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136.聖域ジェラニエ

 転移で飛んだ先には荒れた大地と、真緑を風に揺らす森があった。

 魔物の気配もない。穢れも澱みもない。生物の気配もない。


 遠くで聞こえる波音は怨嗟の声にも聞こえる。薄暗く、分厚い雲に覆われた空は今にも雨を落としそうな程に濁っている。


「ここが、聖域?」

「聖浄な神気に包まれてはいるが、豊かな土地ではないな」

「混沌が近いからですかねぇ。混沌に通じているのは最果ての地だけで、他の船縁(ふなべり)には壁があるんでしたっけ?」

「そうだ。東西南北に最果ての地があり、それらを結ぶようにして不可視の壁がある。それが世界と混沌の境界線だな」


 振り返っても、見えるのは不毛な大地だけ。

 遠くに山影があるでもなく、永遠ともいえるほどに同じ風景が繋がっている。


「クレア、グロムを呼べるか」


 アルトさんの声が険しい。

 彼の視線を辿ると、森の中から二人組が姿を現していた。


 白銀の美しい翼を広げた、マティエル。その濃紫の瞳から感情は読み取れない。

 右手に聖剣を握った、勇者。結ばれていない赤い髪が風に靡いている。


 わたしは意識を北の山に向ける。それに気付いたグロムが高く遠吠えをしたかと思うと、わたしの隣には既に人の姿をとったグロムが転移をしていた。


「主、よく呼んでくれたな。ここは……?」


 マティエルを苦々しげに睨んだグロムが口端を吊り上げる。


「ここは最果ての地です。彼らはここで、シャルテを復活させようとしている」


 今まで調べた事を、ほとんどグロムにも説明してある。

 だからわたしが伝えたそれだけで、グロムも理解してくれて頷いている。


「相手方もこれが最後のつもりなのだな……」


 グロムの呟きは、怨嗟の風に溶けていった。



 わたしを守るように、アルトさんとグロムが前に出る。

 アルトさんは既に剣を抜いているし、グロムだって槍を手に、二人とも臨戦態勢だ。



「……やってくれたよね、本当にさ」


 嘲りを含んだ勇者の声。その感傷が誰に向けられたものなのか、わたしには分からなかった。


「僕達の計画が全部壊れた」

「あなたは……どうしてそこまでして、シャルテを復活させようとするんですか」


 思わず口にしてしまった問いかけに、勇者の赤眼がわたしを捉えた。その瞳に以前のような怖気が立つほどの輝きはない。何も読み取れない、虚ろな赤だった。


「僕がシャーテ様の器だから。シャーテ様が復活する為に生まれたんだ、僕は」


 勇者が聖剣を掲げて見せる。金に煌めく美しい装飾の剣なのに、その刀身はどこか陰りを帯びている。

 アルトさんが警戒したように、わたしの前に左腕を伸ばす。


「この剣はシャーテ様が自らの魂を砕いて、その欠片で作られたものなんだ。伝承通りに聖剣が輝いて引き抜いた時に、僕の中にシャーテ様の意識が流れ込んできた。その時に僕は……自分がシャーテ様の魂を受け止められる器だという事を、僕が――シャーテ様が完全になる為には封じられた本体を解放しなければならない事を理解したんだ」


 吹き抜ける風が冷たい。

 勇者の赤い髪が風に遊ばれる。


 勇者と相見えたのは多くない。それでも、嫌というほどの関わりを持っていたのも事実。でもいまわたしの前にいる勇者は、その時に全身から漲らせていたような自信や覇気、闘志などを失っていた。

 憑き物が落ちたような、穏やかな表情。これから――世界の理を大きく乱そうとしているにも関わらず。


「同じ力を持っているのに、影でしかない悲しみ。光を浴びるのはいつだってケイオスで、()はその光から生み出される影でしかない。()はケイオスの付属品でしかなく、皆が求めるのはケイオスだけ……」


 勇者が嗤った。口端を歪に吊り上げているのに、泣きそうな程に瞳を陰らせて。


「同じ力を持つんだ。()()()()()だって同じ場所に立つ権利がある」


 怨嗟の波音が大きくなる。

 

「お前、いつからそこまで()調()していた」


 言葉を紡いだのはアルトさんだった。声色は固く、その眉間には皺が寄っている。


「同調……? そうか、あはは……僕の心はシャーテ様に……」


 対する勇者の声は虚ろ。

 勇者の心は、シャルテに呑まれている。()()としての自我がいつまで残るのか。彼の言葉を信じるのなら、彼が聖剣を抜いた時に流れ込んできた意識が、徐々に彼の心を侵していったのだろう。

 非道な行いを数々としてきたのはこの勇者だ。同情する気は欠片も起きないけれど、心が侵されるというのはどれだけ恐ろしい事なんだろうか。


 勇者がその赤眼にわたしを捉える。

 グロムが視線を遮る為にわたしの前に立とうとするけれど、わたしはグロムの腕に手を添えてそれを制した。

 彼の瞳にもう呪いの光はない。


「僕が君に惹かれたのは、君の魂にも影があるからかもしれない。君、天使と悪魔のハーフなんでしょう? 悪魔を父に持つが故の魂の影。シャーテ様の器である僕が持つ魂の影と一緒なはずなのに、君の魂は眩いほどに美しい」


 泣きそうな程に、勇者の瞳が揺れた。

 こんなにも悲しげな笑みを、わたしは他に見たことがない。その悲痛さに飲み込まれるのが怖くて、わたしは思わずアルトさんの背に手を添えた。ただそれだけなのに、肩越しに少し振り返ったアルトさんが、わたしの手を握ってくれた。


「初めて会った時から、君の魂が影を宿す事も、その影さえ輝いている事もわかっていた。僕と同じでありながら、僕とは全く異なる輝きに惹かれないわけがない。君が欲しくて仕方なくて、君を手に入れたら僕も同じようになれるんじゃないかって」


 勇者が天を仰ぐ。

 ああ、やっぱり彼はなんて悲しい人だろう。


「憧れだったよ、()()()


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