02 婚約破棄
結婚式は王城にある、いちばん大きなホールで行なわれた。
大勢の参列者たちが詰めかけ、中央にあるステージに注目している。
ウエディングドレスに身を包んだわたしを、両親も涙ながらに見守ってくれていた。
この世界で権力者は『神族』と呼ばれ、幼いうちから婚約する。
婚約した娘は、すっぱいお菓子の味を知るくらいの年で家を出て、婚約者の男に仕えなくてはならない。
その勤めは16歳になって結婚してからも変わらず、女はひとりの男を愛し続ける。
でも、男は結婚後に側室を持つことが許されるようになる。
この世界では、女に男を選ぶ権利はない。
親どうしが決めた結婚だったけど、それでもわたしはミカエル様に尽くした。
ミカエル様が神族として評価されるようにと、影ながらいろいろお世話をした。
そうすれば、ミカエル様もきっとわたしのことを認めてくださると思ったから。
でもミカエル様は、わたしのこと女として見ていなかった。
だって、婚約者なのにキスどころか手すら握ってもらったことがなかったから。
たぶんミカエル様は、結婚したらすぐに側室を迎えるだろう。
わたしは一度も愛されることなく、壁の花となるかもしれない。
だから結婚式での誓いのキスだけが、ミカエル様からいただける最初で最後の寵愛。
一生にいちどのこの瞬間を胸に、わたしは生きていくのだ。
しかし、女なら誰しもが経験する瞬間すらも、わたしにはやってこなかった。
……ドムッ!
かわりに待っていたのは、腹部への激しい衝撃。
誓いのキスとなり、わたしは目を閉じて待っていたので、わけもわからず吹っ飛び倒れてしまう。
騒然となる式場。いったい何が起こったのかと、わたしは腹を押えながら見上げる。
そこに立っていたのは、新郎のミカエル様。
金髪のオールバックに青い瞳で、結婚式の真っ最中だというのに厳しい表情を浮かべている。
純白のタキシードの脚をふりあげたまま、ミドルキックのポーズをキメていた。
「み……ミカエル様、なにを……!?」
「余がなにをしようとしているのか、まだわからぬというのか! 実に愚かな女だと思っていたが、まさかここまでだったとはな! ならば、言葉にしてやろう!」
ミカエル様は、さらなる鬼の形相でわたしを指さした。
「婚約破棄だ! 貴様のような、身も心も腐りきった女をここまで飼ってやったのは、こうして引導を渡すためだったのだ!」
「そんな……!? わたしがいったい何をしたと……!?」
「あの日の夜、貴様が余の聖剣を持ち出したことを、気づいていないとでも思ったかぁ!」
婚約破棄は両家のメンツにも関わることなので、そうそうできるものではない。
だが、女が聖剣に触れ、あまつさえ持ち出したとなれば、理由としてはじゅうぶんなものとなる。
それを証拠に、わたしが蹴られた時よりも場内は大騒ぎになっていた。
「まあ……!? 聖剣を持ち出した、ですって!?」
「本来であれば、女は聖剣に近づくことも好ましくないというのに!」
「なんて女だ! 悪魔の化身か!?」
友人席にいたクラスメイトたちが次々と立ち上がる。
「やっぱり! セリージャさんはそのくらいのことを平気でする人です!」
「だって、気に入らない子の頭に生ゴミを落としたり、大切にしているものを燃やしたり……!」
「下剤を飲まされた子も大勢いるんですよ! みなさん、セリージャさんは悪魔そのものです!」
わたしは度重なるショックのあまり我を忘れかけていたが、慌てて言い返した。
「そ……そんな!? それをやったのはわたしじゃなくて……!」
「ああっ!! みんな、やめてぇ!!」
わたしの声をかき消すほどの大声で、ステージにあがってくる人影。
その人物は、わたしより派手で豪華なウエディングドレス姿だった。
「ブリケちゃん……!?」
ブリケちゃんはわたしには目もくれず、舞台役者のように大げさな身振り手振りでステージ上を行ったり来たりする。
「セリージャちゃんはたしかにいけない子です!! でも、そんなに怖い顔をしちゃダメ!! だって今日は、ミカエル様とブリケちゃんのサプライズ結婚式なんだから!!」
ミカエル様はブリケちゃんを抱き寄せ、周囲に見せつけるようにその場でクルクル回りはじめた。
「ブリケはセリージャとはまるで違う、最高の女だ! 見よ、この完璧な身体を! 美貌にはシミひとつない! 傷ものの誰かとは大違いではないか! それに、なにより慎ましい! 女というのはこうでなくてはならん!」
ふたりは舞台のクライマックスのようなディープキスを披露。
周囲から「おお~っ!」と拍手喝采が沸き起こる。
わたしはすっかり蚊帳の外……と思いきや、ミカエル様は顔をあげると同時に、ゴミを見るような目をこちらに向けてきた。
「それにひきかえ、貴様ときたら……! 女のクセに、なにかとでしゃばりおって……! 貴様のなすことすべてに虫唾が走っておったのだ……!」
吐き捨てながら、身体ごとわたしに向き直るミカエル様。
その右手は、腰に提げていた聖剣の柄にかかっていた。
「余はこの時を、ずっと待っておったのだ……! 貴様という悪魔に引導を渡す、この瞬間をな!」
引き抜かれた聖剣が光を放つ。
わたしは腰を抜かしたまま後ずさる。
「ま……まさか、わたしを斬るおつもりですか!?」
怯えるわたしに、ミカエル様はサディスティックに口元を吊り上げていた。
「ふふ! 余の晴れ舞台を、穢れた血で彩るのも悪くはないだろう!? だが、命だけは助けてやる! なぜならば……余の聖剣に斬られた者は、生きながらえるほうがより苦しみを味わうのだからな!」
神族はみな聖剣を持っており、その効果はさまざま。
ミカエル様の聖剣は、『忘却の彼方』と呼ばれている。
斬った者の記憶を奪うという、恐ろしい剣だ。
斬られた者は意識を失い、ふたたび目覚めた時には斬られたことどころか、自分が何者であったのかも忘れてしまうという。
「ま……待ってください! わたしが聖剣を持ち出したのは事実ですけど、それには理由があって……!」
「ここまでされなければ認めぬとは、貴様は正真正銘の悪魔だな! だが悪魔なら、もう遠慮はいらぬな!」
「そ……そんな……!? お願いです、わたしの話を聞いてください!」
「そうだ、その顔だぁ! 余はずっと、貴様のその顔が見てみたかったのだ!」
ミカエル様は悪魔のように顔を歪めながら、聖剣を大上段に振りかぶった。
「もっと泣け、もっと喚けぇ! もう、泣くことも笑うこともできなくなるのだからなぁ! ふははははははははっ!!」
嘲笑とともに、閃光がわたしの身体を裂いていく。
純白のウエディングドレスから、薔薇の花びらのような鮮血が舞い散った。