62.静かな夜
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しんしんと雪が降り積もる。
わたしは床の敷物に直接座り、火鉢の側で暖を取っていた。それでも寒いから肩には厚手のストールを掛けているし、両手で温かなココアが入ったカップを包んでいる。
ここはわたしの借りている客間。
カーテンを開けたままの窓から見えるのは、庭の明かりに照らされる、雪の花が舞い降りる様。静寂で耳が痛くなる程に、静かな夜だった。
カップを口元に寄せて、ココアを飲む。少し熱めのそれに舌が焼かれてしまって、わたしは眉を寄せた。それでも体が少し温まっていくのは、心地いい。今度は火傷しないよう気をつけながら、少しずつココアを飲むことにした。
それにしても眠れない。……全く眠気が来ないのだ。
今日はイーヴォ君を助けて、ヒルダとお茶を楽しんで……色々あったから疲れていたはずなんだけど。
夕飯をいただいて、温泉にゆっくり浸かって、あとは眠るだけ……だったのだけれど、ベッドに入っても眠気は訪れてくれない。このままだと夢見も悪くなってしないそうで、わたしは雪見を楽しむ事にしたのである。
花弁雪が積もっていく。きっと朝には雪かきをしなくちゃいけないな。わたしもお手伝いをしよう。……それまでに眠れるといいんだけど。
眠れない理由は分かっている。
マティエルの目的。勇者の目的。シュトゥルム王国の目的。
三者は同じ方向を向いているようで、きっと違うものを欲している。目的を果たす為の協力関係にあるだけで。……でもその目的は、いずれも禄でもないことだろう。少なくともマティエルの目的は、わたしにとって宜しくないのではないかと思う。
マティエルは未だに母に執着している。
地底牢獄に囚われている母に手出しは出来ない。夜神達が地底牢獄に両親を繋いでいるのは、そういう側面もあるのだ。
もしマティエルの手に母が落ちれば、母は手厚く扱われるだろう。ただし、マティエルの側を離れない従順な人形として。
父はきっと無残に殺されてしまう。母を奪ったと、父の事をマティエルは大層恨んでいるから。恨まれているのはわたしもだけれど。
わたしに今まで手を出せなかったのは、わたしがシュパース山にいたからだ。あの場所には父が幾重にも掛けた防御魔法と防御結界が展開されているし、神々が降り立つ聖域でもあったからマティエルは立ち入ることが出来なかった。
でもこうして山から出たわたしの事を、マティエルは見逃さないだろう。わたしを排除する為に、わたしを守るアルトさんは勿論、この神殿の人達にも何をするか……。
まぁあのまま山に篭っていても、いつかはマティエルに襲われていたかもしれない。わたしも結界は直しているけれど、それがいつまでも打ち破られないとは限らないからだ。
暗く落ちていく思考に自嘲して笑う。
今までだって、こんな夜はあったのだ。
色々と考えてしまって、落ちていく夜。誰も傍にいない、自分が世界にひとりだと錯覚しそうになる夜なんて、幾らでも越えてきた。
それなのに、今夜は酷く辛い。この神殿で過ごして友人も出来て、人と触れ合う温もりを思い出してしまったわたしには、この夜は寂しすぎる。
でもひとりで乗り越えなければ。これからだって幾らでも、こんな夜は訪れるのだから。
夜も更けて、寒さが厳しくなってきた。
わたしは火鉢に炭を足して、火を強める。飲み干してしまったココアのカップを床に置くと、冷えてしまった両手を火鉢に翳した。
そういえば、主神ケイオスの事も気になっていたんだった。
主神は混沌を司る、混沌より生まれた創造主。主神の髪を使って他の神々が創られ、神々はこの世界を彩っていった。
主神は混沌を司るけれど、世界を滅ぼすだなんて聞いた事がない。そうなると、それはシュトゥルムが戦争に掲げた大義名分にしか過ぎないんだけれど。
そこまでして魔族を滅ぼしたいのは……ただ単に邪魔だからだと思う。魔族は人族よりも魔力に長けてその力は強大だ。邪魔に思うという事は、シュトゥルムが進む道を魔族が阻む可能性があるということ。
そんなのひとつしかない。この世界を制圧する事。すべてをシュトゥルムの支配化におくこと。魔族が滅ぼされた後は、人族すべてをシュトゥルムが征服するなど容易いだろう。
妖精族やハイエルフ族なども黙ってはいないだろうけれど、それもこの戦争時に力を削いでおけば……?
わたしに出来る事などないのに、考えだけが落ちていく。
膝を抱えるように座り直す。夜着の裾で膝をつつみ、ストールを胸前でしっかり合わせる。それでも体が震えるのは、寒さだけではないのかもしれない。
戦争に関してわたしが出来ることはない。ヒルダ達の手助けはしたいし、請われれば何でもするつもりだけれど。
それよりも、マティエルをどうにかしなければ。このままだとわたしが狙われるのはともかく、あの天使は人を傷付ける事を厭わないのだ。わたしを傷付ける為だけに、わたしの周りの人々を痛めつける可能性だってある。
わたしのせいで傷ついても、彼らはわたしを友人だといってくれるのだろうか。わたしはそれが怖い。……彼らに蔑まれるのが、嫌われるのが何より怖い。
……そろそろ潮時なのかもしれない。
山に戻って、一人で過ごす。友人と離れるのも寂しいけれど、傷付けるより、嫌われるよりましだろう。
気付けば夜が明けてきていた。雪も止み、穏やかな朝。
真白に覆われた庭園に伸びる曙光。空にたなびく東雲が優しい色をしていた。