67.戦闘①-勇者-
薄く開かれた、石造りの扉。
なんだかその向こうには危険があるようで、わたしの背中に冷たいものが走った。アルトさんも同じように感じているようで、剣を握る手に力を込めているのが分かる。その表情も固い。
「……クレア、何かあればすぐに転移で逃げろ。俺に構うな」
「そんなわけにいきません。何かあれば、一緒に逃げますよ」
アルトさんは薄く笑うと、扉を大きく開いて中へと足を進めた。
光球に照らされずとも、その広間はひどく明るい。その光源に照らされていたのは、わたしがこの世界で二番目に会いたくない赤髪の男だった。
「あれ、どうしたの。僕に会いに来た?」
わたしとアルトさんの姿を視認した勇者は、明るい調子で話しかけてくる。
その勇者の背後には、相変わらず露出の激しい三人がいる、けれど……。わたしの目を引いたのはその三人じゃなかった。
三人が囲むようにして力を注いでいる、黒い魔方陣。黒雷が魔法陣の側で弾け、彼女達も辛そうだ。……それもそうだと思う。
魔方陣からは、ずず……と不気味な音を響かせて魔物が現れようとしているのだから。
「……この地に眠る穢れを使ったか」
隣のアルトさんの声も低い。そうだ、彼女達がしているのは魔物の創造。この土地深くに溜まっている穢れを吸い上げて、魔物と成している。
「なんてことを……」
思わず声を漏らすと、勇者が笑った。
「穢れでも何でも、使えるものは使う。それにしても、まさか君が釣れるとは思わなかった」
勇者がこちらに足を進めると、わたしの前にアルトさんが立って剣を構えた。
「またお前か。……今度は生身だし厄介なんだよな」
勇者は低く呟くと、後ろの三人に目を向ける。勇者が「もういいよ」と言うと、三人は魔方陣に魔力を注ぎ込むのをやめた。具現化しようとしていた魔物も、魔方陣に消えていく。……あれは魔力を非常に消費するのだろう。だから三人がかりでも時間が掛かる。でももし、もっと強大な魔力持ちが魔力を注いだら? きっと魔方陣からは魔物が溢れ出てしまう。あの魔方陣も何とかしなければ。
「休んでいる暇は無いよ、あの男を殺すんだから。後ろの彼女には怪我させないでね」
肩で息をしている三人に、非情な声がかけられる。玉のような汗を浮かべている三人は異を唱える事無く立ち上がるも、その目に浮かぶのは嫉妬の色。そんな目でわたしを見るのはやめて欲しい。
「わたしはあの魔方陣を封じます」
「分かった。あの連中の相手は俺がしよう。守神を呼んでくれるか」
「はい」
わたしはアルトさんから距離を取ると、先程までよりも大きく固い結界を張って自分の身を守る。戦力外の自分は、邪魔にならない事が一番大事なのだ。わたしが無事ならアルトさんもこちらを気にしないで戦える。
彼らが戦っている間に魔方陣に近付いて封じる大役もあるから、やはり身を守るのは大事だろう。
それにしても、アルトさんからグロムを呼ぶよう言われるとは。合わないけれど、やはり四対一は辛いのだろう。一騎打ちなら負けないと思うけど。
わたしは空間を繋ぐイメージで、北の山を思い浮かべる。
大木の洞で休むグロムが、何かに反応して顔を上げる。わたしと目が合った瞬間、わたしの前には白くて大きな狼が姿を現していた。
『呼んだか、我が主よ』
「良かった、喚べて。彼を助けてください」
『小僧をか? ふむ、気が進まんがお前の頼みならば仕方ない』
「あの人達、穢れを使って魔物を創造しているんです。わたしはそっちに対応しますから」
グロムは大袈裟に溜息をついて見せるも、狼の口元が笑っているように見える。
その体が光を放ったかと思うと、わたしの目の前のグロムは背の高い男性の姿になっていた。
「……えぇと、狼だったのに?」
「戦うにはこの姿が都合良いものでな」
そう言って笑うのは、真白な髪を胸まで垂らした獣耳の男性。白いお耳が頭の上でぴこぴこと揺れている。
目尻を囲うように紅が引かれ、切れ長の瞳は狼と同じ金色。匂い立つ色香の美丈夫になるとは予想外すぎて言葉が出ない。
東国の着物のように前合わせの衣装は腰丈で、金糸も優雅な帯で留められている。ゆったりとしたズボンの縁も金糸で彩られていた。白くて太い大きな尻尾まである。
その手に掴むのは大振りの槍。黒い長柄には細やかな装飾が彫られていた。
「おい、守神。あの赤いのは俺が相手をする。それから名前を呼ぶのは控えてくれ、あいつに知られて呪術でも使われたら厄介だ」
「承知。では我はあの女共だな、任せよ」
「お前も無理をするなよ」
「はい、二人とも気をつけて下さいね」
グロムが人の形になったというのに、アルトさんが気にした様子もない。この人は本当に動じないな。
名を知られるとそこに呪が生まれる。呪術に長けているらしい勇者は、そのちょっとした切欠で呪術を仕掛けるのも可能だと思う。わたし達がいままで頑なに名前を口にしていないのはそれが理由だ。繋がりを増やすわけにいかないから。
調べたら分かる事だろうけど、名を呼ばれてそれに返事をするのとではまた意味合いが違う。そういうものなのだ。
相対する勇者達。勇者は相変わらず飄々としているけれど、後ろの彼女達はまだ顔色が悪い。相当魔力を消費しているようだ。
「あいつは俺を殺して、こいつを手に入れようとしている」
「それは聞き捨てならぬな。我が伴侶は誰にもやらぬ」
「嫁入りしないって言ってるだろうが」
うん、この二人のやりとりはこんな時でも通常通り。緊迫しているはずなんだけどな。思わず苦笑いが出たのも仕方がない事だと思う。