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怪物は愛を受け取れない  作者: 咲良社
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彼が死んだ後で

第十五話 八月三十一日 夜


「まったく、えらくのんびりと仕留めたものだな」

 怪物に負わされた傷に、刻浄は苦悶していた。脚は支えを失ったように震えている。肺はというと、呼吸の度に折れた肋骨の先端を掠めている。

 辺りは刀と爪と、怪物たちの剛力によって抉れ、少女達と怪物の血で汚れている。

「また派手にやったもんだ。一人でやるからには、もう少しうまくできるもんだと思っていたが……」

 先頭の途中から、茜は結界を張り巡らせていた。いいや、奥路と藍那がこの場所に目星をつけて、彼女はそこを部外者から隔離していたのだ。

「陽光でのいっぱいは長かったぞ。あそこのマスターの入れるコーヒーはたっぷりと時間のある時にしか飲みたくないからなぁ」

嫌味を続けながら、今は奥路久也の姿に戻った怪物の前でしゃがみ、頭をつつきまわす。

茜は奥路の眉間に、キレイに整えられた爪を差し込む。それはまるで、宝箱とそれを開く鍵のようだった。けれども――――

バキバキ

バキバキバキバキ

頭蓋が真っ二つになり、脳みそから引き剥がされる音が響いた。刻浄は、怪物による殺人にも負けないくらいの惨状を無表情に見る。吹きあがる血と脳漿が、茜の頬を染め、刻浄のローファーを濡らす。

 茜の手は奥路の脳みそを抉り、頭蓋から取り出す。そしてその脳みそに、さらに手をつきこむ。不思議なことに、これによって脳みそが破損することはなく、手と脳が接しているはずの部分は見えない水面のように、波紋が広がっているだけだった。

「さて、釈明を聞こうか、刻浄。君はなぜ、この事件の間中、私への報告を怠っていたのかを。まさか、この怪物が自分と同じなりそこないだったから手を出さないでおいた、なんて愚かなことを言うんじゃないだろうな」

 茜は脳みそを弄り続けている。目当てのものが見つからないのか、ただ手遊びのようにいじくりまわしているのか。

 刻浄が口をつぐんでいる間に、茜は目当てのモノを探し出したらしい。怪物の心は、ソレだった者が歩んだ人生(記憶ともいう)を削ぎ落して、それこそ生まれる前の状態にまで戻したものだ。

茜はその、手のひらいっぱいに輝きを放つ光を指さして、ひょいと(杖のように)振る。

「私は怪物の魂を集めている。その成り立ちを知るためにね。ヒトだったはずのモノが、一部が欠けたせいで別のものになり果ててしまう。そんな不思議はね、古くからあるはずなのに、他の魔女はあんまりやりたがらないんだよ。まぁ、怪物なんてモノは野放しにしておけばしておくほど、私達みたいなのに退治だのなんだののいらいがまわってくるんだけどね」

 そんなことはどうでもいいか、と茜は小さくなった怪物の魂を、着こんだジャケットの懐から取り出した小瓶に入れた。

「君は、この怪物に妙な思い入れがあるんだろ? だって君は、奥路久也に自身を重ねていた。君は、怪物が生まれてきてしまうのを見るのが嫌いなんだろ?」

 殺すときはためらいがないくせにね。そうも続けて、刻浄は怪物の死骸をいじくりまわす。刻浄が先ほどまで手にしていた刀を魔法で振り回して、奥路久也というカタチの怪物を解体していく。そうしながら、彼女は刻浄に非難の声を向ける。

「だから君は私との契約を無視して、そのうえ二人もの人間を見殺しにした」

 堂島楓と、この場で傍らに転がっている藍那由記のことだ。もしも刻浄が、七月の最後の日に奥路久也を殺していたならば、二人とも死ぬことはなかっただろうと、茜は非難する。

「君は怪物もどきだ。殺人の欲求も薄ければ、社会的にもある程度は溶け込むことができる。だからと言って、こんな計略めいたものに他人を陥れるだなんて、なんという卑劣なんだろうね」

 その口調は静かで、変わりない。刻浄の表情も同じに。

「私は、君が今回の一件をどのように処理しようとしていたのかは知らない。その結果、何人が死ぬことになるかを想定していたのか、否かもね」

 茜は怪物の解体を終え、どこからか取り出した旅行鞄に詰め終える。そして、地面に転がっているもう一つの死体に手を伸ばして、その一部を刻浄に投げてよこした。

 刻浄は視線を落として、藍那由記の頭部をみつめる。死の間際の彼女の表情を固定したそれは、とてもとても幸せそうなものだった。血飛沫も首の断面にあるのみで、顔は程よく化粧されて、生前の彼女にはない美しさすらあった。

「これが、今回の怪物事件の結果だ。その能天気な女生徒の死が、おこってしかるべきものだったか、そうでなかったかは私の知ることではない。けれど、君が何を救いたかったのかを考えるときには、避けて通るべきではないだろう」

