プロローグ:<箱庭>と<追憶慈愛人形>
ここは誰の記憶にも残らずただ忘却されるだけの世界。
これは未来永劫語られるはずのない物語。
でも、それは今までの話。
当たり一面に咲き誇る花の中で、春風と共に花び らが鮮やかに舞う幻想的な世界。
カーーン。カーーン。カーーン。
<箱庭>にある時計台の鐘が美し音色を長く響き渡らせる。
その音は願いが叶った者に響き渡る祝福の音。
その音は或る者が自分と向き合い歩めたことにする賛歌。
その音は潰えた願いに対する悲哀の音。
その音は希望を呼び起こす謳歌。
その音と共に或る少女は一人また一人と<箱園>から見送る。
<箱庭>から笑って去る者。泣いて去る者。憂き目で去る者。表情無く去る者。
少女は去って往く人にどんな顔すればいいのかだんだんわからなくなっていった。
最初の頃は作ってでも笑えていたのかもしれない。涙を流せていたのかもしれない。
でも、今は人形のようにただ見つめるだけの者になってしまった。
感情がないわけではない。
ただ何が正しいかがわからない。
少女は佇み、いつの日か聞かれたことを思い出す。
『ーーもしも、魔法が使えたのならばあの後悔だってやり直せますか?』
『ーーもしも、過去に戻れたとしてもその想いは本当に報われますか?』
「そんな想いの渇望を抱きかかえたまま私たちは歩んでいくのです。
いつまでも。その身が朽ち果てようとも。その心が次の生へと歩み出す刹那まで…。永遠に。」
その時の私の回答が適当であったかはわかりません。
ただ…その方は少量の涙を浮かべ笑って去って往きました。
考え事をしている少女に向け風は吹き、鮮やかな色のアスターで彩られたクリーム色のスカートが靡いた。
<箱庭>の外の花畑に作られた<迷える者>のための花道。
花道を歩いていく人は風に吹かれ花びらとなってこの場所から消えていく。
私は花道の手前まで<迷える者>を導く。
その人が<箱庭>に対してどのようなことを思ったかは私にはわかりません。
花道の終点に辿り着き、こちらに振り返りお辞儀をして消える人。上を見上げ消える人。
俯き消える人。ただ目の前を見つめ消える人。
少女は見送り終わると<箱園>へ向け歩きだした。
まばたきをするとそこは先ほどまでいた暖かな花畑とは違い空は薄暗く終わりの見えない平原に立っていた。
正面を見上げると巨大な樹。いや、世界樹が悠然と立っていた。
樹の葉には金や銀に輝く花と思われるものが星のように輝いていた。
数多に煌めく星屑の花は天の川となり樹に流れる命を絶え間なく奔流させていた。
樹の根元を目指し少女は歩いた。
世界樹の根元には泉が広がっていた。
夜空と樹に散りばめられた星が反射し泉は燦然としていた。
その泉の中心にホワイトブロンド色のドレスを身に纏い、美しい純白の羽を生やした一人の女性が祈るような姿勢で立っていた。
女性はこちらの存在を認知するなり手を振り飛んできた。
「久しぶりだわね。リディアちゃん。」
「はい。お久しぶりです。運命の女神様。」
私は頭を下げ挨拶する。
「いいのよ。そんなかしこまらなくて。」
「ですが…」
「だからいいのー敬語は嫌ですぅ!それと様もいりません!」
「毎度言っていますが私は一緒に仕事している仲間にはもっとフレンドリーに接したいんです!」
「そうですか…」
「そうですぅ!」
やはり女神様の接し方には毎度困惑してしまいます…これをギャップと言うのでしょうか…?
「最初会った時のリディアちゃんとは別の固さになっていて困っちゃいますぅ…色んな人と出会えば柔らかくなると思っていたのにー私毎度悲しいですぅ」
「申し訳ありません…」
「あーもー別に謝ってほしいわけじゃないんですけど、リディアちゃんにはもっと笑顔で居てもらいたいんです!もっと笑顔を見せなきゃダメですよ?」
クロートー様はめーっと人差し指をクロスさせ強調させてきた。
「心の中だけの感情は伝わりませんからちゃんと表情で見せてくださいね!」
「努力します…。」
クロートー様はうんうん。と笑顔で頷いていた。
「クロートー様」
「様はいりません!」
「……クロートー…今日はどうしてここに私を呼んだ…のですか?」
やっぱり慣れません…
「ここに呼んだ理由は特にありません!」
「…え?」
「強いて言えばお人形さんみたいに可愛いリディアちゃんを見たくなったからです!」
「もーリディアちゃんをずっと抱きしめていたいです!」
「そ、それは困ります…<箱庭>の管理ができなくなってしまいます…それと…」
「わかってますよぉ。リディアちゃんは真面目ちゃんなんだから。もー」
クロートー様はプスンと拗ねた顔をしていた。
どこからか吹いて来た春風が頬を掠めた。
「リディアちゃん。もっとお話ししていたかったけど、どうやら新しい人が<箱庭>に来たみたいだわ。」
「急いでお出迎えしなければなりませんね。」
「リディアちゃん。次の一歩を踏み出せる様に導てあげてね。」
「それと、あなたも早くその心に花を咲かせられるように祈っておくわ。」
「ありがとうございます。それでは行ってきます。」
視界が暗転するなり私は草木が蔓延り花が美しく咲くガラスで構築されたドーム状の建物の中に立っていた。
そして、目の前の扉が開く。
ーー初めまして。ようこそ。<親愛なる追憶の箱園>へ。
「ここは、あなたが過去に抱いた想いと別れを告げ、新たな運命を織り成し、新たな一歩を歩みだす<箱園>。あなたの心の中に咲き誇る花が散るその時まで追憶を。」
「私はこの<箱庭>の管理人であり<迷える者>を次の生へと導くものです。名は<追憶慈愛人形>と言います。気安くリディアとお呼びください。」
そういい私は白く輝く美しい銀髪を靡かせ花柄のドレスの両端を摘まみ上げ左足を曲げお辞儀をした。