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怪物は愛を受け取れない  作者: 咲良社
17/18

エピローグ 物語の終わりは、己の尾を噛む蛇のように⓶

「おい、奥路。出てくれよ。奥路」

 九月二日の早朝のことだった。茜に助けられた少女が月ノ樹丘についてしばらくたっていたころのことだ。

 篠木岳弥は奥路家の玄関を叩く。返事はない。彼が、いいや委員長である御堂をはじめとしたクラスメイトが抱いている不安が、最悪のもとして実現しようとしていた。

「なぁ奥路、何で昨日は学園にこなかったんだよ。藍那さんとイチャイチャしすぎたっていうんなら御堂も俺も怒ったりしないさ。けど、連絡くらいは欲しかったぜ。なぁ、奥路聞いてるのか? 返事、してくれよ」

 眼に涙を浮かべながら、篠木はドアをたたく。あまりに切羽詰まっていたために彼は激しくたたきすぎたらしい。奥路家の隣に住む初老の女性が眠たい目を擦りながら「何があったていうの? 朝から騒々しい」と苦言を呈した。

「あ、あのすいません。でも、久也……奥路君が昨日から学校に来ないんです、連絡も取れないし。何かあったのかなって、気になって」

 しどろもどろに篠木はこたえる。

「この家の人たちはあんまり家にいないからねぇ。ご両親は『事件』が続いていても息子の顔をみることすらあまりないみたいだし、その息子さんも外泊が多かったみたいだし。まったく、お友達を心配させてねぇ……」

 初老の女性は小言の終わりに「とにかく、朝も早いんだから静かにしてちょうだい」と篠木を注意した。

「わかり、ました――――」

 そうはいっても彼の不安がなくなるわけではない。篠木にも、奥路がかつての恋人と外泊を繰り返していただろうということは気が付いていた。けれど、それによって素行が悪くなったとか、非行に走るとか奥路にはそういった傾向はなかった。むしろ、ゴールデンウィーク直前と、堂島楓が死んでしまったときの方が奥路久也は危なっかしかった。そんな風に篠木は思っている。

 近隣の住民に注意されてしまった以上、悪徳な取り立てやめいたことは続けられない。篠木はドアの把手に視線を下げる。

 そうしてしまっては不法侵入だ、理性がそんな風に警鐘を鳴らす。

「いいや、それでも。奥路。お前がどうなったのか、知らなきゃいけないんだ」

 この家の中で、奥路が藍那といっしょにいて、出くわしてしまってはいけないシーンを見てしまう方が余程よかった。もしかしたら、奥路にあきれられてしまうかもしれないけれど、藍那には心の底から気まずい思いをさせてしまうかもしれないけれど。

 そんなジョークめいたことが現実であればいいと、篠木は願っていた。

「奥路、すまない。勝手に入るぞ」

 把手を引く。

『開いてくれ、せめて家には帰っていてくれ』

 その瞬間、把手の方から篠木の手に収まって、意外な人物が顔を出した。

「どうしたの? あら、篠木君。おはよう、でも朝からドアをノックするにしては、激しすぎるんじゃない?」

 奥路久也の母親が、開けたナイトウェアを振り乱して姿を見せた。

 彼女はクアァアとあくびをもらしながらなぜか手に持った目覚まし時計に視線を落とす。

「あの、久音さん。奥路は、奥路は帰っていませんか?」

 そんな言葉が届いているのか、いないのか。それは後者だった。寝ぼけた奥路久音(おうじくおん)には篠木が必死な理由が理解できていなかった。

「あぁ、でもちょうどいい時間に起こしてくれたわ。今日はあの子の舞台なのよね。たまには母親らしいことをしてあげないとって思ってたの。なお、父親の方はそんなことも知らない風だけれど……」

 そう言って唇とがらせて、眠たい目をこすって、彼女は家の奥へと引っ込んでいく。

「ちょ、ちょっと待ってください。その久也が、昨日から学園に来ていないんです。連絡も取れないんですッ」

 思わず篠木は声を張り上げる。玄関を開いたままで、それどころか奥路の自宅に土足で上がり込まんとする勢いだ。

 それでも奥路久音は関係ないとばかりに、奔放に振る舞う。

「どうせ楓ちゃんといちゃついているんじゃないの? 久也は年上の女の子が好きだから、大人の付き合いも多かったでしょう。あら、篠木君にはまだちょっと早かったかしら?」

