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忘れじのスミレ

作者: 丸太



 最近、魔術師の女性が一人、笑う黒猫亭にひょっこりと現れた。

 肩に付く位のぼさぼさの茶髪に茶色の瞳で、深い青色のローブを着こんでいる。拠点としている冒険宿は他にあるらしいが、自分が居る所よりも人が多くて楽しいからという理由で、しばしば笑う黒猫亭のカウンターでペールエールを飲んでいる。クエストにも行かずに飲みふけるその姿は、彼女がろくでもない人間であることを示していた。しかし別に悪い人間でも無かったので、他の冒険者ともよく飲んでいる。

 笑う黒猫亭に来ない日は何をしているのか聞いたら、自分の根城の冒険宿で二日酔いで苦しんでいると答えたらしい。本当にどうしようもないロクデナシだ。

 スミレは今日もまた、魚の煮付けをカウンターでつつきながらペールエールを飲んでいた。そこへ、「やあ、スミレ。ぼくたちの宿に新入りが増えたよ」と、黒髪の少女が話しかけに来る。スミレは「あ~、サクラちゃん」と、顔を綻ばせた。スミレは今日も目の下が赤い。まだ夕暮れ時だが、既にだいぶ酔っぱらっているようだ。


「新入りって、後ろの子?」

「うん、エリックって言うんだ。今のところ戦士希望だって。この子のこと、気にかけてあげてね」

「いいよ」

「エリック、この人はスミレ。いつも酔っぱらってる魔術師だよ。別の冒険宿所属だけどね」

 

 サクラに紹介されたエリックは、金髪赤目の顔立ちが整った少年だった。柔和な顔立ちで、戦士希望といっても細身である。エリックはよろしく、とほほ笑む。気は弱いが、人のよさそうな笑みだった。


 サクラはスミレだけではなく、冒険宿に居る人間には一通りこの新人のことを紹介していたらしい。スミレが一番最後にエリックを紹介されたらしく、「これで今居る人は全員紹介したかな、うん。じゃあ、僕は明日の準備があるから先に上がってるね。何か困ったことがあったら言ってね」と、サクラは二階に上がっていった。


「えっと、隣に座っていい?」 


 エリックが穏やかに笑いながらスミレに聞いた。スミレは頷いて、「何か食べる?」と壁にかかってある黒板を指さす。エリックは頷き、メニューをじっと眺める。

 スミレは暫くペールエールを黙って飲んでいた。しかし、暫くしてもメニューが決まらないようだったので、「私が好きなの適当に選んでいい?」と、本当に適当にメニューを選んだ。

 何しろ、黒板のおすすめメニューの上から三つを全て頼んだ。すべてメイン料理なので、二人で食べるには量が多いかもしれない。気の良い主人にスミレがカウンター越しに幾つかメニューを伝える。

 

「ごめんね、俺って優柔不断で」


 エリックが少し恥ずかしそうに答えた。優柔不断は別に悪いことではないが、冒険者には向いていない性格だ。なにしろ冒険者は上のランクになればなるほど、一瞬で死ぬ職業だ。 


