陰謀
さて、人間を『剥製』とする人物がいるならば、当然の理屈として行為の対象者、過去彼に剥製にされた人物も存在する訳だ。
人間に剥製にされる―その真偽はともかく―彼ら彼女たちもそこに至るまでの事情がある訳である。
「困窮に喘ぎ、今まさに息絶えんとする若者を『人間剥製師』が掬い上げた」
「ある種の特異な身体的形質を持ち、周囲から迫害された不憫な者たちに『剥製』の身での安息の地を用意した」
などと言ったエピソードが、彼の伝承に添えられているが、その中でも一際恐ろしい逸話。
「人間剥製師がその地を来訪中。ある儀式により、指定した時間、指定した場所に指定した通りの条件に当て嵌まった人物を連れて行くと約定。『人間剥製師』を呼び出したならば、彼はその約束した刻限に現れ、約定にある人物を『剥製』として連れて行く」
――「ならば」と、人はこう考える筈だ。
「自分の気に喰わぬ相手、排除したいと願った相手を、手段は構わぬが拉致し指定された時間まで監禁。儀式で呼び出した『人間剥製師』に差し出しさえしてしまえば。『彼がその地で行った収奪について、王国は全て不問とする』この不文律に則り、自らは直接手を下すこと無く、監禁拘束の罪からも逃れ、その排除したいと願った相手を闇に葬れるのでは」
実際のところこの様な行為に及ぶには、以下のような障壁が待ち構える。
まずは遥かに高い相手への明確な悪意。どれだけ相手に憎悪を抱こうとも、実際に葬るとなるとその心理的な障壁は思った以上だ。
次にタイミングの問題。
肝心の『人間剥製師』当人が己が地を訪れなければ、話は始まらないのだ。
どれだけ相手に殺意を抱こうとも、良心の前にやがては頭にのぼった血が降り、熱も冷めようというもの。
そして彼の存在に対する懐疑。
前述の通りその存在が実しやかに囁かれる『人間剥製』ではあるが、実物を見た者はいないのだ。
はるか昔からの迷信。自分たちが生まれる以前から存在するこの国に蔓延する不文律に対する畏れを抱きつつも、しかしなお良識ある大人たちは知恵を巡らせ、
「初めからおかしいって言っているんだ。何でこの国開闢以来の貴族ってのが、あんな若いなりをしてるんだ」
「王の信頼を得ているというのはあれです。敢えて特異な経歴を際立たせそちらに注意を向け、その実密かに各地を内偵して回り報告する、王の間諜なのかも知れません」
などと云った合理的・常識的な解釈をするものなのだ。
存在の定かでない『人間剥製』を造ると称する「似非奇術師」相手に、憎き相手の誘拐略取を依頼するなど、自ら犯罪教唆を宣言したに等しい愚行ではないか。
間抜けにも愚行を犯した貴人や商人たちの弱みを握って、彼らの頭を抑えつけてきたその術こそ、この貴族の処世術・成り上がりの方策なのでは。そう深読みに深読みを重ねる者さえいたのだ。
だから『人間剥製』の儀式を信じるには、おおよそ一般的な常識からの逸脱、人間を『剥製』にするという行為への、昏い共感が必要なのであった。
ただ常識から外れ迷信に身を任すだけなら、人界から離れた山奥でサバトに狂奔する知性なき老婆にも出来よう。
彼を実際に呼び出す方策を知るには、この国の裏世界に対する精通。複雑に込み入った教則を解読し、遂行するインテリジェンスが求められた。
その全てをカトレアは持ち合わせた。
自らの全てを奪い取っていった、義妹への強い殺意
『人間剥製師』その人がこの地を来訪中という巡り合わせ
狂気に侵された故の常識からの逸脱・昏い共感
儀式を記した教則を読み解く深い知性
――かつて義妹を救うために身につけた手際、その時の事件をきっかけにして存在を知り、成長してから実際に通じるに至った「影」とのやり取りが、「裏」に通ずる道を開いていたとは皮肉なものだ
「あの娘を『人間剥製師』に差し出してしまえば良い。『剥製』って云うのが何なのかは所詮私達には預かり知らぬ話だ。私たちにあるのはあの娘がここから永久に消え去ったのだという『事実』のみ。だけども私はその事実さえあれば十分なの」
儀式はつつがなく終了した。
後は指定された刻限までに『体』を用意しなければ。
カトレアは決心する。