1 遭
予感がなかったと言えば嘘になる。
けれども、その予感が、ぼくの何処から湧き出たのか、ぼくは知らない。
「じゃ。これで上がります」
青白ストライプ制服姿のぼくが言う。
「ああ、お疲れさま」
やはり同じ青白ストライプ制服姿の店長が答える。
ぼくは店の奥の部屋に入る。
部屋の壁に張り付いた四連のロッカーから私服を取り出し、着替える。
ついで、裏口から外に出る。
空を見上げれば月が青い。
ぼくがアルバイトをしているのはコンビニエンスストアだ。
住んでいるアパートの近くにある。
そのアパートから、ぼくが通っている大学までは電車で七駅。
遠いのか、近いのか、ぼくにはわからない。
が、大学所在地と同じ町名の街に住んでいる友人は、
「そりゃ、遠いだろう」
と即断し、
「まあ、近いと溜まり場になるけどな」
と自分の部屋に屯する学友たちの顔を見まわす。
当然、その友人の中には、ぼくも含まれる。
大学に入り、最初に出来た友人が田丸幸則だ。
が、最近は疎遠になっている。
特に理由はない。
単に大学構内で会うことが少なくなっただけだ。
夜も遅いので、ぼくは真っ直ぐ、アパートに向かう。
時刻は十時だ。
大学に通うため、知らない街に越して来たぼくには、約一年経っても、バイト帰りに寄る店もない。
夜でも人通りが多い二車線道路の歩道から一ブロック奥に入ると喧騒が遠退く。
人もいない。
街灯が点いているから暗くはないが、寂しい感じはする。
コンビニエンスストアから歩いて三分ほどで、ぼくが住むアパートに到着だ。
ぼくの部屋は鉄骨モルタル建アパートの二階にある。
ふと、見上げると明かりが点いている。
だから、
(はて……)
と、ぼくが考え込んでしまう。
朝、大学に行くとき、明かりは消したはずだ。
が、消し忘れたのかもしれない。
朝寝坊をすると、時々、そうなる。
けれども、今朝は朝寝坊をしていない。
だから、消し忘れた可能性は少ない。
とすると……。
母が来ているのかもしれないな。
少しウンザリしながら、ぼくが思う。
ぼくの母は何かと理由をつけては、ぼくのアパートを訪れる。
子離れができていないのか、それとも一人で家にいるのが退屈なのか、月に二度くらいの割合で、ひょっこりと、ぼくのアパートに現れる。
それくらい実家から近い距離なのだ。
電車で一時間もかからない。
徒歩を含めても一時間弱だ。
それでも一人暮らしを始めたかったから、ぼくは家を出る。
この時間帯に母が来たからには、当然、泊まっていくつもりだろう。
そう思うと、階段を昇るぼくの脚が心なしか重くなる。
母を嫌っているわけではないが、部屋が窮屈になるからだ。
1DKの部屋だから余裕はあるが、それでも……。
そう思うと、やはりウンザリする。
が、単なる照明の消し忘れかもしれない。
そんな期待を抱き、ドアの鍵を開け、部屋の中に入る。
すると、キッチンテ-ブルに見知らぬ女性が座っている。
若い女性だ。
丸くて大きな眼鏡をかけている。
髪は長い。
「あっ、やっと帰って来ましたね」
ぼくの顔を見るなり、彼女が言う。
「暫く、ご厄介になります」
ペコリと頭を下げ、彼女が言う。
「……」
当然、ぼくには返すべき言葉がない。
が、そんな様子のぼくを完全に無視し、彼女が続ける。
「名前は業平桜子といいます。自分でも思いますが、字余りですよね」
「……って、どうして、ここに、きみがいるわけ」
「細かいことは気にしないでください」
「いや、普通は気にするでしょ」
「いや、わたしだったら気にしませんけど……」
「いやいやいや、それ、可笑しいから……。気にするのが普通でしょ」
「いやいやいや、そんなことないと思います」
「どうやって部屋の中に……」
「それは簡単です。大家さんに開けてもらいました。親戚の者だ、と言って……。部屋の主はまだ帰って来ませんので、中で待たせていただきたい、と……」
「えっ、じゃ、きみは、ぼくの親戚なわけ」
「……なわけないじゃありませんか。全然違います。親戚の方が良かったですか」
「じゃ、誰なのさ」
「もう、そんなことどうでもいいじゃありませんか。それより、お腹が空いているので何か作ってくださいませんか。わたし、三時間もここで待ってたから、お腹がペコペコで……」
「そんなに時間があったのなら、外に買い物に行けばいいじゃないか」
「でも、そうしたら、この部屋が鍵なしになるでしょ。泥棒が入ったら困る、と思いまして……」
「まあ、それはそうか」
「それに、わたしが出かけている間に、業平亨さんに帰って来られるのも厭でしたし……」
「どうして、ぼくの名前を……」
「亨さんを知っているからこそ、わたしはここに来たんです」