71.さよなら
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暁降になって雪が止んだ。
わたしは大神殿に借りている部屋で、荷物の整理をしていた。
勇者一行と遺跡でかち合ったのは昨日の事。
傷もすっかり癒して貰って、痕さえ残っていない。切られてしまった髪も、半分泣きながら憤っていたレオナさんの手で見事に整えられた。顎下の短さとなった薄紫の癖毛は、ふわりと揺れている。首元が寒いけれど次第に慣れるだろう。髪飾りが挿せないのは残念だけれど。
部屋の荷物を、空間収納にぽいぽい入れていく。この神殿にお世話になって数ヶ月、すっかり物が増えてしまった。当初はこんなに長居するつもりじゃなかったのに。
家から持ってきたり、買い物にいったりして増えた服や小物。レオナさんに借りていた本はテーブルに纏めて置いておこう。
深い青色のキャンドルホルダーを、割れないようにストールで包んでから収納にしまった。これは先日買い物に行った時に購入したもの。色が分からない状態で選んだら、わたしには青、レオナさんにはピンク、アルトさんがグレー、ヴェンデルさんが黄色、ライナーさんが緑となった。皆、とても喜んでくれて嬉しかったけれど、離れる事をその頃には決めていたわたしには、何だか心苦しくさえあった。
本当はずっとここにいたい。
あの優しい人達と一緒にいたい。
でもわたしがそれを望むと、あの人達を傷つける。
いくら魔導具を持って貰っても、焼け石に水だろう。マティエルに狙われて離脱するのも難しいのだから。
そういえば、今回マティエルの攻撃を受けてしまったアルトさんだけれど、彼はわたしの渡した結界の魔導具を着けていなかったらしい。勇者とやりあう時に発動したら困ると思ったとか何とか……着けていたらあんな大怪我をしなかっただろうに。これは責められてもおかしくないぞと思ったら、ヴェンデルさんに説教されていたから良しとする。
庭に広がる白銀が、暁の色に染まっていく。
ああ、夜が明けてしまう。
枕元でわたしを守る、アラネアの魔導具も持って行く。これのおかげでもう悪夢は見ていない。
この夢渡りの時は、レオナさん達にも心配をかけた事を思い出す。思えばいつも彼女達はわたしに寄り添い、わたしの心を支えてくれた。
そしてアルトさんはそれに加えて、いつもわたしを守ってくれた。わたしを気にかけ、体だけじゃなく心も守ってくれていたのだ。
そんな友人を得られる事はもうないだろう。
わたしはもう、山を降りる事はしない。もちろん、使命を果たしたり買出しなど必要不可欠な外出はするけれど、それだけだ。
誰かと心を通わせるのは、もうだめだ。わたしが耐えられない。
いつかは別れが来ると知っていた。
わたしは不老で、彼らの時間は有限だ。いつかは永遠の別れが来るとは知っていたはず。そう、それが少し早まっただけなのだ。
すべての荷物を収納に入れ終えて、部屋を掃除する。
本を積み重ねたテーブルに手紙を置いて部屋を見回すと、ここで過ごした思い出ばかりが蘇る。
感傷に飲まれてはいけない。早く行かなければ。……違う、帰るのだ。わたしは家に帰るだけ。ただそれだけ。
転移で飛んだ先、シュパース山は朝焼けの色に染まっていた。山に掛かる東雲が何だか眩しい。
久し振りに帰宅した我が家は、結界のお陰で劣化する事も無く、変わらない姿でわたしを迎えてくれた。防御結界も問題ない。誰も訪れてはいない。
訪れるわけがないのだ。こんな、誰も登れもしない天に近い険しい山など。
わたしはここで、ひとりで暮らしていく。
両親を解放する事を、夢見て。
『いままでお世話になりました。
わたしは山に帰ります。本当にありがとう。
あなた達のことは忘れません。どうぞお元気で』