魔女は彼女の心を知る
第十四話 八月十八日 深夜
月ノ樹丘学園の保健室にて
「これは、使い魔としては失格だな」
茜杏子が、刻浄に堂島楓の死を伝えた日、その深夜。茜は盗み見た刻浄の記憶を検分していた。そのにあったのは、『紫藤の怪物事件』におけるいくつかの重要な情報だった。
端的に言うならば、紫藤市で起きた連続殺人には複数の怪物が関わっていたのだ。この時点で殺された怪物は二体。一体は七月三十一日に、もう一体は八月八日に、いずれも刻浄が抜かりなく殺していた。なるべく最初の事件に似せた状況を作り出し、怪物からは搾り取れるだけの情報を搾りとって。
にもかかわらず、八月十七日に堂島楓が殺された。
「なるほど、刻浄が動揺していたのはこのせいか。いいや、もう一つあるな」
刻浄が殺した二体の怪物は最初の事件に関しては何も知らなかった。二体はただの模倣犯だったのだ。
「思い当たる怪物候補がいる、そういうわけだったのか」
スマートホンの画面をスクロールするように記録をたどる。やはり目につくのは最初の怪物を殺害した現場に居合わせた少年だった。
彼は名を、奥路久也と言った。月ノ樹丘学園の養護教諭である茜でも、ある程度以上に知っている。ヴィエの名役者にして、優男だった。
「異常は異常を呼び寄せる。私がここにいるように、刻浄が私といるように。怪物もまた、怪物を呼び寄せる。ククッ、アイツらは相容れないモノばっかりなのにね」
皮肉に笑って、茜は自身の使い魔の有用性を再確認する。けれども、そうすればそうするだけ、刻浄の不作為に気を取られてしまう。
刻浄は本来、怪物を殺せばその時点で怪物の心(あるいは魂)を茜に送り届ける。けれども、今回の事件ではそれが一向に行われる気配がなかった。
それに関して、茜は紫藤に現れた怪物が今までのものよりも強大な力を持っていると思っていたが、刻浄の記憶を見た時点で、その考えは霧散した。
刻浄は七月三十一日と八月八日にそれぞれ一体ずつ、怪物を殺害していた。
問題なのは七月の殺害だった。刻浄は怪物から、ゴールデンウィークの殺人は別の怪物がいるという情報を得ていたということ、そしてもう一つは、奥路久也を目の当たりにして、彼が怪物であることに気づいていたことだ。
「もしも、その時点で奥路が怪物としての正体を明かし、刻浄に向かってきていればなぁ」
茜は苦い顔をしてぼやく。刻浄が怪物のなりそこないである原因の彼女は、刻浄が自身と同じ境遇にいる存在に対して同情的な感情を持つ可能性があると考えた(そして、事実その通りだった)。
しかし、刻浄からは怪物になる原因が見えない。学園生としての生活を送り始め、奥路久也に接触しても、刻浄の瞳は彼を怪物と断定しているのに、彼を取り巻く環境はそれを否定していた。
「それもそうだ。怪物になってしまう奴っていうのは、大抵が社会に鬱屈しているか、どうしようもない不満を抱えてやまないヤツばかりだからな。美形の人気者で、そのうえ人に慕われ、愛してくれる人がいる。こんな奴を怪物と疑えという方が無茶な話、ともいえるなぁ」
彼でないのならば、その周辺に原因があるのではないか。だから刻浄は堂島と藍那と接触し、奥路への気持ちを確かめた。そうしていた矢先に、堂島楓が死んだ。
「そうなれば、犯人は二人に一人、か。確かに、藍那由記も怪物になる素質はあったのかもしれない。あとは……もしかすると刻浄の知らない第三存在がいるかもしれないが、そんなことがあれば刻浄は間違いなくそれに縋ったことだろう」
ここまでの記録を読んだ時点で、茜も藍那由記が怪物である可能性に辿り着いた。また、藍那ないしは奥路が、自身が怪物であることに無自覚であるだろうとも考えた。
「だがしかし、いつまでも観察しているわけにはいかないぞ、刻浄」
怪物は人を殺す。その瞬間を待てば待つほど、人は殺されるのだ。ただ、羽化する前の怪物なのは幸いなのかもしれない。自覚してしまえば怪物化の制御ができてしまう、そうでないならば、本来殺したがっている相手しか殺さない。
「非道なのか、迷っているのか。どちらにしても悪辣だ。特に後者であれば、やはり刻浄は、使い魔としては失格だな」
いいやそれ以前に、怪物を狩る怪物として、失格だ。
思考の中でそう言い残して、煙草に火をつける。月ノ樹丘学園の保健室で、魔法による防臭を施す。白い壁と天井には経年以外のくすみは見えない。曇った緑のリノリウムにも、肺の堕ちた後は見られない。
誰もいない校舎。夏の夜の蒸し暑さ。それをかき消すエアコンの冷気に紫煙が混じる。
一度肺を満たして、空にする。
「けれどまぁ、私が手綱を取る必要もないだろう。彼女は怪物を殺すことでしか、ヒトの世と交わる資格を得られないのだから。まったく、心の底から薄ら寒い奴だよ」
ククッと笑って、紫煙をかき消す。かと思いきや、すぐさま二本目の煙草に手を伸ばす。




