134.終結は唐突に
髪に触れていた手が握られる。
アルトさんが起き上がる気配を感じて、わたしもうたた寝から目を覚ました。足にあった温もりや重みがなくなると、何とも言えない物寂しさと……強烈な痺れに襲われた。
「すっかり寝てしまったな」
「わたしも、寝ちゃい……うぅ……」
痺れに悶絶しているとアルトさんが低く笑った。ヘアバンドで髪をおさえ、身支度を整えている。太股を叩いたり擦ったりしていると、次第に痺れも収まってきた。
「頭を避けてよかったんだぞ」
「いやぁ、わたしも寝ちゃいまして……」
へらりと笑って見せると、アルトさんも笑って頭を撫でてくれる。そんな些細な触れ合いにさえ鼓動が早まる。アルトさんは何を思って、触れてくれるんだろう。
――コンコンコン
わたしの思考はそこで途切れた。
ノックに応えてアルトさんが扉を開けると、そこには見習い神官の女の子が立っていた。使者が帰り、ヴェンデルさんが呼んでいると教えにきてくれたらしい。
王の使者は何の用事だったんだろう。
応接間に通されたわたし達を出迎えてくれたのは、非常に難しい顔をしたヴェンデルさんとライナーさん、レオナさんだった。
三者三様ではあるけれど、皆、何とも言えない表情をしている。
「お帰り、アルト、クレアちゃん。一の月での事を聞きたいんだけど、まず僕からひとつ。……戦争が終わった」
使用人さんが紅茶とコーヒーを準備してくれて、部屋を後にしてすぐだった。衝撃的な話を切り出しながら、ヴェンデルさんは紅茶にブランデーを垂らしている。
「戦争が、終わった……?」
思わず言葉を繰り返したわたしは、アルトさんと顔を見合わせる。二の月で話していた通りの展開になっている。というより……早くないか。
「魔王が側近を数人連れて、シュトゥルムの王城に乗り込んだ。シュトゥルムと勇者が守神を討っているという証拠を引っ提げて」
紅茶よりもブランデーの割合が多くなっているんじゃないか。そんなカップを口に寄せながら、ヴェンデルさんが説明してくれる。
証拠とは、熊の守神が捕まえてくれたあの男達のことだろう。
「その証拠を元に、和平交渉の席に着くよう促した魔王様の前で……シュトゥルム王が殺されたそうだ」
「えっ?」
シュトゥルム王が殺された。
――誰に?
ヒルダやイーヴォ君の姿が思い浮かぶ。わたしはお砂糖を落とす事さえ忘れて、紅茶を口にした。広がる苦味さえ気にならない程に、わたしは動揺していたのだと思う。
わたしの背中をアルトさんがそっと撫でてくれた。
「王を殺したのは、王太子だそうだよ」
「王太子って……身内にって事ですか?」
「そう。この王太子は戦争に対して疑念を抱いていたそうでね。自分と腹心だけで戦争について、エルステの伝承について調べ――魔族と密に繋がっていた」
ヴェンデルさんはティーカップを呷って紅茶を飲み干すと、そこにブランデーを注ぎ始める。
「魔王が城に乗り込んで、意識がそっちに向いていた。しかも魔王は証拠まで連れてきてくれた。王太子はそれを機と捉えて、シュトゥルム王と王に追随していた大臣達を討った」
「それで戦争は終わったと……」
「戦争賛成派の国々は大混乱に陥っているようですよ」
わたしの呟きに、ライナーさんが苦笑しながら答えてくれた。
レオナさんはその隣で頷いている。
「エルステの人々は罪に問われるんでしょうか」
もとは、エルステの伝承から、聖剣が輝いたところからこの戦争は始まった。
伝承を信じて魔族を憎んでいたあの人たちは、いま何を思っているのだろう。
「それも新しい王の裁量次第だろうけれど、エルステの谷自体が罪に問われることはないんじゃないかな。あの人達はただ伝え継いできただけだからね。ただ勇者とそのパーティーに対してはそう寛大な処分にはならないだろうね」
勇者パーティー。その一員だったレオナさんは?
わたしがはっとしてレオナさんに顔を向けると、レオナさんはにっこりと笑ってくれた。
「私の事は大丈夫ですよ。わたしはパーティーにも長く居たわけではないですし、寧ろ追放されて殺されかけたと。悪事には一切荷担していないと、あの使者にもはっきりお伝えしましたから」
「それなら良かったですー……」
安心に力が抜ける。わたしの様子にレオナさんがくすくすと肩を揺らした。
「戦争が終わったといっても、しばらく情勢は荒れるだろうね」
「勇者はいまどこにいる?」
ヴェンデルさんに問いかける、アルトさんの声は鋭い。
そうだ、勇者も本当に後がなくなった。シャルテを復活させる為に何をするかわからない。
そして後がなくなったのはマティエルも。きっと二人は一緒に居るだろう。
「勇者は行方不明。うちでつけていた間謀もまかれてしまった。パーティーの面々はシュトゥルムで拘束されているそうだよ」
あの美女軍団は捕まったのか。
勇者の指示に従っただけなのかもしれないけれど、レオナさんを殺そうとして、魔物を創造していたあの人達に同情する気は一切ない。
「まずいな。時間の猶予はないかもしれん」
「どういうこと? 一の月で何か問題があったのかい?」
ヴェンデルさんがその形のいい眉を寄せる。
ライナーさんとレオナさんの顔色も悪い。息を飲んでアルトさんの言葉を待っているようだ。
「リュナ様を保護して二の月にお連れした。リュナ様はマティエルに薬を投与されて、呪いに侵されていた」
アルトさんはコーヒーカップを手に言葉を紡ぐ。
それを耳にした三人は絶句してしまったのだけど、一番復帰が早かったのはレオナさんだった。
「マティエルって、あの、クレアさんを狙ってる天使ですよね!? クレアさんは何もされていないですか!?」
テーブルに両手をついて、向かい合うわたしの身を案じてくれる。それがなんだか嬉しくて、わたしは表情を和らげた。
「わたしは結界に籠っていたから大丈夫ですよ。アルトさんが相手をしてくれましたから」
「良かった……」
安堵したようにレオナさんがソファーに座り直す。その頭を隣に座るライナーさんがぽんと撫でた。
ライナーさんも笑みを浮かべて「安心しました」と言ってくれる。
ああ、この人達はいつだって優しい。
わたしは胸に灯る温もりに表情が和らぐのを抑えきれず、それを隠すようにティーカップを口元に寄せた。