 そんなことを言いながら彼女はナイトウェアを脱ぎ去って、半裸になる。篠木は彼女の年の割にはかなり美しいだろう身体を見て、思わず眼を逸らす。奥路の母は「おばさんの裸で興奮したいの?」と篠木をじっとりとみつめる。

「って、そんなことはありません。それに、堂島さんは怪物に殺されたんです。八月の中頃に……」

 このとき、奥路久音に初めて動揺が現れた。

「え、じゃああの子はどこに行ったの? 私が昨日の夜に帰って来たときには、この家には誰もいなかったんだけど」

 洗面所で自身の寝起きの顔をみつめながら、彼女は絶句した。

「ありがとうございます。朝から失礼しました」

 篠木はそれを聞くなり、その場を後にした。


「おい、御堂。奥路の奴、家にも帰ってないぞ。どこに行っちまったんだ」

『落ち着け、篠木。とりあえず登校するんだ。奥路以外の準備を終わらせるぞ、彼ならば、時間ギリギリに来たとしても衣装さえせてしまえば何とでもなる』

「お前ってやつは、奥路のことが心配じゃないのかよッ」

『心配だよ、けれど、今はそればっかりにかまってはいられない。あってほしくはないと思っていかが、彼がいなくなった場合に備えてはいたんだ』

「ったく、お前らしいよ」

ブツッ――――


ツ――――


ツ――――


ツ――――



「うぅ、んんぁ。ここはぁ」

 どこでしょう、と少女は眼を覚ます。見上げればあせた白い天井と、やはりあせたカーテンが目に入る。そして、気絶する直前の記憶を思い出して、彼女は自身の身体をペタペタと触る。

「ム、何もされていないのでしょうか。もしかしたら、色々された後に誰かに拾われたのでしょうか」

 そんな風にもぞもぞして、頭をよぎる最悪の事態に呻いていると、カーテンが開いて、彼女を覗き込む女が現れた。鋭い瞳、赤みがかった頭髪は後頭部で止められている。少女は眠りにつく前とは別の恐怖を感じる。

『彼女は、なんなのだろうか?』


「おや、目が覚めたみたいだね。大丈夫、君を凌辱しようとしていた不届き者は穏便に退場いただいたよ、この月ノ樹丘学園からね」

 ニッコリと、茜杏子はほほ笑む。

「りょうじょ?」

 純粋な少女は聞き逃しそうになった単語を復唱してしまいそうになる。

「おっと、私としたことが、変な言葉を遣ってしまったな。君は気にしたくていい。紫藤第一中学の子だね。お名前は?」

 少女が初めて見たときにはない柔らかさが茜の表情に宿る。

暁海(あきみ)桜花(おうか)、です」

 肩で切りそろえられた髪を細い指先でもてあそびながら、少女は自身の名前を応える。

「ほう、なかなか可愛い名前だね。桜花ちゃんは、今日はヴィエを目当てにここに来たのかい?」

 少女はなぜわかったのか、と問いかけてしまいそうになりながらも、首を縦に振る。

「うん、そうに違いないと思った。あぁ、君が持っていたチケットはちゃんとここにあるよ」

 茜は着こんだ白衣のポケットからそれを取り出す。「よかった」と少女はホッとしてそれを受け取る。

「あ、でも、時間。早めにいかないと座れなくなっちゃう」

 ベッドから飛び起きようとして、茜に顔におでこをぶつけてしまいそうになる。

「それも急がなくていいよ。わかっていると思うが、私はこの学園の養護教諭でね、それに私も今日の舞台を観に行くつもりでいたんだ。だから、特等席を一つ用意するくらい、造作ないことなんだよ」

 ヒョイ、と人差し指を振る。暁海はそれを見て、茜のことを魔法使いみたいだと思った。

「さて、そうとわかると時間もあるだろう。公演は午後からだ。他の模擬店や出し物は軒並み混んでいるだろうし、特に他の目的がないのなら私とお話をしていかないかい? この学園際に来たということは、少しくらいはこの学園に入学したいという意思があるんだろ?」

