06 ポンフさんの想い
それからわたしは、テーブルに場所を移してニセパパに尋問する。
彼の正体は、驚くべきものだった。
「ポンフ……!? まさか、いとこのポンフおじさん!?」
「ああ、そうだよ」
ニセパパはいつもいかつい顔をしていたけど、正体を見破られるとしおれたような笑顔を浮かべる。
ちょっとくたびれた感じはあるけど、その笑顔こそがまさしく、わたしの記憶のなかのポンフおじさんだった。
ポンフおじさんはやさしくて、小さい頃はよく遊んでもらった。
わたしも大好きで、婚約前は「大きくなったらおじさんのお嫁さんになる!」なんて言ったものだ。
「でも、わたしの本当のパパやママはどうしたの? まさか……」
「別に死んじゃいないよ。一族揃って違う国に移り住んだんだ」
ミカエル様に婚約破棄されてから、わたしの過去の悪業が次々と明るみにでて、希代の悪女としての名を欲しいままにしていったそうだ。
おそらくブリケちゃんが裏から手を回していたんだろうけど、わたしの一族もとばっちりで迫害されていたらしい。
やがて家族や親戚たちは、わたしを置いて国外逃亡してしまう。
記憶を失ったわたしはひとりでは生きていけない。
一族のなかでポンフおじさんだけがこの国に残って、わたしを引き取って育ててくれていた。
「でも、なんでおじさんだって言わなかったの? それにあんなにやさしかったのに、お酒を飲んで暴力ばっかり振って……」
「医者に言われたんだ。記憶の回復は絶望的だけど、極限状態に追い込むと記憶が戻るかもしれないって。あと、頭にショックを与えるといいって」
それでわたしに辛くあたって、壊れかけのテレビみたいにボカボカ殴ってたのか……。
現代知識のあるいまなら断言できるけど、その医者はとんでもないヤブ医者だ。
しかしポンフおじさんは真逆の感想を抱いていた。
「でも、おかげで記憶が戻ったみたいだね! やっぱりあの人は名医だったんだ!」
「わたしの記憶が戻ったのは、そのトンデモ療法のせいじゃないよ」
「え? じゃあどうして……?」
これまでのいきさつを説明しようとしたけど、ちょっと待て、となる。
マッチを擦って、その中に過去の記憶があったなんて言ったところで信じてもらえるのだろうか。
下手をすると悪化したと思われかねないから、話を変えてごまかすことにした。
「そんなことより、どうしてこんなに貧乏なの? わたしのせいとはいえ、いくらなんでも落ちぶれすぎじゃない? ポンフさんだったら、絵を売れば普通以上の暮らしはできたはずなのに」
するとポンフおじさんは、言い淀むような素振りを見せる。
「……絵は、もう描かないって決めたんだ」
ポンフおじさんは有名な画家で、わたしにも絵の描き方を教えてくれた。
寝ている時とわたしと遊んでいる時以外は、ずっと絵を描いているような人だったのに……。
なんだか気になったので食い下がって尋ねてみたけど、理由がわかるどころか逆に怒らせてしまった。
「理由なんてどうでもいいじゃないか! とにかく描かないって決めたんだよ!」
肩をいからせるポンフおじさんからは、たとえ腕を折られても教えないぞ、みたいな気迫がひしひしと伝わってくる。
どうしても言いたくないようなので、わたしはあきらめた。
「わかったわ、この事はもう聞かない。そのかわりに、他のことを聞かせて。ごはんでも食べながらゆっくりと」
観念してようやく、ポンフさんは機嫌を戻してくれた。
「そうだな、ごはんにしよう! いつものスープだけど、今日はセリージャが記憶を取り戻したお祝いだ!」
いそいそと台所のある隣室へと向かうポンフさん。
わたしが記憶を失ってからというもの、食事はずっとポンフさんが作ってくれていた。
わたしはせっかくだからと、食卓にロウソクを置くことにする。
食べものはいつもといっしょでも、明かりがあれば大みそか気分になれるかもしれない。
貧素な道具箱から、ちびたロウソクとマッチを取りだしてテーブルに置く。
わたしがマッチを擦ったのと、ポンフさんが部屋に入ってきたのはほぼ同じタイミングだった。
スープ皿を持ったポンフさんが、揺らぐ炎の向こうにいる。
そして炎の中には、もうひとりのポンフさんがいた。
その姿は、いまよりもだいぶ若くて健康的で、目にも精気がある。
若かりし頃のポンフさんは、真剣なまなざしで土下座をしていた。
『……お願いします、クンストゥー様! どうか、セリージャの悪評をしずめてください!』
ポンフさんがひれ伏していたのは、神族のクンストゥー様。
数々の芸術家のパトロンとして有名なお方だ。
クンストゥー様は、長い睫毛のアイシャドウでポンフさんを見下ろしていた。
『あなたはいい絵をたくさん描いてくれるから、どんなお願いでも叶えてあげたいところだけど……。あの悪魔を許してほしいだなんて、虫が良すぎるんじゃないかしら?』
『そこをなんとか……! クンストゥー様のお力があれば、セリージャを表立っていじめる者はいなくなります! 私にできることであればなんでもしますから!』
『……本当に、なんでもするの?』
『はい、もちろんです! セリージャが普通の女の子として暮らせるなら、なんでもします! 私の命も惜しくありません!』
『そんなのいらないわ。あなたの描く絵には価値はあるけど、命なんて……』
クンストゥー様の顔が、言葉の途中で嫌らしく歪む。
『それじゃ、命をもらっちゃおうかしら。あなたが持っている絵筆を私によこしなさいな』
土下座から顔をあげたポンフさんは青ざめていた。
『ええっ!? 私の絵筆は、ディヴァイン様から賜ったもので……! あれを手離してしまったら……!』
『そうねぇ、二度と神族画家としての活動はできないでしょうねぇ。でも、さっきの言葉はウソだったの? 命も惜しくないって言ったじゃない?』
『で、でも……! 他の神族の方々が、なんとおっしゃるか……!』
『わかってないのねぇ。セリージャの悪評をしずめるということは、ミカエル様とブリケ様を敵に回すことになるのよ? セリージャの叔父である、あなたを神族画家でいられなくしたという手土産でもないと、こっちが危ないのよ』
『ぐっ……! わ……わかりました……! それで、セリージャが助かるのなら……!』
『慌てないで、もうひとつ条件があるわ。今後一切、絵を発表しないって誓ってほしいの。ようは、絵描きとしてのパイプカットね』
『ええっ!? なぜですか!?』
『そんなの決まってるじゃない。人気画家のあなたが断筆したとあれば、いま私が持っているあなたの絵画の価値が一気に吊り上がるわ』
『そ……そんな……!?』
『だって、こっちにも利益がないとねぇ。それに、悪い話ではないでしょ? いい芸術家というのはみんな若くして死に、権力者に莫大な利益をもたらしてくれるものなんだから』
魂を抜かれたようにうなだれるポンフさんに向かって、クンストゥー様は裂けたようなルージュの唇をことさら吊り上げていた。
『よかったわねぇ。あなたはたったいま、最高の芸術家になったのよ』