124.グロムからのお願い事
二の月から戻ったその日に、エールデ教の神官長であるヴェンデルさんに詳しい事を説明をした。だけども理解の範疇を越えていたようで、何度も説明をするはめになってしまった。
まぁそれもそうだと思う。助けたのが天使で、その天使は勇者とマティエルに襲われて。送り届けて二の月にまで行ってきて、今度は一の月に行く……だなんてちょっと意味がわからないよね。
同席していたレオナさんとライナーさんも行きたいと言ったけれど、人数が増えると危険も増す潜入なので遠慮して貰った。レオナさんには『アルト様から絶対に離れたらだめですよ』なんて言い聞かせられたけれど。
わたしはそんな事を思い出しながら、父の魔導具帳をめくっていた。
モーント様の言った通り、姿を隠す魔導具も、気配を消す魔導具もあったけれど、これをひとつに纏められないかと思っているのだ。
羊皮紙にペンを走らせ魔式を組み立てる。ああでもない、こうでもないと頭が沸騰しそうになっていた時に、わたしを呼ぶ声がした。
助けを求めるものではない。『生きたい』と願う声ではない。
これは――グロムだ。
「グロム? どうしました?」
『主、いま話しても構わないか?』
「ええ、大丈夫ですよ」
『守神を狙う者がいるであろう。我も重々気を付けておるし、他の守神にもそう言っていたのだがな』
グロムの言葉に、鼓動が早まる。まさか他にまた、守神が討たれたのだろうか。
『また守神が狙われたらしい』
やっぱり。そういえばクルトさんはルーランの西の森で勇者達と会ったと。その森も守神がいなくなったと言っていなかったか。
『それで、守神がその悪漢を捕らえたのだが』
「……はい?」
『返り討ちにしたそうだ。それでどうしたらいいか困った奴から、我に連絡がきたのだが、主と小僧に頼めるか?』
「えっと、それはもちろん。その守神様はご無事なんですか?」
『声は元気そうだったぞ。すまぬがそれも診てやってくれ』
「わかりました。場所はどこですか?」
『魔王領の南にある山だ』
魔王領の南。アルトさんに聞けば場所も分かるだろう。
それにしてもまさか守神を狙う人を捕まえられるなんて。また操られた人かもしれないけれど、どちらにせよ有難い。
「すぐに向かいますね」
『うむ、何かあれば連絡するようにな』
「はぁい」
念話を切ったわたしは散らかった机もそのままに、身支度をする。魔王領ならコートを着なくても平気だろう。わたしはストールだけ肩にかけると部屋を飛び出し、隣の扉をノックした。
――コンコンコンコンゴンゴン!
中では苦笑いしている気配がする。
すぐに開いた扉からは、やっぱり苦笑したアルトさんが顔を出した。いつものマントにヘアバンド。腰には剣が携えられていて、身支度も既に終わっている。
わたしだと分かって、すぐに支度をしてくれたのだろう。
「連打するな」
「前もこんなやり取りしましたねぇ」
「ああ。ノックしないで入っていいんだぞ、とまた言わせて貰うが」
「だからお着替えしてる最中だったら困るでしょう。悲鳴あげたいんですか」
「男の裸を見たら、悲鳴をあげるのはお前じゃないのか」
「見たことないから分かりませんが、普通は見られた方が悲鳴をあげるものでしょ。ってそんな事より、魔王領の南の山に行きたいんです」
慣れた軽口にペースを乱すところだった。
わたしが口にすると同時に、ポケットから地図を出したアルトさんは、魔王領の南にある山―セードル山―を指差した。
「ここだな。何があった?」
「グロムから連絡があったんです。ここの守神様が、守神様を狙う人を捕まえたって」
「……は?」
「ね、凄いですよね。それでどうしていいか困った守神様が、グロムに連絡してきたそうですよ。とりあえずその人を回収しに行きましょう」
「分かった」
アルトさんは一度部屋に戻ると、何やら束ねたロープを手にしている。そうか、捕まえた人を拘束しないといけないものね。
それにしても、さすがのアルトさんも突拍子のない事にはあんな反応になるんだな。わたしはくすくすと笑みを忍ばせ、アルトさんと手を繋いだ。転移の目的地はセードル山、守神の場所まで。
転移した先、セードル山には厚い雲がかかっていた。これは急がないと雨が降ってしまうかもしれない。
「守神様はどこですかねぇ」
「……もう少し奥のようだな。歩けるか?」
超人の気配探知がそういうのなら、歩くまで。わたしはもちろんとばかりに大きく頷いた。
「大丈夫です。急がないと雨が降りそうですしね、走ってもいいですよ」
「それならお前を抱えた方が早い」
くく、と低く笑われて腹立たしいのと同時に鼓動がとくんと跳ねた。それでもやっぱり腹が立つからべーっと舌を出して、わたしはずんずんと歩き始めた。
後ろで超人が笑いを噛み殺しているのは、充分伝わってきたけれど構わずに。
近付けば、わたしにも守神の気配が感じられた。
グロムのように力強く、雄々しい神気。これがこの山を守る、守神。
気配を感じたらもう、すぐ近くの場所だった。
木々が乱立する中にぽっかりと開けた場所。そこには小さな泉があって、その畔にいたのは大きな白い熊。
背を向けて座っていたその熊は、わたし達が近付くと肩越しに振り返った。グロムのような金色の瞳が、やはり赤く縁取られている。
「こんにちは、守神様。ネジュネーヴェの北の山におわします守神様より伺って参りました。わたしはクレア、彼はアルトといいます」
わたしとアルトさんは守神に近づき、頭を下げる。敵意は感じられない。
『お主が狼の嫁か』
「違います」
『なんだ。狼も意外と奥手ではないか』
グロムが何と言っていたのか容易に想像がついて、苦笑いが漏れる。
守神はその大きな腕を上げると、ちょいちょいと手招きをした。その様子が何だか可愛らしい。わたしとアルトさんは呼ばれるままに守神の前に回り、そして絶句した。
男が二人、その場に倒れ伏している。意識はないようだが、命に別状はないようだ。言葉を失ったのは、熊の両足が男達の上に投げ出されていたから。
まぁ確かに縄もないし拘束も出来ないけれど……こんな巨体だもの、足だけでもとんでもない重さになるだろう。それが体に乗っているなんて、縄で縛るよりも余程の拘束になるかもしれない。というかよく圧死しなかったなと思う。
男達から顔を上げると、どこか得意気な守神と目が合った。その口元はしっかりと笑みの形に吊り上がっていた。