 そう言うと、暁海は少し判断をしかねる表情をした。

「私、ここに入るかどうかはわからないんです。でも、おねえちゃんと、おねえちゃんの友達がここにいる人の舞台を観に行きたいって言ってたから……」

 悲しそうな顔をして、暁海は所持していたリュックサックの所在を尋ねる。

「ホラ、これだろ? お姉さんというのは今日学園にくるのかい?」

 やはり、暁海は悲しげな顔をして、それ以上に泣きだしてさえしまいそうだった。

「すまない、何か悲しいことがあったんだね……」

 普段は見せない、愛しみの声音をあげる。

「いいえ。でも、悲しんでばっかりはいられないって、いちゃダメだって。おねえちゃんも、堂島さんも同じことを言うだろうから」

 堂島、という名前に茜の表情が変わる。その名前と少女を寝かしつけたときにみた写真から連想されるのは、当然に奥路久也という名前と、何よりも怪物事件の被害者だ。そうなると、その堂島なる人物の友人であるという、暁海少女の姉というのも何か曰くのありそうなものだと、そんな風に思えてしまって。「お姉さんは、いなくなってしまったのかい?」

 なるべく柔らかく、直接的な表現を使うことなく尋ねる。すると少女は頭を振って否定する。

「いなくなったんじゃなくて、死んでしまったんです。怪物って言われてる人に、殺されたんだって」

 少女はリュックサックを弄って、一つの写真を取り出す。やはり、綺麗な装飾に囲まれた写真立てに入れられている。

 そこには二人の女性が映っている。純白のドレスを互いに纏い、満面の笑みを浮かべている。片方の花発そうな女性はピースサインを浮かべて、もう片方の物静かな(桜花とそっくりな黒髪を長く伸ばした)女性はもう一人に寄り添うように腕を組んでいる。

「堂島さんと、おねえちゃんは仲良しなんです」

 少女は二人について話し始めた。彼女の姉の名は暁海牡丹(あきみぼたん)という。牡丹は五月一日に殺された。怪物による殺人という噂に出てくる惨殺遺体は彼女のことだという。(この噂を聞くたびに、暁海桜花という少女は心を抉られる思いでいた)

「おねえちゃんはね、堂島さんのことが大好きだったの。でも、それは報われない愛でだったの」

 茜は桜花が話し始めたときから、この空間に魔法をかけた。自白剤、というほどのものではないが、普通であれば初対面の人物に話さないであろうことを聞き出しやすくする類のものだ。人たらしの技術とか、リラックスさせる環境作りとか、魔法という言葉をつかわずに茜がおこなっていることを表現するならばそういうモノになるだろう。

「君のお姉さん、牡丹さんは同性が好きだったの? それは、現在で言えばなかなか難しいかもしれないね……」

 個人同士の感情の結果であるはずのことでも、制度や民衆の感情にそぐわなければ途端に息苦しくなる。愛の難しさというよりも、これはこの世の息苦しさのもんだいだ。そんな風に、茜は考えている。

「いいえ、そうではないのです。おねえちゃんは堂島さんのことが好きだけど、堂島さんは他に好きな人がいたんです。その人の舞台が今日あるからみんなで観に行こうねって、最初はおねえちゃんと堂島さんが話していて、私もこの学園に入学したいから見学も兼ねて一緒に行きたいって」

 姉には、邪険にされたようだったと彼女は答えた。確かに、ボタンにとっては恋人とのデートだったはずなのに、妹までついてきてしまえばそちらの方に気を回さざるを得なと考えたのかもしれない。

「私、自分のことはちゃんと自分でやるからって言ったんですよ。何なら、チケットも自分取るからって」

 けれど、その必要はないと言われたのだろう。舞台関係者には数名ずつチケットが渡され、親類にみに来てもらえるようになっていたのを茜は知っている。

 奥路久也はそれを家族ではなく、堂島楓……いいや暁海牡丹に渡したのだろう。

 そのときの奥路の心境ときたら、複雑なものだったに違いない。おそらく、要求されたチケットは二枚だったのだろう。桜花のいうことを参考に擦れば、奥路が最初に舞台に立つ理由を求めたのは堂島ではなく暁海牡丹だった。けれども、暁海牡丹は殺されて、堂島楓は奥路久也の新たな理由となった――――。

