15.神官長執務室にて
「お姫様抱っこで帰ってきた理由は分かったよ」
ヴェンデルさんがニヤニヤしながら言うものだから、その散らかった机の書類を全部燃やしてやろうかと思った。
ここは神官長の執務室。すっかりと日も暮れた室内にはランプに火が灯されている。暖かな熱気を放つ暖炉で、薪がパチリと小さく爆ぜた。
勇者一行から逃げてきたわたし達は、ヴェンデルさんに報告すべくそのまま真直ぐに彼の執務室に向かった。そう、そのままの姿。すなわちアルトさんに抱き上げられたままで。
指摘されてようやく気付いたわたし達はすぐに離れたけれど、ヴェンデルさんはニヤニヤしているし、レオナさんは満面の笑みでわたし達を見つめている。普通にしてくれているのはライナーさんだけだった。
逃げる為に最も効率の良い方法を選んだだけなので、ヴェンデルさん達にそんな顔をされるのは非常に不本意だが言い募っても面白がられるだけだ。
「そんな事より、勇者ご一行は、何をしに来ていたんですか?」
「エールデ教の支援が受けられなくなった事への抗議だそうだ」
わたしの問いに答えるのは、執務机で書類に目を落としたヴェンデルさんだ。まだ口元が上がっているが、それは見ないふり。その隣の机ではライナーさんも書類にペンを走らせている。
「面の皮が厚すぎて気持ちが悪いですね」
ソファーでわたしの隣に座るレオナさんが吐き捨てる。
本当にその通りだと思う。レオナさんにした仕打ちを考えれば、エールデ教の神殿に来ることさえ出来ないだろうに。
「あの赤髪が勇者ですよね。お連れの方々は随分と露出過多でしたねぇ」
「あいつらは皆、勇者の寵愛を競っているんです。鎧女が戦士イディア、白ローブが白魔導師サーラ、黒ワンピースが魔法使いリムルですよ」
「ふむ……あの人達って強いんです? あんな姿で防御力があるかも怪しいんですけど」
「まぁ腐っても勇者パーティーですので。勇者はクズだけど実力は確かなので、それに比べたら劣りますが。まぁ伽要員でもありますし……」
「ああ、納得しました……」
忌々しげにレオナさんが顔を歪める。あの中で常識をいくら説いても立て板に水だっただろう。レオナさんの苦労が偲ばれる……。
わたしは背凭れに体を預けて、何度目かも分からない溜息をついた。まぁわたしは何もしていないんだけど。
そんなわたしの様子を見て、隣の一人掛けソファーに座るアルトさんが気遣うような声を掛けて来た。
「疲れただろう、大丈夫か?」
「いやいや、疲れたのはアルトさんでしょう。わたしは運んで貰っただけなので」
「しかし随分消耗しているが」
「うぅん……精神的にやられたというか。……あの勇者、なぁんか変なんですよねぇ」
わたしの言葉に執務の手を止めて、ヴェンデルさんとライナーさんがこちらを見る。レオナさんとアルトさんの視線もわたしに向けられたままだ。
勇者と目が合った時の事を思い出すと、また背筋に冷たいものがあてられたように体が震える。レオナさんがそっと肩を抱いてくれるので、その温もりに甘えるように体を寄せた。
「あの勇者、本当に人間ですか? 何か混ざってる気がするんですよねぇ」
「混ざってる?」
問うてきたのはヴェンデルさんだ。執務机から身を乗り出すようにしている、その表情は酷く固い。
「ハーフとかそういうものじゃないです。何か……うまく言えないんですけど……理に反する存在のような……とにかく気持ちが悪いんですよね」
「……ライナー、勇者の一族について調べてくれるか。レオナ、お前はこの戦争の始まりについて改めて調べ直してくれ」
「かしこまりました」
双子神官の声が揃う。
席を立ったライナーさんは一枚の書類をヴェンデルさんに渡すと、彼はそれにさらさらと何かを書き込んで戻した。受け取ったライナーさんはそれを封筒に入れて、慣れた手付きで封蝋をする。ヴェンデルさんはわたしに目をやって悪戯に笑った。
