72.今日も今日とて人助け-二人の冒険者①-
山に戻って一ヶ月、わたしは以前と変わりのない毎日を過ごしていた。
勿論、寂しい。ここには食事の度に大鍋を空にする兄神官もいないし、暇さえあれば恋愛について語る朗らかな妹神官もいない。気難しそうに見えて実は気のいい神官長も、面倒見が良くて優しい超人護衛もいない。
ひとりでする食事は味気ないから適当に済ませる事も多くなってしまった。魔導具を作るのも、銀と魔石を合わせるのが難しくて手をつけていない。
昼間から惰眠を貪っては、眠れない夜を過ごしてばかり。
こんな事じゃいけない。
そう自分に喝を入れると、『生』を願う声が聞こえた。
さて、今日も今日とて人助け!
わたしは魔導具に魔力を流し、色彩を金髪青目へと変えた。以前までの濃茶だと、もしかしたら神殿関係者と出会った時にばれてしまうかもしれないから。
家に帰ってきてから、魔導具に少し手を加えて色彩を変えたのだ。
厚手のコートと手袋、寂しい首元にマフラーを巻いて転移をするべく集中する。手の平に何かが物足りない気がするのは、きっと気のせい。
転移で飛んだ先は、森の中。
冬にも関わらず雪がないのは、きっと南なのだろう。木々はその色を茶褐色に染めているけれど、凍て付くほどの寒さはない。なんだか不穏な気配を感じてその場に大きく結界を張る。わたしを中心にドーム状になったその結界の向こう、爆撃音がした。
気配を探ると、こちらに向かって走ってくるのが二人。恐らく魔物に襲われている。……参ったな、わたしは攻撃魔法は使えない。こんな時、あの人がいてくれたら……いやいや、巻き込まないと決めたのは、離れると決めたのはわたしなのだ。これも自分で乗り切るしかない。
「そこの君、逃げろ!」
「早く! 大毒蛾よ!」
冒険者らしい二人はわたしの姿を見るなり避難を呼びかける。男性と女性の二人組で、男性は既に毒にやられているのだろう、女性の肩を借りている状態だ。顔色も酷く悪い。
女性の方も腹部からはだくだくと血を流している。あれではこの森を抜けられないだろう。うん、わたしを呼んだのはこの女の人だ。……男性に『生きていて欲しい』と強く願った、その声でわたしは導かれた。
「大丈夫ですよ、わたしの側に来てください」
一度結界を解き、二人を側に呼ぶ。怪訝そうに眉を寄せながらも、二人はわたしを見過ごせないのか側に来てくれた。腕を引かれて、尚も避難を促される。
わたしは首を横に振ると、両手を翳して再度大きな結界を張った。何者も通さないよう、魔力を篭めてその結界を堅固にした時、ばさばさと巨大な羽を持った毒蛾が姿を現した。
「さて、どうしましょうか。……とりあえずその人の解毒をしなくちゃいけませんね。あなたのお腹も止血しないと」
大毒蛾はばっさばっさと毒鱗粉を撒き散らしながら、わたしの張った結界に体当たりをしてくる。当然、結界にはヒビすら入らないんだけど……ばさばさ鬱陶しいことこの上ない。
「君は一体……」
男性はその場に膝をついてしまう。瞳に光が無い。視力も失われてきているのだろう。
「ただのしがない屋台引きですよ」
わたしはそう言うと、空間収納を開いて回復薬を取り出した。空間能力を目の当たりにした女性が目を瞠るけれど、わたしは口に人差し指をあてて片目を閉じて見せる。
「これを飲ませてあげてください。飲んだら横になった方がいいですね」
わたしは収納から敷布を取り出してそこに広げると、促されるままに女性が男性を横たえた。渡した瓶の口を開け、男性の口元に寄せると回復薬を飲ませていく。
うん、これであの人は大丈夫。……この回復薬だから治せるのであって、大毒蛾の毒はいくつもの毒消し草を調合しなければ解毒できない厄介なものだ。しかも毒の回りが早く、前もって解毒薬を持っていかなければ討伐する前にやられてしまう。
わたしは女性のお腹に手を翳すと、治癒魔法をかけていく。ライナーさんに教えてもらったお陰で、少しだけれど上達したのだ。緑の光が集まって、だんだんと傷が塞がっていく。痛みもこれで取れるだろう。
わたしが治療に勤しんでいる間も、ばっさばっさと大毒蛾は攻撃をしてきている。もう本当に鬱陶しいんだけど。
見ると男性の呼吸は落ち着いて、顔色も戻ってきている。女性は心配そうに男性の側に付いているけれど、その傷も塞がってこちらも問題なさそうだ。
一応、二人に手を翳して内部損傷を見るけれど……うん、大丈夫。
となると、厄介なのがこの大毒蛾。
わたしの脳裏に、群青色の髪がよぎる。だめ、彼はいないのだから。
グロムを呼ぶことも考えたけれど、わたしはひとりでやっていくと決めたのだ。グロムを巻き込んで、彼を傷つけるのも嫌なのだから。
頼るわけにはいかない。わたしも何でも、ひとりでやらなくては。
わたしは結界越しの大毒蛾に向けて両手を翳す。
その巨体に添うように結界で閉じ込めてしまう。羽ばたくだけの隙間はやらない。羽ばたきが出来なくなった大毒蛾はその場に落ちていくばかり。
それでもまだ凶暴な口は、結界の中でガチガチと獲物を待ち構えている。そう、この大毒蛾は肉食なのだ。鋭い牙が並んでいるのが見える。
わたしは収納から出した魔石を、大毒蛾を包む結界の中に転移させる。その魔石が大毒蛾の体に当たった瞬間、火炎がその蟲の体を包み込んでいた。
どれだけ炎が暴れようとそれも結界の中でだけ。耳障りな断末魔の悲鳴を森に響かせながら、大毒蛾は息絶えていった。
わたしが使ったのは、火炎の魔石。攻撃魔法を使えないわたしの為に父が作ったもので、対象物に当たるだけで火炎魔法を発動してくれる。父の魔導具帳からそれを探し出して、いくつも作っておいたのだ。魔石に式を刻むだけなら簡単だ。台座の銀と合わせるのが大変だから、装飾品に転化しないだけで。
それよりも、うん。うまくいった。
わたしは大毒蛾に掛けていた結界を解くと、休んでいる二人に向き直った。
「あなたは何者なの?」
「ただの屋台引きですってば」
不安そうな女性に、にこりと笑ってみせる。それでも彼女の警戒は解けないようだ。
助けたのに。おかしいなぁ。
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