「これだから家族には冒険者は向かないって言われてるんだ」


 その言葉を聞いたスミレは、頭をふわふわさせながら、「そっか」と、エールを舐めるように飲んだ。

 スミレは本当に酔っぱらっていて、エリックの言葉に頷くしか能が無い。酔っぱらっていて、明日この話を覚えているかもわからない。

 でもそれが丁度いい時もあるのだろう。エリックは、気が付けばスミレに身の上話をしていた。

 といっても、エリックの身の上話は、割と有名なので調べれば直ぐに分かることだ。


 エリックは有名な冒険者一族の生まれだ。

 家族からの教育の為に、エリック自身の腕もそこそこ立つが、天才や化け物と呼ばれる他の家族との力量は雲泥の差だ。

 彼の家族が、頭一つ飛びぬけ過ぎている。だから、エリックはずっと、落ちこぼれ扱いされている。

 とはいえ、周囲からエリック自身に向けられるのは哀憫であった。化け物に囲まれる凡人であることが明らかだったからだ。

 彼自身は顔もよく、人も良いので、家族からも周囲の人間からも、特に嫌われてはいない。


 話しているうちに、エリックの心は沈んでいく。

 彼の暗い表情を見て、「仕方がないなあ」とスミレは頬杖をついた。 


 それから、エリックとスミレは取り留めのないことを話した。

 __話したはずなのだが、エリックの記憶には残っていない。

 覚えているのは、スミレの瞳が亜麻色だったこと。 

 そして気が付けば、エリックはカウンターに突っ伏して眠っていた。

 宿の主人に、上の階に早く上がれと起こされたのだ。

 スミレは既に二人分の会計を済ませて帰っていた。


「酒もほどほどにしとけよ、スミレみたいにならんようにな」


 主人は、エリックが酒で酔いつぶれたと思っているらしい。

 しかし、酒を飲んだ記憶も無かった。それを言うと、主人には「飲んだ記憶も無くすほど酔っぱらったのか」と返されるだけだろう。

 起き上がって、そのままふらふらと二階に上がるときに、「ああ、エリック。何度も言ってるが、低ランクのうちは、複数人でクエストを受けるんだ」と主人から声がかかる。

 エリックは、ぼんやりとした頭で、「スミレに頼んでみるよ」と答える。

 主人は目を見開いて暫く階段の方を凝視したが、既にエリックは二階へ姿を消していた。


 しかし、スミレは翌日も、翌々日も__それから一週間まるまる、冒険宿に訪れなかった。宿の主人は安心して、「他の奴とクエストに行け」と言った。エリックは宿に滞在する同ランクの冒険者と薬草取りのクエストに行ったが、スミレとも絶対に行くと少し意固地になって、スミレの宿まで自分で頼みに行くといった。しかし誰も、スミレの冒険宿の名前を知らない。もともと、笑う黒猫亭にも気が付けば居た魔術師だ。急に来なくなっても不思議ではない。

 そんな事を思っていると、八日後にひょっこりと現れた。真っ青な顔で現れて、やはりカウンターに座ってエールを頼む。げっそりと痩せていて、頬はこけている。主人はつまみとエールを彼女の前に置いて、「どうしたんだ、お前」と声をかける。


「酒を部屋で飲んでたよ。ずっと」

「部屋で一人酒か?」

「寂しい気持ちになりたくて」


 そうか、とそれ以上主人は聞くことを止めた。

 暫くして、他の冒険者とのクエストから帰ったエリックが「スミレ!」と目を丸くして駆け寄ってくる。


「探してたんだよ。一緒にクエストに行こうよ」

「え、え~?」


 カウンター越しに主人からペールエールを受け取りながら、スミレは面食らう。

 酔っぱらっていないスミレは弱気だった。 

 エリックの押しの強さに、どもる様に「う、うん」と頷く。エリックは破顔して、「それじゃあ、明日」と二階に上がっていく。


「困ったなあ」


 スミレはエールを舐めるように、ちびりと飲む。


「うちの期待の新人だ、少しは仕事できるんだろうな?」

「……まあ、少しなら」

「すまんが、カードを見せてもらぞ」


 ごそごそと、スミレは懐からカードを主人に差し出した。

 随分と年季が入ったカードであった。主人の目が見開かれ、困惑の表情を浮かべる。


「__おまえ、なんで此処で酒なんて飲んでるんだ」

「置いて行かれてね、弱くて……」

「今は隣国でのクエストだったか。長期任務の」

「うん。もうすぐ帰ってくるらしいけど」


 スミレは主人からカードを受け取り、またごそごそと懐にしまう。

 ひどく気まずそうな表情だ。


「おまえは__忘れじのスミレか。俺も気が付かないとはな」

「まあ」

「それなら大丈夫か。疑ってすまなかったな」

「明日は薬草取りとかが良いな」

「分かった」


 不幸なことに、酔っ払いと主人の話を聞いているのは、騒がしい店内で、他にもう一人居た。

  


▼▼▼


 


