101.護衛、怒る。
「だめだ」
きっぱりと紡がれる拒否の言葉。
それを発した当人はその美貌に浮かぶ不快さを隠さずにいる。東雲色の瞳は眇められ、その視線が棘を帯びてわたしに突き刺さるようだった。
「ちゃんと変装していきますし、危ないことはしませんからぁ!」
「それでもだ。大体エルステになんぞ行かなくても、調べたい事があるなら俺が調べてやる」
そう、わたしは勇者の故郷である『エルステの谷』に行きたいとアルトさんにお願いして、却下されているのである。
ここはアルトさんの自室。お願いがあって訪ねたわたしをアルトさんは快く迎え入れてくれたのだけど、ソファーの隣に座っているアルトさんにそのお願いを話した途端に、彼の纏う空気が急速に冷えきっていってしまったのだ。
これは説得が難しいな。ならば……押しきるしかないでしょう。
「アルトさんも着いてきてくれるでしょう?」
「お前が行く所には俺も行く。しかしエルステにお前を行かせるわけにはいかない」
「わたしは金髪青目でいいとして、アルトさんにも変装して貰わないとですね」
「クレア」
「勇者がシュトゥルムを離れている時にしましょう。所在確認って出来ます?」
「クレア!」
呼び掛けも無視して話を進めようとしたら、珍しく大きな声を出されてしまった。両肩を捕まれて強制的にアルトさんに体を向けられると、彼の話を聞くしかない。……怒っているのがわかる。山に迎えに来てくれた時以上に怒っているのではないだろうか。
正直、怖い。
アルトさんに怒られるのも、エルステに行くのも。もしかしたら勇者に会ってしまうかもしれないし、勇者の出身地で何があるかも分からないし。
それでもわたしは、確かめなければならないのだ。
「……アルトさん、エルステの伝承を覚えていますか?」
「『聖剣が輝く時、混沌が世界を飲み尽くす』……だったな」
「おかしいと思いませんか? 世界の危機に勇者が立ち上がる事を示すなら……『混沌が世界を飲み尽くす時、聖剣が輝く』となるんじゃないでしょうか。『聖剣が輝き、混沌を打ち払う』とかでもいいはず。でもこの伝承だとまるで、聖剣の輝きは混沌が世界を飲み尽くす合図となるような……。なんだか違和感が強いんですよね」
わたしの肩を掴んでいたアルトさんの手から、力が抜けていく。その瞳や表情からは棘が消えて、どこか愕然としているようだった。
「最初に勇者と邂逅した時に、わたしが『何か混ざってる気がする』と言いましたよね。それも確かめたいんです。本当に勇者は勇者なのか」
アルトさんはわたしを真っ直ぐに見つめている。わたしもその視線から目を逸らす事はしなかった。
一人で転移することはもちろん可能だ。危険かもしれないけれど、そっちの方が面倒ではないかもしれない。
だけどそれは出来ない。
わたしを迎えに来る為に命まで懸けてくれたアルトさんを、わたしの傍に居ると言ってくれたアルトさんを、裏切る事なんて絶対にしたくないのだ。
カーテンの向こうで、強風に煽られた窓が揺れる。その音を合図とするのように、アルトさんはふぅっと大きく長い溜息をついた。
「何を言っても、譲らなさそうだな」
「すみません。でも調べたいんです」
「調べてどうする? 表舞台に立って勇者を糾弾するのか?」
「それは……分からないです。わたしに何が出来るかわからないけれど、出来る事がもし有るのなら、やらないわけにいかないでしょう?」
「それでお前が、危険に晒されてもか」
「アルトさんがいるから大丈夫です」
わたしとしては当たり前の事を言ったつもりだけど、アルトさんは刮目している。そんな表情が珍しくて、なにか悪い事を言ったのかと自分で自分に問うてみるけど……間違っていないよね?
「……え? アルトさん、わたしを守ってくれるでしょう?」
「守る、が……お前ってやつは」
アルトさんは両手で視界を閉ざすと、そのまま天を仰いでしまう。アルトさんが何に呆れているか読み取る事が出来ないわたしは、戸惑いがありありと顔に張り付いている事だろう。
「……分かった。エルステにいこう」
「本当ですか?! やったー!」
もっと説得に時間が掛かるかと思っていた。数日は覚悟していたから、ちょっと拍子抜けしてしまった感もある。しかし説得成功は素直に嬉しい。
「俺は勇者と敵対しているからな、この姿では行けない。俺にも色彩を変える魔導具を作って貰えるか」
「もちろんですよぅ! 幻覚や認識阻害も出来ますけど……」
「いや、それらを弾く術式が谷に掛かっていたら厄介だ。シンプルに色を変えるくらいでいいだろう」
「わかりました。何色がいいです?」
アルトさんには何色が似合うかな。特徴的な色だから瞳も変えないとだけど……なんだか勿体ないなとも思う。とても綺麗な色をしているから。
わたしがそんな事を考えていると、アルトさんがヘアバンドを首まで下げた。隠れていた耳の先はもちろん尖っている。
「金髪と緑目にしよう。エルフという設定でいく」
「設定というか、あながち間違ってもいないですけどね」
エンシェントエルフのハーフだもの。
でもそうか。特徴的な耳を出して、エルフに多い金髪にしていればアルトさんだとは分からないだろう。
「ありがとうございます、アルトさん」
手間を掛けさせてしまうけれど、アルトさんと一緒なら大丈夫。そう思って心からの感謝を伝えると、おでこを指で弾かれてしまった。痛い。
きっと赤くなっているであろうその場所を手で擦りながらアルトさんを睨むけれど、彼は気にした様子もない。
「正直、今も乗り気ではないぞ。反対して、お前が一人で向かっても困るからな」
「もう一人でどこかに行ったりしませんよ。アルトさんを裏切るような事はしません」
「……そうか」
アルトさんは満足そうに笑うと、わたしの頭をぽんぽんと撫でてくれる。その温もりがすっかりと自分に馴染んでいる事に気付いたけれど、それに抗う事なんて出来るわけもなく。
こども扱いのようなその優しさを受け入れるしかなかった。
いつもありがとうございます!