0.むかしばなし。
月神祝の夜だった。
一の月と二の月が共に満ちる、一年にたった一度の日。
しんとした夜気の中、雪のない丘には一面に咲いた天満花。大輪の白い花が、冷たい風に揺れている。
二つの月が眩すぎて星は見えない。手元を照らす明かりさえも不要な程に明るくて、静かな夜だった。
わたしは天満花を一輪ずつ、丁寧に摘んでいく。
これは月下でしか咲かない花。月神祝の捧げ物。
芳しい花香がふわりと漂う。夜露に濡れた花弁が、月映えてきらりと輝いた。
「メ―――――?」
わたししかいない筈の花丘に、ふと声がした。誰かを呼んでいるような、熱を孕む声。
その声に覚えは無いけれど、振り返る。周囲を見回すと、その声の主は白銀の美しい翼で月を背に浮かんでいた。愛しいものを見つめるような、蕩ける微笑。
「……っ!」
逃げないと。
その人を見た瞬間、わたしの中で警鐘が鳴る。背中に冷たいものが当てられているかのように、体が震える。怖い。
「違う。お前は忌み子だ」
冷たい声。
浮かんでいた笑みはとうに消え去り、憎悪の視線がわたしに突き刺さる。
ドン、と強い衝撃に体が揺れる。
目を落とした先、わたしの胸には一本の矢が刺さっていた。銀の矢羽の端に乗った紫色は、わたしを射抜いた人の色彩と同じだった。そして、わたしとも。
貫かれた胸が痛い。溢れる血が熱い。
逃げなければ。わたしはこの人に殺されてしまう。息が出来ない。
「か、は……っ……!」
呼吸が出来ない。痛い痛い痛い。
意識を集中させようとするも、痛みでそれもままならない。
その人が再度動いた時、わたしの意識は暗転した。痛みはもう感じなかった。
そしてわたしの運命は変わる。贖罪へと。