 素面のスミレはエリックと薬草取りのクエストに出かけた。

 運が悪ければ弱いモンスターが数匹出てくるだけの、簡単なクエストだった。

 酔っぱらっていないスミレの顔色は悪く、太陽の下でその白さはますます際立っていた。

 飲んでいる時は饒舌なのに、素面だとあまり話したがらない。


 森へと足を踏み入れて暫くして、二人は男三人に囲まれる。

 野盗ではない。彼らは明確な敵意をもって、エリックを見ていた。


「お前が、エリックか」


 まずスミレが、不意打ちに近い状態で殴り飛ばされる。

 スミレはよろよろと地面に倒れ、杖を奪われた。

 次に動揺したエリックが別の男から斬撃を受ける。

 体格の良い男から繰り出された斬撃で、エリックは自分の剣を地面に落とした。

 そして、男はエリックをしこたま殴り__そして、胸を足で押さえ込んだ。


「俺が、何かしたかな」


 微かに呻きながら、エリックが男に尋ねると、男は片眉をあげた。


「あいつらの、家族であること」


 死ぬ前にと、エリックを傷つけるために、男たちは理由を説明した。

 エリックは人が良いので、心を痛めるだろう。

 

 スミレはぼんやりとしながら男たちの話を聞いたが、エリックが悪いわけではなかった。

 彼の家族が、人に良く恨まれるらしい。

 化け物染みていて、周囲の人間を理解できないのだという。

 周囲の人間も、人間の情を理解できない彼らを理解できない。

 そうして認識齟齬が生まれる。

 その上、化け物と一緒にパーティーを組んで帰ってこなかった冒険者も多い。難易度を考えると、仕方がないことでもあった。

 蛮族との戦いで、冒険者といえども数百人規模で戦うことも多い。

 彼らに、兄の最期の様子を聞きに行った男が居た。「なんのクエストで死んだ人?」と、返された。そして、男が言ったそのクエストですら、彼らは覚えていなかった。

 どうでも良かったのだ、化け物たちは。家族の命を、きっと捨て駒のように扱ったのだ。 

 証人は誰もいないが、男たちはそう思ったのだ。


「お前が死ねば、流石にアルバート家も悲しむだろうよ」

「そうだといいね」


 エリックは男に踏みつけられながら、自虐的に笑った。

 家族は「弱かったから」と思われるだけだ。


「……アルバート家?」


 エリックが殺されるのを待つ場面に、口を挟んだ者が居た。

 青白い顔のスミレだった。きっと彼女も、エリックが殺された後に殺されるのだろう。

 スミレはくたびれたような表情で、後ろ手で縛られいる。頬には青紫色の痣があった。巻き込んでしまった、とエリックの心に罪悪感が浮かぶ。


「アランの弟?」

 

 気の抜けた顔だった。酒を体の中にに詰めないと、スミレはいつも青白い顔でぐったりとしている。

 彼女もアルバート家に恨みを持つものだろうかと、エリックは頷く。

 アランは微睡む羊亭、という化け物の巣窟のような冒険宿に所属している冒険者だ。今は隣国でクエストをこなしている。

 名誉なことなのに、嫌そうにしていたのが印象的だった。


「仕方ない。しかたない、よね」


 スミレは悲しそうな顔をして、ぐっと息を飲み込んだ。


「ねえ、きみたち、私のことを離してよ。あの冒険宿で、あんなに仲良く話したじゃないか」


 がらりと、スミレの雰囲気が変わったのが分かった。まるで歌っているかのような、心地よい声だった。

 弱弱しそうな表情は鳴りを潜め、ひたすら困ったなあ、という顔をしている。

 