「今回、勇者の一行が神殿前で騒ぎを起こした事の抗議書だ。王はまた生え際の心配をしなくちゃいけないかもね」
とてもいい笑顔である。
見たこともない王の生え際に、祈りを捧げようかと思ったくらいに。何の祈り? それは勿論、鎮魂の祈りだ。
ヴェンデルさんだけを執務室に残し、わたし達は揃って部屋を後にした。
ライナーさんはこれから王城まで早駆けして抗議書を届けてから、勇者一族について調べて来るそうだ。ちなみにここから王都まで、休憩無しで一昼夜というところ。
レオナさんもヴェンデルさんの指示に従って、少し神殿を離れるという。
二人の身を案じたけれど、この双子神官の実力は間違いないだろう。それでも不安を覚えるのは仕方がない事なので、せめてもと特製回復薬を一本ずつ持っていって貰う事にした。そして何かあれば『生きたい』と強く願うようにも言っておく。……それでわたしが駆けつけるような事は起きないのが一番なんだけど。
「あの二人のことなら心配いらない」
「そうですけど、心配しちゃうのは仕方ないですよぅ……」
「そうか」
残されたわたしとアルトさんは廊下を歩く。
そろそろ夕食の時間だけれど食欲がない。今日は部屋で軽く済ませてしまおう。
「辛いところはないのか」
「わたし? わたしよりもアルトさんですよ。疲れたでしょう」
「俺は平気だが……魅了や呪いは大丈夫だったのか」
「ああ、それは大丈夫です。魅了には耐性がありますし、簡単な呪いなら跳ね返すアミュレットを付けていますから」
エールデ様との話を覚えていたのだろう。あの勇者は魅了や呪いを使い、わたしには呪い耐性がない。
わたしは手首に付けた、紫の石が輝く銀の腕輪を見せた。
「強いものだと跳ね返せないんですが、それ程強いものはしっかりとした術式を展開しないといけません。今回の場合、そんな時間も余裕も相手になかったでしょう。……ただまぁ今回、姿を見られた事で縁が繋がってしまったので、わたしの名前や髪の毛とかを取られたらマズいかもしれません。それを元に術式を組み立てておけば、わたしを視認してすぐに発動出来ちゃうので」
「油断は出来ないということか。身の回りにも気を配らないといけないな」
「そうですね、自衛します」
「……クレア」
「はい」
名前を呼ばれるなんて珍しいな。そう思ったけれど、余りにもその眼差しが真剣なものだったから茶化すのはやめた。
「外出する時は必ず俺をつけるように。それが例え夜中だろうが、朝方だろうが遠慮はするな。いいな?」
「分かりました。わたしもあの勇者に捕まるのは勘弁なので、すみませんが頼らせて貰いますね」
「そうしてくれ」
いつもよりもアルトさんの口数が多いのは、心配してくれているからだろう。
わたしとしてもあんなパーティーに加えられて、伽相手にされるのは御免蒙りたいので有難く守られる事にする。
アルトさんに部屋の前まで送って貰い、そこで別れる。歩く度にたなびくマントの裾が角を曲がるまで見送ってから部屋に入った。
指先を振って、ランプに火を灯す。ついでに火鉢にも。
これは東の国で使われている暖房器具だ。わたしの両腕が回るくらいの石が深くくりぬかれ、そこで炭に火を点け暖を取る道具。個人の部屋には暖炉がないので、この神殿では皆、火鉢を使っているそうだ。
窓側の壁、天井付近にある換気口も忘れずに開ける。
そこから書き物机に向かったわたしは、空間収納を開いて、中から一冊の本を探り当てた。
これは父が書き残した魔導具の本。手先が器用な父は様々な魔導具を開発していたのだ。それに魔力を吹き込むのは母の役目だった。
右上がりの特徴的な悪魔文字を目で追いかける。
暫く頁をめくった先でお目当ての魔導具を見つけたわたしは、引き出しから羊皮紙とペンを取り出して、必要な材料を書き出していった。
ふと見上げた空には真ん丸の月がひとつ。
赤く染まったその月は、あの勇者の瞳のようで酷く気味が悪かった。