60.魔王様とお茶②
わたしの言葉にヒルダが目を伏せる。その口元からは薄く溜息が漏れた。
控えていた従者の方が、わたし達にケーキを取り分けてくれる。わたしにはイチゴのたっぷり飾られた生クリームのケーキ。アルトさんには美しい飴細工の鳥が飾られたチョコレートケーキ。ヒルダの前には金粉が落とされた真っ白なレアチーズケーキ。
「……戦争を仕掛けているのは勇者だと、貴方も知っているだろう。勇者を讃える国々が、世を飲む込む混沌とは魔族の事だと、この戦を支持している」
「はい、それは知っています。ですがわたしには、この戦争には別の側面があるようにしてならないのです」
「勇者の出身国であるシュトゥルム王国だな。始めに宣戦布告をしてきたのもあの国だ。うちがそれに応じないから勇者を使って周辺諸国を扇動しているのだろう」
そこまでして魔王を滅ぼしたい理由は何か。
わたしは空間収納を開いて、中から先程イーヴォ君に刺さっていた矢を取り出す。アルトさんが回収してくれたやつだ。
「空間収納か。陣も詠唱もなく使えるとは」
「ふふ、空間系能力はちょっと自慢なんですよ。それより、これ……さっきイーヴォ君が撃たれていた矢なんですが」
お茶を楽しんでいるテーブルに置くのはちょっと避けたい。
わたしは席を立つと、テーブルをぐるりと迂回してヒルダの側にそれを持っていく。近付いてもイーヴォ君や従者の方々が警戒しないのは、わたし達は受け入れられているということだろうか。
「……月神リュナか」
「ご名答。正確には、リュナ様が生み出した天使の一人、マティエルですね」
流石は魔王といったところか。博識だ。
鏃に刻まれている月神の紋章を知っていた。
「マティエル……天使の名を聞くのは初めてだな。クレアは天使と悪魔のハーフと言っていたが、マティエルを知っているのか?」
席に戻ると、アルトさんが気遣わしげな視線を向けてくる。大丈夫だと微笑みかけるも、その表情は晴れない。本当に気遣いの鬼なんだから。
「わたしの母はリュナ様の生み出した天使の一人です。マティエルとは兄妹でした。……天使は武器に弓矢を使うことが多いんですが、矢羽にそれぞれ特徴があるんですよね。この羽根はマティエルの銀羽根ですし、矢羽の端に少し紫を乗せるのはマティエルの特徴なんです」
そう、わたしはこの矢をよく知っているのだ。
わたしが使命を果たす理由、両親の禁忌の理由でもあるあの時に、嫌になる程に見た。
「……クレア、大丈夫か」
脳裏によぎる光景に身を固くすると、隣のアルトさんにはそれがバレていたらしい。そっと手を握られてしまう。また手が冷たいと知られてしまうな。
「大丈夫ですよ」
「マティエルと因縁があるようだな」
わたしの様子にヒルダまでも心配そうな視線を向けてくる。その後ろに控えるイーヴォ君まで。悪態ばかりついているけど、イーヴォ君はやっぱりイイコなんだな。
「すみません、ちょっと取り乱しました。……マティエルには物凄く嫌われているんですよね。彼に言わせるとわたしは忌み子らしいので」
「……悪魔とのハーフということでか」
「そうです」
ヒルダの顔も声も固い。美人は眉を寄せていても綺麗。
アルトさんの体温を分けてもらって、冷えていた手も温まったので、わたしはフォークをとってケーキを楽しむことにした。暗い話になっているから、糖分も必要だと思う。
「イーヴォ君は勇者一行にやられたんですよね? そこにマティエルもいたと」
「……ああ。俺は隊を率いてオアシスの調査に行ったんだ。町の住民が逃げ出している、救助を求めているって聞いてな。向かったらもう生き残った住民は避難していたから、俺達は避難先のオアシスに隊を進めたんだが。……途中で奴らにかちあった」
「オアシスが枯れていたのも……」
「奴らの仕業だろうな。泉が呪われていた」
既に報告を受けているのだろう。ヒルダはそれを聞いて驚くこともなく、優雅な所作で紅茶のカップを口に寄せている。
生き残った、ということは……亡くなった住民も居たということ。そしてそれはきっと、勇者一行にやられた。酷いことをする。
「相手はたった五人だしな、この際だから勇者を討ち取っちまおうと思ったんだが。あの天使と勇者の前に俺らは壊滅。せめてもと、城への転移陣だけ全部壊したんだが……俺もあのザマよ」
「このイーヴォはまだ年若いが優秀でな、警護隊の隊長を務めている。どれほどの手練れだとしても、そう遅れを取ることはないと思うのだが……イーヴォも酷い状況だったのだろう?」
「ええ、足は千切れてるしお腹には穴が開いているし、顔は火傷が酷いし瀕死でしたねぇ」
「酷いな。イーヴォ、クレアに会えてよかったな」
「……それは感謝しています」
不承不承といったように口にするも、イーヴォ君の耳が赤くなっている。照れているのか。そうかそうか。
「不思議なのだが、何故クレアはあんな場所に居たのだ? 勇者を追いかけていたのだろうか」
「いえいえ! そんな事なくて! 本当に! あの人は大嫌いなんですけど!」
ヒルダの何気ない問いにさえ鳥肌が立つ。わたしが勇者を追いかける? 本当に無理、色んな意味で無理。生理的にも何もかも無理!
全力の否定に、テーブルを囲む一同が唖然としたのも一瞬のこと。わたしの必死の形相が可笑しかったのか、皆して笑い始めてしまった。納得がいかない。