「いや、知らないな」

「そんなことないよ。よく私の顔を見て思い出して。きっと後悔するよ」


 じろり、と周囲の男たちがスミレを眺める。

 そのうち、誰かが「あ、お前、あの時の!」と思わず顔を綻ばせた。あまりにも雰囲気に似つかわしくない、親しい者に向ける、暖かい笑みだった。

 それぞれ、男たちはスミレに見覚えがあるらしく、不思議そうに瞬きをしている。


「スミレだよ」

「スミレ、今まで何処に居たんだ。探してたんだぞ。急に来なかったから、死んだかと」

「生きてたよ。以前はよく、話をしたよね。亡くなった家族のことを、エールを飲みながら話したよね」

「そうか? そう、だな……」

「亡くなった家族とは、仲が悪かったよね。嫌われていたね。でも、君は大切に思っていたのかな」

「大切、に。ああ」

「いや……疎遠だったね。でも、風の噂で、死んでしまったことを聞いたって」

「そうだったな」


 どうも、様子がおかしい。

 男たちの返事が、次第にぼんやりとした声色になっていく。


「君たちのこと、よく、慰めてあげたね」

「……ああ」

「寂しい時は、抱きしめてあげたね」

「そう、だな」

「溶けあうような夜を忘れてしまったの?」

「あ、あ……すまない」


 スミレの後ろ手を掴んでいた男が、壊れ物を扱うようにそっと手を離した。

 手首に青白く痣が浮かび上がっている。

 すまない、と男は謝罪する。

 いいんだよ、とスミレは神様のように笑った。

 スミレは次に、エリックを踏みつけている男を見た。 


「エリックのことも、放してあげて。私の友達なんだ」

「そうなのか? でも……」


 エリックを踏みつける足の重さが、迷うように軽くなる。

 今なら振りほどけそうだ。スミレは男を払いのけようとしたエリックを手で制す。


「君のことを嫌いになりたくないな」


 男が、はっとした。

 呆然として、慌てて足をどける。

 もつれる様にスミレの元にかけより、「そんな酷いことを言わないでくれ」と崩れ落ちる。


「大丈夫、まだ後戻りできるよ」

「良かった」

「さて、街に帰ろうか。その憎しみのことは、忘れてしまおうね」

「わかった」

「先に戻っててね」

「ああ」

「今度、ペールエールでも飲もうね」

「また、話を聞いてくれ」


 気の抜けた男たちは、ぼんやりとした表情のまま街へと向かう。


「さて、エリック」

「……スミレ、あれは?」

「私の魔術だよ。催眠術みたいなもので、これしかできない。君も、今日あったことは忘れてしまおうね」


 スミレの声を聴いていると、頭がぼんやりする。

 意識が微睡んでいく。体を引きずりながら歩いてきたスミレに抱きしめられると、お互いの体温がミルクのように混ぜあった。

 暖かくて幸せな気持ちだ。このまま、何も考えられないまま、スミレの一部になれたらどんなに幸せなんだろう。


「また、やってしまった」


 悲しそうな声が聞こえる。

 何がそんなに悲しいんだろう、とエリックはぼんやりと考える。ずっと彼女を守ってあげたい。

 優柔不断な自分の、一番大切なものを見るけることが出来た。

 これからは、彼女が良いと思うものを肯定して、嫌なものを否定して生きていこう。

 なんて簡単なんだろう。

 何でそう思うのかなんて、単純すぎて、エリックは忘れることにした。もう思い出すこともないだろう。






 








「暫く、スミレを見てないね」


 笑う黒猫亭一階。

 エリックは不満そうに周囲を見まわした。スミレとクエストに出てから、エリックはたまに、不満な顔をするようになった。

 人の良い柔和な表情を引っ込めて、胃の中の、ざらりとした表情を見せることがある。


「ねえ、マスター。本当にスミレのこと、知らないんだよね」 

「知らん」


 宿の主人は、仏頂面でグラスを吹いていた。

 そこへ、「主人ー、ペールエールひとつー」と、へべれけになったスミレが入ってくる。 

 エリックは破顔して、スミレの隣の席に座った。 


「最近、どうしたの?」


 スミレの目の下が赤い。ぼんやりとした表情のスミレを見ると、エリックは溜まらなく抱きしめられたくなった。

 溶け合うような温かさを覚えている。服も皮膚も邪魔で仕方がない。


「酒を部屋で飲んでたよ。ずっと」

「部屋で一人?」

「寂しい気持ちになりたくて」

「どうして? ここで飲めば寂しくないよ」

「自分を傷つけたい時もあるんだよ」


 スミレはマスターがカウンター越しに渡したペールエールを舐めるように飲んだ。

 

 

 





本編には出てこなかったですが、スミレは異世界人です。

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