辺境にて
とある国の辺境は魔物が出没しやすく、近隣の人々の生活を脅かすことが多々あった。
そのため先日王族を離脱した元王子が総督府を開いたのち、討伐部隊が常駐することとなり、学園を卒業した18歳からその部隊の一員となったアルティニアは、辺境でその能力をいかんなく発揮していた。
「来月、訓練として王都から騎士が一人くることになった」
執務室に呼ばれたので、合成の手を休めて向かったアルティニアに対して、総督のレヴィウスは書類から顔も上げずに告げる。
「訓練ってこんな辺境でですか?」
「君のおかげで我が部隊は少数精鋭の実力部隊と評判が高くてね」
「総督閣下と奥方様のおかげ、の間違いじゃありません?」
自ら討伐に出ることもあるレヴィウスは、アルティニアの目から見ても文句なく強い。
アルティニアが学生時代に開発した支援魔法や弱体魔法も部隊の誰よりも早く修得していた。
優秀な錬金術士である彼の妻も、少量で効果の高い薬品の開発に成功している。
「私はともかく、あれの功績はすべて君のものとして報告している」
「えー」
「貴重な材料を取ってくるのは君だし、合成も協力しているのだから虚偽の報告ではない」
溺愛している妻のことを、外部にあまり知られたくないのは重々承知しているが、しれっと言われると面白くないものである。
アルティニアが女の身でありながら、部隊一の実力を持っているのはその魔力量のためだけではない。
これまで物理的に敵に傷をつけることが目的でしか使われていなかった魔法を改変して、自身の速度や力を高めるといった新しい運用ができることが大きい。
前世のMMOゲームで使っていた魔法がこの世界でも使えないかと思いついたのが始まりで、それがイメージしやすいのか転生者仲間もほどなくして使えるようになっていた。
目の前の男がそれをいち早く修得したのは、転生者仲間の彼の妻の言うことを疑わなく理解するから。
常識にとらわれず、毛ほども疑わずに聞き入れるから使えるのも早くなる。
攻略対象の一人という基本スペックの高さもあるのだろうけれど、それを言ったらアルティニアの方も負けていないはずだ。なにしろヒロインなのだから。
前世の知識というアドバンテージを『愛の力』で軽々と乗り越える相手に、いささか憮然となってしまうのも許して欲しい。
「薬のことはともかく、新魔法についても彼はそれなりに早く身につくかもな」
「どうしてですか?」
「彼も『攻略対象』とやらだったのだろう?」
『デフォン・ガタンブ』
差し出された書類にあった名前はかつての同窓生だった。
◇◆◇◆◇◆◇
「レーダーみたいなの作りたいんだよね~ 魔物の距離と位置をある程度離れたところから確認できるような」
「赤外線カメラで遠くの人物を確認するみたいな」
「そうそう、それの応用で事前に魔物の位置がわかるとめちゃくちゃ楽じゃない!?」
「魔物が発する魔力を感じ取ることと、その距離感を測れるようにならないとダメね」
「しばらく研究してみたいから閣下にも相談してみよう」
「わかった、私からもレヴィウスに伝えておくわ」
薬品合成室で思いついた魔法をこうして話し合う時間がアルティニアは大好きだった。
豪華なお城もきらびやかな社交界も相変わらず興味が持てない。そんなところでキレイなドレスを着て、心にもない笑顔でなれ合って、裏で権力闘争なんかするくらいなら魔物と対峙している方が何倍も楽しい。
新しい挑戦にワクワクしていろいろ考えこんでいると、思い出したように声がかかった。
「今日からくるのよね?」
「あ~~そうだった。デフォンは魔力があまり多くないから、ラフィーネみたいに支援や弱体魔法が使えるようになりたいみたい。早く覚えるコツはありますか? センパイ」
「そこは『愛の力』で」
からかい半分に問いかけると、極上の笑顔付ののろけを聞かされるはめになった。