 考えろ、と茜は言う。刻浄は命を測る天秤が歪んでいた。

 奥路久也という怪物もどきを怪物にしないために、堂島楓を見殺しにしている。それどころか、彼女が死んだ時点で怪物の殺害を積極的には行わなかった。

 くわえて、藍那由記が死ぬまで奥路久也を殺さなかった。刻浄は藍那に期待していたのだ。彼女が(もしかしたらその口づけが)怪物になりかけてしまっている奥路久也を人間の側に繋ぎ止めてくれるのではないかと。

 けれど、そんなことは魔女でなければ不可能だった。

「あぁ、もしかして君は、私に彼を助けてもらおうだなんて思ったか?」

 今は見えないはずの刻浄の思考を、茜は魔法ではなく推測で読み取ってみせた。

「一度は行ったと思うが、私には君以外の使い魔は必要ない。ましてや男なんて、そんなものは去勢したって使いたくはないね。それでも、君は君に似た彼を救いたかったんだろ? けれど、それは間違いだった。もう結果が出たことで、君はすでにそれを理解しているはずだ」

 二人も見殺しにしてた気分はどうだい? 茜は使い魔への懲罰として、刻浄の精神を痛めつけることにした。

 刻浄は願っていた。

『もしかしたら、紫藤の怪物の最後の一体は、まだ怪物として目覚めていないのではないか。そうであれば、その人物は人間のままで生きて行けるのではないか。自分と同じような不幸に見舞われることはないのではないか』

 そんなありえないことを、望んでしまった。

 藍那由記はそんな愚かな願望故の犠牲だった。

 けれども、それだけではなかった。

刻浄は涙一つ見せてはいない。彼女は茜の批判を受け入れつつも、一つの確信めいたものを抱いていた。それゆえに、茜の言葉に対して感情が揺れることもなかった。


「茜さん。藍那由記もまた、怪物のなりそこないですよ。もしかしたら、堂島楓の死は藍那由記の犯行かもしれないのですから」

 それを聞いた茜は絶句する。そんな魔女に、刻浄は手に持った藍那の頭部を刻浄の方に向ける。

「フランケンシュタインと同じです。怪物には怪物を、もどきにはもどきをあてがえば、彼らの心は癒えるもの。私はそう考えたのです」

 これは茜が指摘した以上に悪辣だった。いいやそれ以上に物語をしてできすぎている。茜はそう勘づいて、慄くような笑みを浮かべる。

「それは、実に私好みだな。この怪物による連続殺人は、いつのまにか『フランケンシュタイン』に変質してしまっていたのか……」

 刻浄は堂島の死に確かに動揺した。彼女の当初の予定では、堂島楓の愛によって奥路久也が怪物として羽化することを停滞させるはずだった。

「けれど、その堂島が殺された。狂っただろうね。特に奥路は……」

 おそらく彼女の死によって、奥路は怪物としての羽化が早まったのだ。

「そうですね。だから私は、藍那由記を奥路久也とつなぎ合わせることにしました。二組の委員長はヴィエに、ローリエの座に執着していることが明白でしたから」

「珍しいと思ったよ。君が他人の色恋沙汰に手を出したなんてね。たまに昼間の保健室に顔を出したとき、そんな噂を聞いて私は吹き出しそうになってしまった」

 一口分のコーヒーを返せ、と茜は主張する。

「けれども、目論み通りにはいかなかった。それもそうだね、私や君だって知っていたことだ。怪物は群れることはない。疑心から生まれて他人を殺す奴らだ、それゆえにそれ同士が混じり合うことなんてないハズなんだ」

 そこに愛があったとしても、彼らがもともと怪物である限りは報われない。

「えぇ、私は二つのありえない夢を見ていたのです。怪物になりかけの存在が怪物にならずに済む夢と、怪物になりかけの者同士が愛し合う夢を」

 まったく、なんて愚かしい。

 刻浄は自分が殺したも同然の堂島に心の中で涙した。刻浄は奥路に対して心の底から同情していた。けれど、藍那由記という存在がその同情を無に帰した。

 藍那が堂島を殺しさえしなければ、奥路は怪物に羽化せずに済んだだろう。

 そんな風に、思考は迷宮のように煩雑になっていき、やがて彼女は気づくのだった。

「あぁ、二人ともやはり怪物には変わりなかったのですから、最初からきちんと殺しておくべきだったのかもしれませんね」

 上弦に笑う月を見上げて、開き切った瞳で刻浄は言う。

「あぁ、いまさらそんなことに気づいたのか。まぁいい。今回の事件はそれで十分だ。君もやっと、使い魔らしくなってきたじゃないか」

 茜はそう言って、刻浄の腕から藍那の頭部を持ち出した。そして瞳を抉りだし、脳みそをかき混ぜて魂を取り出す。

「確かに、コレは怪物にふさわしい魂だ」

 上着から二つ目の小瓶を取り出して収納する。藍那の死体も研究の材料にするために、旅行鞄の中に片付ける。

「さて、これにて『怪物事件』は終了だ。明日からはヴィエが開始されることになるが、二組の悲惨な状況はさておき、君たちはどうするんだい?」

「さぁ、私には興味がありませんね。だって私は、人の心がわからない、きっと愛も受け取れない、怪物ですから」

 陰惨な、夏の潤いと熱とを含んだ風が吹き抜ける。

 人間離れしてしまった彼女達は、それぞれの住処へと戻り、朝日を待つことにした。

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