102.シュトゥルムへ
わたしは自室で荷物を纏めていた。
リボンカチューシャを飾った髪色は既に金に変わっていて、瞳の色も青に染まっている。先日、金ピカ鎧やお供の騎士にシュトゥルムで出会ってしまったばかりなので、丸眼鏡はやめた。
歩きやすい編み上げブーツに、膝下丈のワンピース。それに旅人風のローブを被っている。大きめな肩掛けカバンには、多少のお金と身分証、それに着替えだとか旅に必要なものが入っている。
ちなみに身分証の名義は【ラウラ=テレジオ】という偽名である。これはヴェンデルさんが手配をしてくれたそうなんだけど……エールデ教って一体、と思ったのは内緒だ。
――コンコンコン
軽やかなノックが響く。きっとアルトさんだろうと思って、扉を開けたわたしが見たのは……アルトさんだけれどアルトさんじゃなかった。
髪色は艶めく金色に。前髪が半分だけ上げられていて、綺麗な形の額が見えている。天鵞絨色の瞳は穏和な光を宿していて、こめかみからチェーンを垂らしたモノクルが右目に掛けられてる。尖った耳が特徴的で、どう見てもエルフの青年だし、ローブを纏ったその姿は旅人にしか見えなかった。
「……別人ですね」
「俺がエールデ教の人間だとばれたら、共に居るお前が危険になるかもしれんからな」
「絶対にばれないと思います」
「お前がそう言うなら安心できる」
アルトさんは青みがかった暗い緑色の瞳を、悪戯に閉じて見せる。これは別の意味で目立ちそうだ。
「アルトさんの名前は何でしたっけ」
「ディーノ=ヴァリラだ」
「ディーノさん。間違えないようにしないと」
「お前はラウラだったか」
「ええ、ちゃんと返事が出来るか不安ですねぇ」
反応できるか不安だけど、まぁやるしかない。わたしはラウラ。わたしはラウラ……。
心の中で呟いていたはずなのに、いつのまにか口に出ていたらしい。アルトさんが肩を揺らしているけれど、色彩や髪型が違うだけで雰囲気がまったく違っていて何だか不思議な感じがする。
「大丈夫だ。そろそろ行くか」
「そうですね」
わたしは咳払いをしてから、肩に掛けたカバンの紐をぎゅっと握る。逆手をアルトさんと繋いだら意識を集中させた。
転移した先は、地図で座標を確認していた森の中。
ネジュネーヴェとシュトゥルムの国境に程近い場所だ。エルステの谷は入る時に身分証の確認をされるらしい。その身分証にシュトゥルムに入国した印が無いのは不自然だろうと、徒歩で国境を越える事にしたのだ。
旅人は徒歩でもおかしくないし、そういった人は少なくないらしいので問題ないだろう。
わたしはといえば、そんな場合でないのは分かっているけれど……正直わくわくしている。隠しているつもりだけれど、隣を歩くアルトさんを伺うと何か言いたげに笑っているから、隠せていないのかもしれない。
だって旅だなんてはじめてなんだもの。転移しないで歩くだなんて、何だか楽しくなってしまうのも仕方がないと思う。
アルトさんはといえば、ヴェンデルさんと一緒に視察で出掛ける事も多かったらしく、旅自体は慣れているらしい。いつもは馬車だというけれど、それも楽しそう。
森から出たわたし達はさりげなく、街道を歩く人々に紛れてシュトゥルムとの国境にある関門へと行き着いたのだった。
「ディーノ=ヴァリラとラウラ=テレジオ、ネジュネーヴェ出身か。どこに行くんだ?」
「エルステの谷へ。勇者様のご出身地を、ぜひ拝見したくてね」
身分証を提示したわたしとアルトさんを、やけにじろじろと見てくる兵士だった。わたしは内心の嫌悪感を表情に出さないよう、にっこりと笑って見せている。
アルトさんも穏やかな笑みを顔にのせ、いつもより柔らかな口調で兵士に対応している。
「おお、そうか。勇者殿は残念ながらこの国を離れているが、その武勇伝を谷の者に聞くことは出来るだろう」
「わぁ、それは楽しみです!」
勇者がシュトゥルムの英雄だというのは本当なのだろう。厳かった兵士の顔が喜色に崩れる。わたしはそれに応えるよう、両手を合わせて弾んだ声で喜んで見せた。兵士は満足そうに頷くと、行っていいとばかりに顎で先を示す。
わたし達は会釈をして関所を後にした。
「……勇者様ですかぁ」
わたしはアルトさんと並んで歩きながら、周りに誰もいない事を確認するとぼそっと小さく呟いた。それを耳にしたアルトさんは、うんざりしたように表情を崩してしまう。
「自分でも鳥肌が立った」
「いやいや、お見事な演技でしたよ?」
「お前こそ。楽しみだと今にも跳び跳ねそうだったな」
わたし達は顔を見合わせて笑いだしてしまった。
だって、『勇者様』って! それがアルトさんの口から出るものだから笑いを堪えるのが大変だったのだ。
まぁとりあえずシュトゥルムには入国できた。
このまま進んで、すぐ近くの大きな町で一泊する予定だ。そこからはエルステの谷まで乗り合い馬車が出ているようなので、それに乗っていくことになっている。
「そういえば、こないだ金ピカ鎧とあったのは、シュトゥルムのどの辺りなんですかねぇ」
「ここより大分南の方になる。会うことはないだろう」
「それなら良かったです。それにしても良くわかりましたね」
「家名を口にしていただろう。その領地で調べただけだ」
……言ってたっけ。正直なところ、金ピカ鎧が印象に強すぎて顔も何も覚えていないのだ。触れられた事の不快感だけはまだ覚えているけれど。
まぁ不快な事を好んで思い出すこともない。
わたしは気持ちを切り替えて、旅を楽しむ事に決めたのだった。
読んでくださってありがとうございます。
これからも宜しくお願いします!