしろって。」
笑顔で気遣ってくれた。
僕には奏兎の笑顔が恐怖だった。
どこか怒りを隠しているのではと思ってしまう。
自分でも、その思い込みは悪いことだとはわかっている。わかってはいる。
けど、人は一度みて、心に刻まれたことを簡単には否定できないのだ。
簡単に克服なんてできたら、引きこもりや自殺なんてこの世には存在しない。
そう。こうやって口で言うことなんて簡単だ。
けど、心が…
【背中に暖かい風が吹いた気がした。】
僕の顔は自然と前を向いた。
ーーいや、僕は決めたんだ。もう涙を流させないって。
信じろ。僕はもう二度と前みたいな惨めな終わりにはしない。
だから!俺はここから進むんだ!
あぁ、周りから見ればカッコよくなんてねぇよ!
ちっぽけでもいいよ!周りなんて知らねぇ。
全身が熱い。心臓の鼓動はうるさいほど刻まれている。
そうだ、これは俺自身の人生なんだ。偽物だろうが関係ない。
周りなんて気にしてたまるかよ!
ーーどこから吹いた風は、花の心地が良い香りがしたんだ。
そして、『カッコいいですよ良夜様。』と声が聴こえた気がした。
ーーその匂いはイチゴの様に甘く心は落ち着いていく。
肺に空気を溜め込む。
「あぁ、もちろん元気だとも。そういってるお前こそ体調に気をつけろよな。」
最後に笑顔も付けてそう言ってやった。
「もちろん。」そう奏兎は言い教室から出ていく。
僕は自分の席に着くなり、久しぶりに触る学校の机の感触を味わった。
かなりの奇行だが、こうでもしていない限り心臓が破裂しそうなのである。
先ほどの落ち着きは、奏兎と別れるとすぐにどこかへ消え去ってしまった。
さっきの奇跡のようなモノには殊更縋るつもりは無いが、あの落ち着きが恋しいという事実に間違いは無かった。
だが、それは甘えだということを悟り首を振る。
朝の会が始まる五分くらい前になると一斉にクラスメイトが教室に来る姿を懐かしく思う。
そして、同じくらいのタイミングで生徒会の未奈美も、先ほど出て行った奏兎も教室に入ってくる。
やはり、あの二人を見ると心臓が飛び跳ねる。
けど、もっと自分の心の奥に刻まれたモノがあることを悟った。
それは委員長、唯音の存在だった。
僕が最後に彼女を見たのは、血まみれで彼女のような綺麗な人には似合わない姿だった。
僕は彼女に対して恐怖を持っているのではない。
後悔だ。
彼女が救われたにしろ、後悔は消えない。
彼女にあの時のことを謝罪したい。
だけれども、今の彼女はそんな出来事を一ミリたりとも知らない。
どんなことをしても本当の意味での"知る"は不可能である。
一方的に謝罪することは可能である。けど、それは完全なる自己満足に過ぎない。
こうやってやり直す事はできている。けど、起きてしまった過去は変えられない。
僕という存在がいる限り"後悔"は消えないんだ。
もし、僕の行動が少しでも贖罪になるというのであればーー全力で応えてみせよう。
<10月9日 朝の会~>
「はい。いいですかぁ学祭は今週末からですので、しっかり準備してくださいねー。ですが、はっちゃけ過ぎて、勉強を疎かにしすぎるなよー?はい。じゃぁ号令。」
会が終わると共に二人が僕のところに向かって来る。
もちろん、奏兎と未奈美である。
「良夜。今日の仕事なにするの?」と未奈美が訊いてくる。
その質問に対して僕は、「えーっとー」と言いながら天井を見ると、奏兎が「俺と飾り付けの準備だ。」と答える。
あーそうだったと言わんばかりに僕は頷く。
未奈美はそっか。と呟くと「私は生徒会の仕事だけどお昼は食べに戻ってくるよ。」と言って微笑みながら教室を去っていった。
そして、俺は奏兎と席をくっ付けて作業を始めた。
どこか気まずいに似た雰囲気があり、僕は集中しようにもできずにいた。
そんな中、奏兎はなにか察したように「どうした。」と言う。
僕は、「いや。なんでも無い。」と流そうとした。
けど、僕は行動で報いると決めた。
だから、逃げずに話すことにしてみた。
「ちょっと気になったことがあるんだ。」
「なんだ?」作業を止め、そう訊いてくる。
「なぁ奏兎。お前さ好きな人でもいるか?」
俺は満面の笑みで奏兎に訊いてやった。




