86.歓談だった筈なのに
ノックの音がして、入室してきたのはワゴンを押したメイドさんだった。白いフリルのエプロンがよく似合っている。
メイドさんはわたし達の前に薄桃色のクリームが素敵なケーキを置いて、お茶のお代わりを入れてくれる。それから綺麗な礼をして部屋を後にした。
ケーキに飾られているのは、砂糖漬けにしたお花だろう。とっても可愛い。
「イーヴォ、お前も席に着け。少し歓談しよう」
「……では、失礼して」
ヒルダに促されたイーヴォ君は、一人掛けのソファーに腰を下ろす。勿論そこにもケーキとお茶が用意されていて、ヒルダが最初から指示をしていたのだろう。
「クレア、髪を切られてしまったのだな」
「はい、マティエルに。でも似合うでしょう?」
「ああ、似合っているよ。イーヴォもそう思うだろう?」
ヒルダの言葉に、お茶を飲んでいたイーヴォ君は派手に咳き込んでしまう。大丈夫かな?
「……っ、すみません。あー……はい、似合うんじゃないでしょうか」
口元をハンカチで拭うイーヴォ君を見て、ヒルダは可笑しそうに笑っている。
まぁ首元はすぅすぅ寒いし、兄天使にやられたと思えば腹立たしいんだけど、それでも似合っているとは自分でも思うのだ。これは整えてくれたレオナさんの、腕が良かったってだけなんだけど。
「災難だったな。アルトから聞いたぞ、遺跡で勇者達と遭遇してしまったと」
「そうなんですよぅ。ていうかあの勇者、とんでもないですよ。土地に眠る澱みを利用して魔物を創り出すなんて」
わたしはフォークを手にして、早速ケーキを頂こうとする……が、飾られている砂糖漬けのお花が増えている。もしかしてと、アルトさんのケーキを覗くと砂糖のお花はなくなっていた。
「アルトさん、お行儀悪いですよ」
指摘をしても、肩を竦めるばかり。まあ分かるけど。甘いものは苦手だもんね。わたしは有難く、そのお花を口に運んだ。うん、甘くて美味しい。
「しかし、解せないのは勇者が西方で魔物を創造していたということ。ネジュネーヴェは勇者に協力する姿勢をとっているだろうに」
「多分、なんですけど……勇者は戦争とは別の思惑で魔物を創造しているんだと思います。もちろん、背後のシュトゥルム王国は戦争に勝つことを第一としているのでしょう。でもあの勇者は戦争の勝敗よりも、この世界を乱そうとしているような……そんな気がするんですよねぇ」
「この世界を乱す。くく、それはまるでシュトゥルムが思う我々の事ではないか」
ヒルダは低く笑うけれど、その声音は侮蔑に満ちている。
「グロムが言っていたな。他国でも守神が狙われていると」
「守神がいなくなればその地は荒れ、魔物に溢れるぞ」
「それが狙いだとしたら? 勿論、勇者がしているとは限らないんですが」
沈黙が部屋に満ちる。
わたしは黙々とケーキを食べ進めると、ぱんと手を合わせた。ご馳走様でした。
「このことについて、神様方はどう思っているんですかねぇ」
「基本的に神々は不干渉だろう?」
「ですが、嫌な予感がするんですよねぇ。何だかこの世界の理が、丸ごとひっくり返りそうな……」
腕を組み、その指先を口元に寄せたヒルダは何か思案しているようだ。こんな場合ではないのだが、非常に色っぽい。泣きぼくろに睫毛の影が落ちている。
「私の方でも、もう少し探ってみよう。戦争の被害を抑える事ばかり意識していたが、もっと視野を広げねばならないようだ」
「わたしも出来る事はお手伝いします。まずはオアシスの浄化ですね」
ぐっと拳を握ると、ヒルダにくすくす笑われてしまう。そんな姿さえ色気に溢れている。……同年代なのに、何だろうこの圧倒的な敗北感。
「すまない、歓談のつもりが厭な話になってしまったな。クレアはこの先、大神殿で過ごすのか?」
「ええ、そのつもりです」
「私も遊びに行って構わないだろうか」
魔王様が遊びに来る。王様って、そんな簡単に遊びに出られるのかな?
思わず隣のアルトを窺うと、アルトさんはカップをソーサーに戻しながら頷いた。
「ああ、歓迎する」
「それは良かった。イーヴォ、その時はお前も行くだろう?」
「ヒルデガルト様の行く所なら、お供しますよ」
「アルトに再戦の申し込みでもしたらどうだ?」
なにそれ。
話の展開についていけず、三人の顔を見回すと……まさに三者三様。
アルトさんは涼しい顔でお茶を楽しんでいるし、ヒルダは悪戯に笑っている。イーヴォ君は苦々しげに眉を寄せていて……これは、アルトさんにイーヴォ君が負けたのかな?
「テメー、憐れんでんじゃねぇよ」
「憐れんでなんてないですよぅ。この人が超人過ぎるだけですからね」
負けても仕方ないよ、超人だもん。出来ない事のほうが少ないんだもん。
「うっせぇ、次は絶対負けねぇ」
「いつでも相手になるぞ」
「余裕ぶってんじゃねぇよ、腹立つ」
「でも、どうして戦う事になったんですか?」
わたしの問いに、イーヴォ君とアルトさんが固まってしまう。ええ、なにこれ。
ヒルダはフォークを手にして、砂糖漬けの花を口に入れると、片目を閉じて見せた。……教えてくれる気は無いようだ。