08 神族ダンテ様
……と思ったんだけど、なんだか様子がおかしい。
まわりの屋敷は花壇も庭も手入れされているのに、その家だけは芝生も草木も伸び放題。
緑の向こうに見える二階建ての屋敷は人の気配が感じられず、まるで打ち捨てられたような寂しさだった。
「ここ……本当に人が住んでるの?」
門が開けっぱなしだったので、首だけ突っ込んで中を見回してみると、しゃがみこんで草むしりをしている人が目に入る。
なんだ、庭師はいるのか。なんて思いつつ声をかけてみた。
「あの……」
「おや、来てくれたんですね」
振り向いて立ち上がったその人は、昨日の夜の微笑み紳士だった。
昨夜と同じタキシード姿だったけど、上着のかわりに麦わら帽をかぶり、ネクタイのかわりにタオルを首に巻いている。
戸惑うわたしに向かって、はにかむような笑顔を浮かべていた。
「お恥ずかしい話なのですが、うちにはいま使用人がいないんですよ。おかげで庭の手入れも満足にできなくて……。中へどうぞ、お茶でもどうですか?」
趣味でガーデニングをする神族はいるけど、庭の草むしりをする神族なんて聞いたこともない。
それどころか、配達に来たマッチ売りにお茶を勧める神族なんて前代未聞だ。
「あ、いえ……わたしは……」
「そう遠慮なさらずに。わたくしもちょうど休憩するところだったんですよ」
そこまで言われては断るのも失礼かなと思い、わたしはお呼ばれする。
案内されたテラス席で待っていると、今度は給仕に扮した紳士が、お盆にカップをふたつ乗せてやってきた。
家事能力を売りにする神族もいるので、お茶を淹れること自体は変じゃない。
だけど、そのお茶を貧民に振る舞うというのは異例だ。
どうやら、使用人がいないというのは本当らしい。
でも、なんでいないんだろう……?
「そういえばお名前を聞いてませんでしたね、わたくしはダンテと申します」
マッチ売りの名前を聞きたがる神族も珍しいけど、もう驚かない。
どうやらダンテ様は、かなりの変わり者の神族のようだ。
「ありがとうございます。わたしはセリージャと申します」
名乗ったあとで「しまった」と思う。
セリージャといえば、希代の悪役令嬢として有名だ。
マッチ売りにもやさしいダンテ様でも、きっと鬼の形相になるに違いない。
なんて思ってたけど、「どうぞ、召し上がってください」と変わりない態度。
「あ……ありがとうございます」
内心、ホッと胸をなで下ろす。
そのせいで危うくカップを口に運びかけたけど、危険な匂いを感じてすぐにソーサーに戻した。
さすがに仏のような神族でも、アツアツのお茶を吐きかけて許してくれるはずがない。
「どうかしましたか?」
しかしダンテ様に不審に思われてしまったので、とっさにごまかす。
背負っていた麻袋をドンとテーブルに置いた。
「こっ……こちら、ご注文のマッチです」
「ああ、ありがとうございます。買いに行く手間が省けて良かったです」
「これだけの大きなお屋敷だと、この時期はたくさんマッチが必要でしょうね」
「そうなんですけど、このマッチは火を付けるために使うわけではないんですよ。まあ、火を付けるのにも使いますけどね」
「えっ?」
「マッチ細工に使うんです」
マッチ細工……またしても神族のイメージとはかけ離れた趣味がでてきた。
「そうだ、セリージャさん、これからも定期的にマッチを配達してもらえませんか? 週にいちどくらいのペースで」
200箱の大口取引が毎週できるのは願ってもないことだ。
わたしは一も二もなく頷き返す。
「もちろんです! ぜひやらせてください!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからわたしはマッチの街頭販売に加え、ダンテ様の屋敷への定期配達でさらに売上を伸ばしていく。
まだ貧しくはあったけど稼ぎは増え、食べものや服は少しずつまともになり、壁の穴も塞いだので住居も快適になった。
それからしばらくして、わたしはダンテ様のお屋敷で働くことになる。
最初は草むしりを手伝う程度だったんだけど、流れで屋敷の中も掃除することになったんだ。
その初日に屋敷の中を案内されたんだけど、廊下も部屋もどこも散らかっていて、調度品にはホコリが積もっていた。
これは掃除のしがいがありそうだなと思っていたら、ダンテ様は2階のとある部屋の前で立ち止まり、わたしに言う。
「この部屋だけは掃除不要です。立ち入ってはいけませんし、扉もぜったいに開けてはいけませんよ。……いいですね?」
温和なダンテ様がいつになく真剣な表情だったので、その時は素直に頷いておいたんだけど……。
それから数日後、部屋の前の廊下を掃除していたときに、耳にしてしまったんだ。
「ルシファーよ、具合はどうかね? ……おや、今日もぜんぜん食べていないではないか」
「食べたくない……」
「そんなわがままを言っていると、いつまでも歩けるようにならぬぞ」
「いいんだ、もう歩けなくても。兄さんも見舞いに来てくれないし……」
「やれやれ……また診察に来るから、それまでにはもっと食べられるようになっておくのだぞ」
漏れ聞こえる話が途切れたので、わたしは慌てて甲冑の影に隠れた。
部屋の扉が開き、顔が傷だらけの白衣の男性が出てくる。
さきほどまでの話の内容と、格好から察するに、あの男性は医者っぽい。
そして部屋の主は『ルシファー』という人で、病気とメシマズに苦しめられているようだ。
この世界の料理は口に合わないと拷問同然だから、食事で元気になれるとは到底思えない。
『ルシファー』の声は男の子っぽかったけど、いまにも消え入りそうな弱々しい感じだった。
ダンテ様が「開けてはいけない」なんて言っていたから、てっきり毒蛇でもいるのかと思っていたのに……。
もしかして、近づいたら伝染する病気だったりするのかな?
いろいろ考えているうちに、どんどん気になってくる。
結局、わたしは好奇心に負けた。
ダンテ様との約束を破り、謎の少年に会ってみることにしたんだ。