◇◆◇◆◇◆◇
「久しぶりだな、スプルース嬢」
気さくに声をかけてきたデフォンは以前から長身だったが、さらに大きくなったような気がする。
短く整えてある赤毛の頭は記憶よりも上の方にあって見上げるほどだ。
「お久しぶりです、ガタンブ様。騎士団長のご令息がこんな辺境まで来て大丈夫なのですか?」
「四男にはたいした期待もされていないし、自分なりに強くなりたくてここへ来ることを希望させてもらった。よろしくお願いする」
律儀に頭を下げて挨拶してきた。
伸びた身長と違って、変わらない生真面目さが荒くれものの多い辺境ではめずらしい。
「ではまずはここの流儀で、私のことはどうぞ呼び捨てで」
「しかし…」
貴族男性として、身内でも恋人でもない女性を呼び捨てにするのは抵抗があるようだが、そういうものがここでは最も不必要であることをわかってもらわねば。
「閣下はともかく、部隊ではみな一兵士にすぎません。隊員はみな騎士としての誇りより、目の前の魔物を倒すことを重要視する者ばかりです。それがこの辺境です」
「………わかった、アルティニア。俺のことはデフォンと」
杓子定規に『貴族』であることを振りかざすような男ではないと思っていたが、素直に従ってくれたことに安心する。
「それでは改めて、歓迎するわ!デフォン」
アルティニアが笑顔で差し伸ばした手は、デフォンの大きな手でがっしりと握られた。
◇◆◇◆◇◆◇
デフォンが辺境に来て一月が経った。
魔物討伐の傍ら、アルティニア直々に新魔法を教えているが、一朝一夕に身につくものではなく、今日もふたりで遅くまで訓練していた。
かなり遅い時間に兵舎の食堂で食事を取り終え、後片付けをする。
時間外に食事が残されているだけありがたいので、食器の後片付けくらい慣れたものである。手伝えるようになっているデフォンも大したものだ。
「なかなかうまく使えずにすまない」
「ここのみんなだって半年以上かかったから気にしないの!」
「だがレヴィウス様はすぐ使えるようになったと聞いた」
「あれはただの違反です」
「違反?」
「ん~~、聞いてる?」
何をと言わずに問いかけると、デフォンは少しだけ迷うような素振りを見せた。
「ああ」
問いかけと同じように何をと言わない簡素な応えに、すべて知っていることを理解した。
『いまさら真実を公表したとしても誰も得をしない』
双子の兄妹の秘密についての結論はそれに尽きた。
為政者として、そして父親として、国王が第二王女の公的な死を決定した。
18年間、娘と思っていた少女が王女として利用されることがないようにと。
それに血のつながった実の娘も王女という身分を必要としていなかったから。
育ての母を罰することもしなかったことに、アルティニアは深く感謝していた。
「伝えなければならないことがある」
「え?」
「お前たちのことはここへ来ることが決まった時、陛下から直々に聞かされ、一つ託された」
秘密を知る者は少ない方がいいはずなのに、デフォンが知っていたことには理由があったようだ。
「『国益に反しないのであれば、好きに生きるがいい』と。レヴィウス様たちには伝達済みだ。倖せそうな姿を見て、伝えられてよかったと思った」
父としては放任主義ではあったが、決して愛情がなかったわけではない。今後会うことがあるかもわからないが、そのことを感じられただけでもアルティニアは嬉しかった。
デフォンから見ても倖せらしい男とその妻を思い出して苦笑しながら続ける。
「閣下はラフィーネへの『愛の力』でズルするので違反」
「確かに強力そうだ」
一月が経つがデフォンはラフィーネとは一度しか顔を合わせていない。
理由は単純である。レヴィウスが嫌がる、ただそれだけのしかし最大の理由。
アルティニアから見ても度量が狭いと思うが、デフォンも会いたがっているわけではないので放置していた。
