116.レアチーズケーキとジャスミンティー
7時にも投稿しています。
本日、2話目です。
ヒルダから連絡が来たのは、わたしが鳥を飛ばしてから十日経った日の事だった。
『待たせてすまなかった。帰城しているから、貴方の都合のいい時に来てくれて構わない』
アルトさんにすぐにでも行ける事を確認したわたしは、その旨を鳥に託して飛ばすと、作っていたお菓子の仕上げに急いで取りかかった。
レオナさんが座って待っているから、これだけ作ってから行かないと!
「こないだ来た魔族の人って、クレアさんが助けた人なんですよね?」
「そうですよ、イーヴォ君です」
「あの人って……」
お、レオナさんはイーヴォ君が気になるのかな?
わたしは内心でそんな事を思いながら、型に入れたままのレアチーズケーキにシロップ漬けにしておいた桃を飾っていく。また薔薇の形になるように、一枚ずつ丁寧に。
「タレ目なのに目付き悪いって、不思議ですよね」
予想外の言葉にわたしは盛大に吹き出した。とっさにケーキから顔を背けた、わたしの反射神経は自分でも褒め讃えたいと思う。
「もう、レオナさん~」
「不思議じゃないです? タレ目って雰囲気柔らかいイメージだったのに、あの人って滅茶苦茶目付き悪いんですもん」
わたしは気を取り直し、ゼラチンを溶かしたシロップを桃の上に流していく。魔法で冷気を上からかけて、冷やし固めて出来上がり。
そっと型を外してから、アラザンとミントを飾って……うん、可愛い。
「イーヴォ君は目付きが悪いけど、優しい子ですよ」
「それは何となく分かります。人が良さそうだな、とは」
うんうん頷くレオナさんの前にケーキをホールごと置く。彼女は既に大きなフォークを手にしていて、食べる準備は万端だ。
いただきます、と明るい声を響かせて、レオナさんはケーキにフォークを刺していった。
わたしは大急ぎで、もうひとつあったレアチーズケーキも同じようにして仕上げていく。出来上がったそれを箱に詰めたのだけど……その頃には、レオナさんのケーキは半分ほどに減っていた。
もう一台のケーキに視線を向けているから、遮るように慌てて蓋を閉めた。
「これはだめですよ。ヒルダのところに持っていこうと思って」
「……はぁい」
「冷蔵庫にチョコレートムースが入っていますよぅ。ライナーさんとヴェンデルさんの分もありますから、皆さんで召し上がって下さいな」
「はい!」
しょんぼりしていたレオナさんの表情が、ぱあっと一気に輝いた。その落差が可笑しくて肩を揺らしてしまったのも仕方がないことだと思う。
「じゃあ行ってきます」
「お気をつけて!」
にこにこ笑うレオナさんに、わたしも笑顔で応える。
それからわたしは転移をするべく、ケーキを抱えてアルトさんの部屋へと向かったのだ。
「テメー、何が可笑しい」
ヒルダの城ではイーヴォ君が出迎えてくれた。挨拶もそこそこに、わたしはレオナさんの言葉を思い出して吹き出してしまったのだが。それに対して更にイーヴォ君の眉間の皺が深まってしまった。
失礼な事をした自覚はあるから、謝ろうとは思うのだけど……本当にタレ目なのに目付きが悪いなぁ。
「ごめんなさい。今日も目付きが悪いなと思って」
「ああ?! テメー喧嘩売ってんのか」
「そんなつもりはないですよぅ。今日も元気そうで何よりです」
まだ何か言いたげなイーヴォ君は、わざとらしく溜息をついてから廊下を先導してくれた。悪い事をしちゃったとは思うけれど、イーヴォ君が本気で怒っていないのは伝わってくる。彼はなんだかんだで優しいのだ。
イーヴォ君に案内されたのは、最初にヒルダに謁見したお庭の東屋だった。
季節も移ろい、あの時とは咲いている花が違っている。いまは大輪のダリアの花が私を見てとばかりにその姿を風に揺らしていた。
今日のヒルダは黒髪を緩く結い上げて、首回りにある後れ毛がなんとも艶かしい。長い睫毛に縁取られた薄茶の瞳も輝いて、右目元の泣きぼくろが今日も印象的。
白シャツに黒のロングスカートというシンプルな出で立ちなのに、色気が立ち上っている。
「よく来てくれたな、クレア、アルト」
「忙しいのにすみません。時間を作ってくれてありがとうございます。これ、良かったらどうぞ」
わたしが手にしていたケーキを差し出すと、控えていたメイドさんが受け取ってくれた。箱を開けて、ヒルダに中を見せている。
「美しいケーキだな。折角だから皆で頂こう。お茶の準備を頼む」
ヒルダの言葉に、メイドさんはにっこり笑うとお茶の支度をする。わたし達は勧められるままに席につき、イーヴォ君も含めて四人で丸テーブルを囲んだ。
東屋の中に、心地のいい風が吹き抜けていく。寒くもなく、暑すぎもない。乾いた風にわたしの髪が顎先で揺れた。
「それで、私に聞きたい事とは何かな?」
「ええと……主神である、ケイオス様の事を伺いたいんです」
「ふむ、ケイオス様の事を。どういった事が聞きたい? 主神が世界を作った話は既に知っているだろうが」
「……ケイオス様はいま、眠りについていると聞きました。それが、何故なのかを」
わたしの言葉に、一瞬ヒルダの瞳が揺れた。
イーヴォ君が息を飲んだのもわかった。
無言の中で、メイドさんがお茶を出してくれる。今日は花茶だった。ポットの中に花が幾つも咲いていて、ジャスミンの香りが鼻を擽る。
「……綺麗だな。このケーキは、クレアが?」
メイドさんが一度テーブルにケーキを置く。シロップのおかげで艶めく薔薇に、ヒルダが笑みを深めた。
「そうです。これでも料理が得意なんですよ」
「凄いな。早速頂こう」
メイドさんがそれに応えて、ケーキを切り分ける。給仕の仕草がひとつひとつ優雅だった。
全員の前にケーキを並べたメイドさんは、一礼をしてからその場を離れる。残ったのはテーブルについたわたし達四人だけ。
ヒルダがフォークを取り、レアチーズケーキを一口大に切り分ける。それを合図としたようにわたし達もお茶やケーキを楽しみ始めた。
先程のわたしの問いは、宙ぶらりんになったままで。わたしもアルトさんも、それには触れなかった。