05 ドメスティック・バイオレンス
しかしホッとしたのも束の間、通りのほうに人の気配を感じ、わたしはとっさに廃材の切っ先を向ける。
「誰っ!?」
そこには、身なりのいい青年紳士がいた。
ステッキを剣のように構え、ぽかんとした表情で佇んでいる。
「驚きました……。助けようとしたのですが、まさか大の男ふたりを返り討ちにするとは……。それも、一瞬で……。お嬢さん、あなたどこかで剣術を習っていたのですか?」
「え? あ……たまたまですよ、たまたま」
この世界には剣術ができる女性なんていない。
バレたら面倒なことになりそうだったので、わたしはとっさにごまかした。
「それよりもお兄さん、マッチはどうですか? お安くしておきますよ!」
助けようとしてくれた紳士は、年の頃はわたしと同じか歳上くらいの印象。
服装はシルクハットにタキシード、全身をシルバーグレーのコーディネートでキメている。
ルビーのような真っ赤な瞳をたたえる顔立ちは端正で、知的で柔和。ジェントルメン青年部代表みたいなイケメンだった。
性格も良いのか、わたしのいきなりのセールスにも、嫌な顔ひとつせず微笑み返してくれている。
「あなたはマッチ売りなのですか? なら、これもなにかの縁ですね。お嬢さんが持っているマッチをすべて買い取りましょう」
「えっ、いいんですか?」
まだキラーフレーズを出していないのに、買い占めの提案をされたのでちょっとビックリ。
でもよく考えたら、手持ちのマッチはゼロだったことを思い出す。
「あっ……ごめんなさい! いまちょうど在庫がなくって……でも、家にあるので取ってきます!」
「ああ、それならいますぐでなくても結構ですよ。明日にでも、200箱ほどうちに届けてくれませんか?」
200箱といえば、今夜売った数と同じくらいだ。
思わぬ大口取引にわたしは「わかりました!」と即答。
すると紳士は内ポケットをまさぐる。なにかを取り出すと、わたしの手を取って握らせた。
手を開いてみると、そこには住所が書かれたメモと、なんと金貨が1枚……!
「こ……こんなにもらえません! それに、前払いなんて……!」
「かまいませんよ。家まで持ってきてくれる手間賃と、面白いものを見せてもらったお礼です。それでは、よろしく頼みますね」
微笑みの紳士はそう言うと、コロンの香りを残し、夜の闇に消えていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
わたし、セリージャの家はボロいあばら屋。
壁は穴だらけで、すきま風が入り放題なんだけど、似たような家が長屋のように連なっているおかげで、外にいるよりは少しは暖かかったりする。
いまにも外れそうな玄関扉を開けて家に入ると、怒鳴り声が迎えてくれた。
「おい、なに帰ってきてんだ!? マッチを売るまで帰ってくるなって言っただろうが!」
パパは壁にもたれかかってお酒をラッパ飲みしていた。
赤ら顔で、完全に酔っぱらっているようだ。
「全部売ったよ」
「ウソつくんじゃねぇ! グズだけじゃなくて、とうとうウソまでつくようになっちまったか!」
パパは瓶の中身を一気に飲み干すと、壁に手を付いて立ち上がる。
千鳥足でわたしに迫ってくると、平手をおおきく振りかぶった。
「こんの、ウソつき娘がぁぁぁーーーーっ!!」
いつものビンタが唸りをあげて降り注ぐ。
わたしはそのビンタに自分から向かっていった。
右の頬を打たれたら、の精神じゃない。
それはいままでのセリージャだ。
いまのわたしは、その真逆。
「ちぇすとぉーーーーっ!!」
パパの平手の出鼻を挫くように手首をガッと掴む。
飛びかかった勢いを利用して、木の枝に飛びつく子猿のようにパパの腕にガッとしがみついた。
「なっ!?」
驚いている間に、パパの腕を軸にして身体をクルリと半回転させ、ヒジのほうに回り込む。
手首を捻りあげながら、上腕部を股で挟み込むようにする。
すると、
「ふぎゃぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
それだけでパパは大絶叫。
もんどりうって倒れ、床の上で全身をこれでもかとのけぞらせていた。
「いたたたたっ! いたいいたい! いたいいーーーーーーーーーっ!?」
痛いのは当然だ。
わたしがパパに仕掛けた技は『腕ひしぎ逆十字固め』といって、プロの格闘家でも秒殺できる関節技なんだから。
この技は一度決まったら最後、どれだけ体格差があっても外すのは不可能に近い。
現に、パパは釣り上げられたばかりの魚のように暴れているけど、ロックはびくともしない。
わたしは前世の大学時代、アマレスで金メダリストに勝ったこともあるんだ。
だから……ドメスティックバイオレンスなんかに、屈したりはしない……!
パパはいくらやっても外せないとわかるや、息も絶え絶えに叫んだ。
「こらあっ! 男に手をあげるなんて、なんて女だ! この暴力女がっ! それに俺は父親だぞ! こんの、親不孝娘がぁーーーーっ!!」
その言い分に、わたしはちょっとカチンとくる。
いままでさんざん力で押さえつけておきながら、反撃されたら言葉で非難してくるなんて……!
「生まれ変わったわたしには、男も女も関係ないわ! それにあなたは父親じゃないでしょ!?」
失っていた記憶を取り戻したいまならわかる。パパはこんな人じゃない。
するとニセパパは、「ハッ!?」と顔をあげてわたしを見た。
「も……もしかして、記憶が戻ったのか!? う……ウソだろ!?」
「ウソじゃないわ! わたしはセリージャ! ファイアスターター家の長女よ!」
「ほ……ホントに記憶が戻った!? や……やった……! やったやった! やったーーーーっ!!」
ニセパパは、偽物であることがバレたというのに大喜び。
その態度にますますイラッときて、わたしはさらに強く締め上げた。
すると、あばら屋が揺れるほどの喚き声があたりにこだまする。
「ぎゃあああああーーーーーっ!?!? いだいいだいいだい、いだいいいいいーーーーーーーーーっ!?!?」
「さぁ、さっさと白状なさい! いったいあなたは何者なの!? 言わなきゃ折るわよ!」
「わ、わかった! 言う言う言う! なんでも言う! だからもう許して! ギブギブギブ! ギブぅぅぅぅぅーーーーっ!!」
ニセパパはたまらずバンバンとタップ。
どうやら観念したようなので、わたしはアームロックを解いてあげた。