 ここまで考えて、茜はふと疑問に思った。

「ねぇ、桜花ちゃん。その、君のお姉さんを好きだった人と、堂島さんの好きっだった人の名前って教えてもらえるかな?」

 ここにきて、怪物事件の最初の殺人が、何ゆえに起こったのかという推測を、茜杏子は立てざるを得なくなっていた。


「わかりました。その人の名前は――――」


キーン


コーン


桜花が口を開こうとしたそのとき、校内放送の開始を始めるチャイムが鳴った。


『この後より月ノ樹丘が君大講堂において、本日のヴィエ、午後の部が開演されます。出演クラスは、三年三組、三年二組となっております。チケットをお持ちの方はお早めに入城くださいますよう、お願いいたします』


 二組の担任が、以前とは違った波乱に満ちた声で放送を行った。そのことに茜は気づき、少女もまた首を傾げた。

 事前の予定では、二組、三組の順番だった。桜花はその些細な疑問を口にする。

「ヴィエの舞台で順番が変わることってよくあるんですか?」

 そんなことはないよ、と茜は正直に口にするが。それ以上のことは言わなかった。事情をよく知りすぎてしまっている茜は、それ以上を口にしてしまえたから。

「でも、目当ての舞台がもうすぐなのには違いないし、私達もいこうか」

「はい、そうですね。あの、わざわざ席を用意してもらって、ありがとうございます」

「いいよ、でも思っていたのとは違うかもしれないぞ。特等席には、違いなんだけれどね」



「おい、奥路はまだこないのか」

 ヴィエの舞台裏では二組の生徒は準備に追われている。そんな中で誰かがそう叫んだ。

御堂は奥路が間に合ったときの準備と、そうでない場合の準備を並行して行っている。ここにきて奥路が一時的に舞台を降りていたときに代役を決めていたことが幸いしている。

「篠木。陽光のマスターはなんと言っていた?」

 足ばやに動き回り、指示を出す合間に、彼女はスマートホンを通して、奥路の捜索状況を確認する。

『なにもだよ。奥路を最後にみたのは八月三十一日だ。アイツ、藍那由記と一緒に帰っていったって。あと、奥路ママ――――久音さんが帰宅したのは昨日の深夜。そのときは奥路が帰宅した様子はなかったって。なぁ御堂、これってもう事件じゃないのか? 藍那由記も登校してないって話なんだろ?』

 二人の主役級が失踪したことは二学期の初登校の日に噂として広まり始めた。その多くは奥路と藍那が駆け落ちしただの、心中しただの下世話なもので。そうでないにしても「怪物に殺されそうになった藍那を奥路が助けに入り、二人ともが死んだ」という不謹慎なものだった。

 もっとも、最後の一つに関してはおおむねその通りだったのだから、人の想像力というモノはなかなかにたくましいと言わざるを得ない。

「そんなことはわかっている。しかし、それとは別に私達にはやるべきことがあるだろう。人の安否よりも重要だというつもりはないが、今日が私達にとっての最後の舞台になるかもしれないんだ。篠木、すぐに帰って準備に加わりなさい。奥路が無事でもそうでなくとも、結果がわかるのは今日明日ではないかもしれない。ならば、今日あるべきをまっとうしなさい」

 御堂だって、本当は紫藤の街中を探し回りたかった。けれども、奥路の不在とヴィエの舞台はもはや別物になっていた。クラスメイト全員が奥路をさがしてヴィエの舞台を台無しにするか、奥路抜きでヴィエのローリエにの座に一パーセントでも可能性を残すかは、誰に聞いても半々か、もしかすると後者を望む気持ちの方が大きいだろう。

 で、あれば、クラス委員長のなかのクラス委員長たる御堂伊緒がとるべき選択は一つだった。

『……わかった。俺も今から学園に戻る。でも、俺は最後まで信じてるからな。奥路は俺たちのクラスで最も主役にふさわしい奴は、絶対に戻ってくるって』

 そう言い残して通話は途切れた。御堂は唇を噛みしてめて、最後に残ったアテのもとに向かう。


 月ノ樹丘学園大講堂はかなり広い。それこそ、教室ほどの控室が二つと舞台が一つ、そして九百人ほどのキャパを持った客席があるくらいには。(これほどの建物がなぜこの学園にあるのか、そもそも一地方都市の学校がなぜこれほどまでに広大なのかは月ノ樹丘だけではなく紫藤市民全員が不思議がっている)

