78.温度
「……心配したんだぞ」
「……すみません」
「俺はそんなに頼りないのか」
「そんな事……。違うんです、わたしは……」
「違うなら、もうどこにも行くな」
腕に力が篭められて、ぎゅうぎゅうに抱き締められている。苦しい筈なのに、どこか安心している自分がいた。
伝わる鼓動はいつもより早い気がする。触れ合う温もりは、やっぱりわたしよりも高い。変わらないその温度に、目の奥が熱くなるほどだった。痛みを感じるくらいに、熱い。
「……迷惑、かけちゃうから、っ……」
「馬鹿かお前は。何が迷惑だと言うんだ」
「わたしと居たら、みんな傷付いちゃう……。あの人は、わたしの周りの人だって、傷つける事を厭わないんだもの……っ」
抱き締める腕に促されるように、両手をアルトさんの背に回した。離れなければならないのに、本当は傍に居て欲しい。伝えられない言葉の代わりに、シャツの布地を指先で握った。
「それのどこが迷惑だというんだ。たとえ傷付いても、俺はお前を守る為に剣を握る。お前を守る為に俺が居ることを、忘れないでくれ」
優しい言葉に嗚咽が漏れる。
震える体も、彼がしっかりと受け止めてくれる。
傍に居てと願いたい。
本当はもうずっと、そう願いたかった。もうひとりにはなりたくない。傷付けてしまうかもしれないけれど、きっとわたしが救うから。だからわたしの傍に居て欲しい。
「……俺の傍に居ろ、クレア。もう二度と傷付けさせない」
この人はいつだって、こうしてわたしを支えてくれる。わたしの欲しい言葉をくれるのだ。
彼の言葉に潜むのは深い深い悔恨の色。
わたしの傷なんて大したことなくて、きっとアルトさんの方が重症だったのに。
言葉を紡ぎだしたいのに、口から漏れるのは乱れた呼吸と嗚咽ばかり。わたしは何度も頷いて、その背に縋りつく事しか出来なかった。
「落ち着いたか?」
「……醜態を晒してしまいました。すみません……」
何度も鼻をかんだし、目元だって何度も擦った。きっと酷い顔になっていると思うし、明日どれだけ目が腫れているのかと思うと怖いくらいだ。
「……こんなに泣いたのなんて、両親が地底牢獄に囚われてからはじめてかもですねぇ」
ふふ、と笑って見せるも、アルトさんは眉を下げるばかり。その腕にわたしを引き寄せると肩を抱いてくれた。促されるままに、彼の肩に頭を預ける。
わたし達はリビングのソファーに並んで座っている。
あの後泣き止んだわたしは、とりあえずアルトさんを家に案内した。荷物を何度か取りに帰ってきていたから、彼がここに居るのも珍しい光景では無くなっている。
「痩せたな。ちゃんと食べていなかったんだろう」
「ひとりで食べるのって、なんだかつまらなくて。そういうアルトさんも、クマが出来ていますよ」
お返しとばかりに指摘してやると、アルトさんは気まずげに目を逸らした。何かあったのかもしれない。
「……ここに来る方法を色々調べていたからな。単純に山を登ろうと思ったが、麓は崖だしなかなか厄介だった」
「登れないですよ、この山は。だから動物さえ棲んでいないんです」
この麓まで来ていたのだろうか。
超人だからこの人なら……いやいや、無理だろう。
「ああ、エールデ様にも止められた。……エールデ様が迎えに行ってくれると言って下さったんだが、やっぱり俺が迎えに行きたくて。多少手間取ったせいで時間をかけてしまったが」
「うぅ、そんなに一番に怒りたかったんです?」
アルトさんの肩に頭を預けたままの姿勢で、その顔を見上げる。先程の怒りを露わにしている彼を思い返すと身震いがする程だ。
はて、相対した時のアルトさんはめちゃめちゃ怒っていたけれど、実際そんなに怒られてはいないような。これから説教されるのかな。
「そのつもりだったんだがな。無事な姿を見て、気が抜けた」
心を読んだかのように、アルトさんは苦笑いをした。肩に回した手で、ぽんぽんと頭を撫でられる。うん、相変わらずの子ども扱い。
ジュディスさん、やっぱり彼から見てもわたしは友人ですよぅ。わたしは遠い王都にいるであろう新しい友人に、心の中で話しかけた。