9 声
キッチンテーブルに置いてある時計を見ると午前二時になっている。
今晩中にもう一度、侵略者からの攻撃があるのか、それともないのか、と思いつつ、ぼくは立ち上がる。
部屋に風を入れたくなったからだ。
が、シンクの上の窓を開け、仰天する。
景色がない。
元々大した景色があったわけではない。
が、今ある外の空間は暗闇のみだ
「田丸、桜子、ちょっとこっちへ来てくれ」
慌てて、ぼくが奥の部屋にいた二人に声をかける。
何事か、と駆け付けた田丸と桜子がすぐに事態を把握し、顔を見合わせる。
「崩壊が始まったようですね」
桜子が静かに呟き、
「バラバラって、これのことか」
と、ぼくが問う。
「わたしの知る限りでは、そうです」
「世界中で起っているのか」
「はい。気づいていない人が多いでしょうけど」
「これも夢にするか」
冗談口調で田丸が口を挟むが、
「そうできればいいんですけど……」
桜子の声に不安が混ざる。
「バラバラは部屋単位で起るのかな」
純粋な、ぼくの疑問だ、
桜子に訊ねたのは田丸だが……。
「本質的には個人だと思います」
「じゃ、おれたちの場合は特別か」
「亨さんの近くにいるからでしょう」
「まあ、そう考えるしかないだろうな」
田丸と桜子との会話を聞きながら、ぼくは手を伸ばし、開けた窓を閉める。
風が入って来なかったこともあるが、とにかく不気味だったからだ。
「で、これから、どうすればいい」
溜息を吐き、ぼくが桜子に問う。
「侵略者が攻撃して来るのを待つしかありませんね」
「前のときは、どうだったんだ」
「さっきと同じですよ。攻撃を夢に変えました。その後、暫く待ちましたが、何も起こらなかったので、侵略は終わったと判断しました」
「すっきりしないな」
「仕方がありません」
「で、どれくらい待ったんだ」
「わたしの場合は二週間。それで、亨さんがアパートに帰って来た時、暫くご厄介になります、と挨拶したわけです」
「その時間だけが現実に経った時間だったのだろうな」
田丸が不意に、そんなことを言う。
「どういうことだ」
「侵略者の攻撃の痕跡が残らないとすれば、それしか考えられないだろう」
田丸は答えたが、ぼくには意味が取れない。
「さっきの攻撃は亨の夢という解釈で済むが、今回のこれは至る所で起っている……」
「だから……」
「気づいた者もいるはずだ」
「それで……」
「一つの世界に攻撃が一回だけってこともないだろう」
「つまり……」
「けれども誰も憶えていない。何故かと言えば、攻撃がなかったからだ。だが、現実に攻撃はあった」
「それで時間が経たない、と……」
「時間の経過がなければ、ヒトは物事を記憶できない」
「なるほど」
「理屈は知らないよ」
「……だろうな」
「待って、声が聞こえる」
ぼくと田丸の答えの出ない会話に桜子が割って入る。
その声が震えている。
「えっ」
「えっ」
桜子の様子に驚きつつ、ぼくと田丸が耳を澄ます。
確かに声が聞こえて来る。
「見ツケタ」
その声は外部から聞こえたのではない。
心の内側から聞こえてきたのだ。
「怖いな」
思わず、ぼくが叫ぶ。
「もしかして、きみたちも、それぞれの心の中から声が聞こえるのか」
ぼくが田丸と桜子に問うと、二人がタイミングを合わせたようにコクンと首肯く。
「この経験は前にありません」
桜子の顔に不安が広がる。
「まあ、いつも同じ侵略者が攻めて来るわけじゃないだろうし……」
田丸が務めて明るい口調でそう言うが、桜子の顔色は変わらない。
「宇宙の数だけ、侵略者がいるのさ」
まるで格言のように田丸が続ける。
それが事実か否かはともかく、この事態に対処できなければ、世界が滅ぶ。
いや、侵略者に乗っ取られる。
ぼくと田丸と桜子がいるはずの、この世界が……。
けれども個人の心の中で叫ぶ侵略者にヒトはどう対処すれば良いのだろうか。
少なくとも、ぼくには見当もつかない。
「お手上げだか」
田丸の声まで陰ってくる。
そして、心の中からの侵略者の声が次第に大きくなっていく。
「見ツケタ」
「見ツケタ」
「アソコダ」