 御堂伊緒は最低限の指示を出し終えると、自身のクラスが使っていた控室とは別の控室に向かう。そこでもやはり、主役級の役者の不在によってパニックが起きていた。藍那由記は確かに深窓の令嬢ほどの役者ではないが、それでも代わって演じられる生徒がいないことは明白だった。代わりの役者を建てることに関しては二組よりも三組の方が厳しい状況にあるのかもしれない。


「おい御堂、お前のところの奥路と俺らのクラスの藍那が駆け落ちしたっていうのは本当か? お前が奥路にプレッシャーをかけたからこんなことになったんじゃないだろうな」

 三組の生徒が御堂に食って掛かる、彼女からしても何のいわれのない抗議だった。今までにないほどに辛辣な視線を向けると、三組の他の生徒は同級生の放言が過ぎると判断したのかその生徒を黙らせた。

「刻浄、ここにいれば私と話をしてほしい」

 そう言うと、当たりの空気を塗り替えながら刻浄が現れる。冷静さを失っていた生徒も、彼女の登場で一気に冷え込んだ空気を吸って慄いた。

「聞きたいことはわかっています。奥路久也に関してでしょう?」

「あぁ、ここで話せる内容か?」

 御堂はまっすぐに刻浄を見据える。

「私も何があったかは検討が付きません。いくつか無責任な噂を聞きますが、そのどれもが的外れだということだけはわかります」

「わかった。ではまた後で。次はヴィエの舞台がすべて終わった後。ローリエの選定がおこなわれるときに会おう」

「えぇ、お互い苦しい状況ですが、それでも、必死に」

「あぁ、当然だとも。これで今年のローリエはどのクラスがとってもおかしくはなくなった。学園で非公式にオッズを募っている連中は今頃大慌てだろうな」

 じゃあね、とそれだけ言い残して、手をひらひらとさせて御堂は去っていった。

「全く、こんなふうに宣戦布告する前に、学園側にしっかりとスケジュールを組み直させているんだから彼女はやっぱりローリエに取りつかれているのね」

 刻浄はそう独り言ちて、自身が行たことの後始末をするために舞台に立とうとしていた。



「いやぁ、思ったよりもいい席が取れていたよ」

 そんな風に安堵するのは茜だった。彼女は桜花とともに、客席の中ちょうど中央に鎮座していた。辺りには大勢の観客がいることだけが不満な要素だが、それ以外はほぼ満点だと彼女は思った。

「いいや、煙草を吸えないのはちとキツイか……」

 そんな風にぼやく彼女を桜花は小首をかしげてみる。

「茜さん。本当にこんな席を取ってもらってよかったんですか?」

 申し訳なさそうに桜花は言う。茜は気にすることはないと、そんなやり取りをしていると、開宴のブザーが鳴った。

 そして始まるのは『深窓の令嬢』が演じる愛憎、続いては奥路久也を欠いた二組が演じる怪物が愛を受け取れなかった演目だった。





「奥路さん、どうかしちゃったんですかね」

 舞台が終わった後、桜花は茜に尋ねる。二組の舞台は奥路がいなくとも素晴らしいものだったが、元々予定されていた怪物と博士の一人二役という仕掛けは取り入れられていなかった。三組の刻浄についても、茜はその美貌と雰囲気に瞳を輝かせ、藍那が演じるはずだった相手役とのシーンにも見入っていた。