「でも、ちょっとうらやましいかな」
「あのふたりがか?」
「うん。自分でもわかってるけど、私は物にも人にもあまり執着しないほうで、それって裏を返せば冷たい人間なのかなってずっと思っていたから。だからずっとひとりの人を、ずっと『唯一』ってきめて、ずっと想い続けていたあのふたりがすごいなって思ったの。ほら、自分にないものを持ってる人に憧れるなんてよくあることじゃない?だからかなぁ、あのふたりにはなんか叶わないって」
常日頃ぼんやりと思っていたことを改めて言葉にして誰かに話してみるとそうだったのかと合点がいった。
アルティニアはあんな風に誰かを好きになったことはない。想われたこともおそらくない。
それが寂しいことだとは思っていないが、一番近くで見ていてやはりうらやましかったのだと。
「俺はお前が冷たい人間かどうかなんて、小難しいことは抜きにして、お前を尊敬している」
「はっ!?」
「お前のおかげでこの辺りでの魔物討伐が格段にやりやすくなったと聞く」
「あぁ、そういうことね」
まさか前世でのめり込んでいた魔物討伐が楽しくて仕方ないからだ、とは言いにくいので称賛は素直に受け取ることにした。
「ありが…」
「それにお前は綺麗だ」
一応礼を言おうとすると剛速の直球が飛んできた。クリティカルヒットをくらって口がぽかんと開いたままになる。
「魔物に立ち向かうときも、魔法を唱えているときも、大口開けて食事しているときも」
デフォンは自分が何を言ってるのかわかっているのだろうか。
男性が女性をほめるときに浮かべる顔はこんな顔じゃないはずだ。
口元も目も笑っていない、まるで魔物討伐の報告を総督にしているときのように、事実を淡々と告げているような顔。
「な、なによ、それぇ」
「そう思っている人間が最低ひとりでもいるって覚えておいてくれよ」
この2年、それなりに口説かれたりもした。何しろ圧倒的に女性が少ない職場である上、アルティニアは確かに美人なのである。
『きれいだと』言われたことなど、冗談にしろ本気にしろ何度もあるはずなのに。
もっと情熱的に口説かれたこともあるはずなのに、デフォンのまっすぐで真摯なまなざしだけがどうしてこんなに心に残るのか。
片付けを終えて自室に戻ろうとするその背中を、アルティニアは何も言えずにただ見送るしかできなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
新しく取り組んでいる魔物を感知するレーダー魔法を実地で試すべく、アルティニアとデフォンは魔物が出没しやすい森へ向かった。
森の入り口で馬車を降り、奥へと向かう。
「うん、いい感じ」
索敵通りに魔物がいて、デフォンとふたりであっさり倒せたアルティニアはご機嫌だった。
しかしその瞬間、ワーム型の魔物が突如地面から現れる。
「しまったっ」
レーダーは地中の魔物までは反映しないので、地面の隆起など視覚的に判断するしかない。
研究中から気を付けねばと思っていたことなのだが、すべて倒したと思った後の隙を突かれた形になってしまった。
大量の酸を含んだ液体弾がアルティニアに向かって飛んでくる。
避けられないと思ったそのとき、横抱きに倒された。
「つっ…」
足先から火傷のような痛みを感じたが、かまわず風魔法でワームを切断する。
「だい…「大丈夫かっ!?」
アルティニアがかけようとした言葉よりも早く声がかかる。
大きいと思っていたその背中でアルティニアを庇ったデフォンの防具は溶けて、むき出しになった背中の皮膚が赤黒くただれていた。
「大丈夫じゃないわよ!!」
慌ててデフォンに回復魔法をかけて、腰のポーチから薬品を取り出す。
「飲みなさいっ早く!」
「お前が飲め。足を負傷しているじゃないか」
「こんなものは魔法ですぐ治すから、いいから早くっ」
半ば怒鳴りながらアルティニアは自分の足を回復魔法で治癒する。
言葉通りそれほどの重症ではないのでそれで十分だし、そうしないとデフォンが薬を飲まないだろうこともわかるから。
予想通りアルティニアの回復具合を見てからようやくデフォンは薬を口にした。
「これは……」
「総督府謹製のエリクシルはよく効くでしょう」
アルフィニアがふふんと自慢げに胸をそらしているうちに、赤黒かった皮膚は元通りになった。
貴重な薬品ではあるが、使わない薬品などに意味はない。なくなったらまた作るだけだ。
デフォンの傷がなくなったことにそっと安堵の息をもらした後、キッとにらみつける。
「落ち着いたところで説教です。なんで庇ったりしたの」
「体が勝手に動いたから仕方ない」
「仕方ないって自分のことでしょうが!」
「考えて動くつもりがそうもいかないこともある。よんどころない事情だ」
「何、難しい言葉でごまかそうとしているのよ。二度とこんな無茶な真似はしないで!」
「悪いがそれは無理だ」
「どうしてよ!」
「お前の方が強いしその実力も信用しているし疑ってもいない。だが、頭の判断と体が別になるときがある。そういうのっぴきならない事態に陥っている」
「だから小難しいことを考えないって言ってたあなたが、どうしてそんな面倒くさい言葉使ってくるのよ……」
うぬぼれて考えるとすると、これは告白されているのだろうか?
いやいや仮にも乙女ゲームの攻略対象がこんな意味不明な言い回しで口説くわけがない。
『好きだから、君を守りたいんだ』くらいの台詞があってしかるべきだ。
疑問符付きの考えしか浮かばなくて、デフォンの顔をじっと見てしまう。
以前と変わらぬまっすぐで真摯なまなざしがそこにある。
それは嘘も他意もないのだろうと信じられるものだった。
酸で負った足の傷は癒すことができたが、靴が溶けてしまいそのままでは歩けそうにない。
マントは背中がむき出しになってしまったデフォンに貸しているため、スカーフを巻いて応急処置としようとしたら、そのマントが目の前に現れる。
正確にはマントに覆われた広い背中が、だ。
「靴なしでは歩けないだろう、馬車までのれ」
どうやらおんぶしてくれるつもりのようだ。
そこは普通横抱きのいわゆる『お姫様抱っこ』ではなかろうか。
重ねて言うが仮にも乙女ゲームのヒロインと攻略対象のはずなのに。
「ふふっ」
「なんだ?」
何故か急にどうでもよくなった。ゲームの中での役割などどうでもいい。
アルティニアがゲームに関係なく生きているように、デフォンも関係ないのだ。
そもそも人づてに聞いただけの、やったこともないゲームなどにどれだけの価値があるというのか。
アルティニアがうれしく思ったことも、いたいと感じたことも、つらいと泣きたくなったこともすべて自分の選択の先でのこと。
今、目の前にいる男が興味深いと思うのもすべて自分で決めたことだ。選択肢を選んでいる外の人なんかいやしない。
「ではお言葉に甘えて」
アルティニアが後ろから首に手を回すとデフォンは苦も無く立ち上がる。
そこから見える景色は日ごろ見ている景色よりずいぶん高く、少しだけ世界が変わって見える気がする。
「ねえ、私、デフォンのこと好きかもしれない」
「そうか」
せっかくはっきりと言ってみたのに、返ってきたのはたった一言。
「それだけ?」
「『かもしれない』が早く取れることを願う」
「そう」
仕返しのつもりであるそっけない応えでは物足りない気持ちの分、アルティニアはデフォンにぎゅっとしがみついた。
同じ方向を見ているから、デフォンがどんな表情をしているかアルティニアにはわからない。
わからないけど持ち上げてくれている腕にさらに力が加わったのは感じた。
『愛の力』で新魔法をどんどん修得する日はおそらくそう遠くない。
最後までお読みいただきありがとうございました。