「話には聞いていたけれどね。まさか当日にも顔を出さないなんて」

 そして、客席にも名演技をする者がいた。茜は奥路久也の行方について知るものでありながら、そ知らぬふりをして、『どうやら行方不明らしい』と言うにとどめている。

「そうなんですか。おねえちゃんも、おねえちゃんの好きな人も、おねえちゃんを好きな人も、みんないなくなっちゃうんでしょうか……」

 客席からバラバラと、人が散っていく。そろそろ行こうか、と茜が手を引いたときに、桜花はポツリと言った。

 茜が聴きそびれていた、その人物の名前は、奥路久也だった。

「なんだって? それは本当かい?」

 一連の怪物による殺人。そのほとんどにおいて、誰が誰を殺したかは藪の中だった。

 八月の最後の日、刻浄とのやり取り、最初の被害者が殺された理由、八月上旬の殺人は模倣犯によるものだった(最後の一件はその犯人を刻浄が殺したことによるものだが)。

 得体のしれない者が、茜の背筋を這いあがる。いくら彼女が魔女であっても、怪物の(その欠落を含んだ)魂を蒐集していたとしても、恐ろしいものはやはり在るのだ。

「どうかしましたか、茜さん」

 桜花は純粋な瞳を茜に投げかける、年の割には無垢で、間違いなく無邪気な、ただいきなり凍り付いたように立ちすくむ茜を心配するだけのモノ。

 茜はそんな少女の純粋さに付け込むことにした。

「大丈夫だよ、ちょっとだけ保健室でゆっくりしようか」

 そう言って桜花の出を引く。彼女達が向かうのは、魔女の住処で、その中で語られる暁海桜花の言葉には、一連の怪物事件の発端たる出来事があったのだ。



「おねえちゃんと最後にあったのは、四月の最後の日でした」

 月ノ樹丘学園の保健室には結界が張り巡らされた。ここには誰も近付くことはできないどころか、この場所の存在は誰もの意識から消えていた。例外とするならば、刻浄暗いなものだろう。

 室内には魔女の妙薬たる紫煙が充満している。その揺蕩う文様に、桜花の瞳は光を奪われ、彼女の口と脳髄は、あったことを垂れ流すだけの機械へと変貌した。

「私とおねえちゃんは年が離れていて、堂島さんとおねえちゃんは同い年で学校もずっといっしょでした」

 胡乱な意識の中で、うわ言のような言葉を並べる。

「おねえちゃんは堂島さんのことを心から愛していて、堂島さんはそのことを知っていました。もしかしたら、二人が愛し合うという未来もあったかもしれません。でも……」

 奥路久也の登場によってこの県警は一変したのだという。

「去年の月ノ樹丘学園の学園祭でした。その舞台を私とおねえちゃん、そして堂島さんは観に行きました。奥路君と知り合ったのはそのときだと思います。おねえちゃんと堂島さんは奥路君と連絡先を交換して、ときどき会うようになっていきました。私は、引っ込み思案なのであんまり話はできませんでしたが……」

 奥路は暁海の姉に魅かれ、堂島は奥路に魅かれていった。この時点で三角関係が成立していたのだ。そして、その不安定な図形はクリスマスには崩壊の機材を見せ始め、そして今年のゴールデンウィークには決定的な出来事が起こったという。

「去年のクリスマスのことです。おねえちゃんは奥路君との約束があったはずなのに、一緒に過ごしたのは堂島さんでした。堂島さんはと言うと、奥路君といっしょにいたかったのに、おねえちゃんが無理やり誘っておねえちゃんの家でパーティーをしていました」

 それはいつものことだという。実家暮らしの桜花は両親と、一人暮らしをしている牡丹は堂島とクリスマスを共に過ごす。関係性を知っていれば得に不自然なことでもない。

「でも、そのときはちょっとだけ違ったのです。おねえちゃんは急に家に帰ってきて、ケーキを食べたりお父さんやお母さんと話をしたりもせずに、一人で部屋に籠って、次の日には何事もなかったかのように仕事に行ってしまったのです。堂島さんと何かあったの? と私が聴いたら、とても怒っていました。『あんな奴知るもんか』、そんなふうに堂島さんのことを言うおねえちゃんは初めてでした」

 牡丹と堂島の間で奥路についてのやりとりがあったのだろうと、茜は思った。

 奥路との約束を保護にした牡丹と、奥路と約束をしたかった堂島。その二人の間で奥路についての話が出たとき、牡丹は奥路のことを疎ましく思っていると堂島は思ったのではなかろうか。

「それからも、おねえちゃんと堂島さんは二人で会うこともありましたが、喧嘩は以前よりも増えたように思います。二人が喧嘩をしないときは、決まった奥路君が一緒に遊んでいた、様にも思います。そして、今年の四月三十日。おねえちゃんは奥路君と二人であっていました。そのときは私に電話があって『男の子を振るいい方法はない?』っておねえちゃんは聞いてきました。私は、ちゃんと想いを聞いてあげて、そのあとでどうするか決めようねって言いました。そしたら、堂島さんにも聞いてみるって、それっきりで――――」

 その翌日、彼女は最初の被害者となって死に顔も満足に見えないままに戻ってきたということだった。


「あぁ、なんてことだ」


 ここまでの話を聞き終えて、茜は結界を解いた。しばらくはぼんやりしていた桜花は、「今日は本当にありがとうございました」とあいさつをすると家路についた。

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