勇者、英雄あるいは魔王と呼ばれた男
男は英雄と呼ばれた。
小さなころに男を除く村の住人を魔物に殺された。
それは、単なる偶然。
魔物に滅ぼされた村の話など、珍しいかもしれないが探せば見つかる程度。
――だが、人は理由を求める。
かわいそうに。
きっと魔王が襲わせたんだ。
そうに違いない。
――そうして、どこにも居ない魔王が生まれた。
憎しみを胸に、男は力を求めた。
あの時自分に力があればなにかが違っていたかもしれない。
そんな、覆ることない過去を夢想する。
あの時こうしたら、もしあの時に俺がいたら。
男は酒の席で、酒臭い息と共にその話をする。
自分が辿るべきであった最も正しい道を。
しかし彼の語り口が随分と立派な物だったから、人々はそういうものかと納得した。してしまった。
――理想的な、勇者の誕生であった。
関与しない場所で勇者が産まれている。
そんなことなど男は知らず、仲間とともに魔物を狩っていく。
血に酔い、己の力に酔い、すべてを蹂躙する。
なにより、そんな己自身に浸る自己陶酔。
最高の気分だった。
――魔王と呼ばれる想像に、血が通って像を結んだ瞬間であった
そして仲間が倒れる。
男は助けを求めようとも、魔物の乾いた返り血で赤黒く変色した、己と仲間たちを見て助けてくれるものは誰もいなかった。
もう助からない。
また、喪った。
過去しか見ていなかった男は、先に進むという成長をしていなかった。
男は仲間の喪失と共に、そんな当たり前の事実に気が付いた。
――殺戮の繰り返しはやめて未来に向かって生きなければ。
そう思って宣言するが、しかし他の仲間は止まらない。
男と同様の過去を持つ彼らもまた、止まることなどできなかった。
ここで仲間を見捨てて出て行ってしまえば、男は再び仲間を捨てたことになってしまう。
それだけはできない。
故に、男は殺した。
戦うべきだった魔獣を。
戦争前は一緒に酒を飲んだ知り合いを。
そして最後に、狂ってしまった仲間たちを。
再び訪れる喪失。
虚しさを抱え男は、一人で考える。
――どこで間違えたのだろうか、と。
戦争に出たことか。
魔獣を殺しつくしたことか。
それとも、魔獣を恨んだことか。
抜け殻のようになりながら酒を飲む男は、しかし戦争を裏で操っていた魔王を倒したことになっていた。
――魔王など。そんなもの、居はしないのに。
男は自嘲しそう言った。
しかし敵国の兵も自国の兵も、口を揃えてそんな事はないと言うのだ。
曰く、戦場で敵も味方もなく殺し続けた恐ろしい五人組がいた。
誰が見ても最も強い男が、死体の山に足を取られて視界から消えた。
そのあと死体の山から出てきたのは、返り血に染まった黒い服の男ではなく、青を基調にした服を着た男だった。
青い服の男は、殺戮を続ける4人組を一刀のもとに切り伏せた。
なんて話ではない。
それは仲間を切った、男自身の話だった。
劇的な落ちはない。返り血を吸いすぎて重くなった服を脱いだ。ただそれだけの話である。
下の服まで濡れていないのは、服が魔獣の返り血で真っ赤に染まっても、仲間が怪我をしても人に助けてもらえるようにと、前回の失敗を生かしていたからだ。
――だが男は、それを言い出せなかった。
真実を告げ、存在しない魔王として扱われることが。
―――――
やがて男は、英雄になった。
英雄は語る。
返り血を浴びるのは、勇敢な戦士かもしれぬ。
だが真に勇敢な戦士は、血で己を汚すことはしない。
戦い死した戦士の誇りを、威嚇のように纏う真似は決してしない。
――高尚に聞こえるそれは、その実ただの自戒であった。
しかし人々は英雄の言葉に感銘を受けた。
やがて戦いとは、いかに「相手を殺さないように終わらせるか」を競うように変化していく。
年を経た男は、かつて語った物語のように正しい行いに救いを求めた。
――莫大な金を使い貧しいものを助ける。
――凄まじい武でもって盗賊を屠る。
男は万能感に包まれた。
何時かの時分にも感じていた、己に酔っている高揚感。
だが、今はそれでよかった。
男は、とっくに酒では酔えなくなっていた。
血と力に酔うことを許せない男は、既に自分に酔うしかなかったのだ。
だが男は、自分が勇者と呼ばれていることを知ってしまう。
それは、かつて男が夢想した空想のもの。
間違いを犯さぬもの。
正しい道を正しく歩んだもの。
――よりによって自分が勇者だと?
仲間を殺すことで、ありもしない魔王の幻影から逃れ、存在しない英雄として祭り上げられたような男が、勇者だと?
それを自覚した瞬間、男は吐いた。
同時に、あらゆる酔いも醒めたような気分だった。
――終わらせなければ。
英雄と呼ばれていた男は、大戦の後町を出て放浪の旅に出たらしい。
魔王と呼ばれた男は、大戦の最中に四人の部下ともども英雄に討たれたらしい。
そしてというかだがと言うべきか、四人の部下の死体は見つかったそうだが、魔王の死体は見つかっていないらしい。
――ならば勇者とよばれている魔王の己は、どうやって死ぬのだろう?
そんな事を考えながら、男はいろいろな場所を彷徨った。
――殺してくれ。
自殺しないのは魔物に殺された村の生き残りとして残った最後の意地だった。
――殺してくれ。
男は痩せ、髪は伸び。もはや英雄然とした面影は何も残っていなかった。
――殺してくれ。
それでも男は強かった。
――殺してくれ。
すでに初老の域に入りながら、男の強さは誰も超えることのできないものだった。
――誰か勇者を殺してくれ。
男の話は、知らぬものがいないほど有名になっていた。
英雄に殺された魔王が、死の淵から戻ってきた。
かつて魔王を倒した英雄は、旅から戻らず。
英雄を継ぐと呼ばれた勇者も、十年以上前に行方不明になっていた。
人々は新たな脅威の出現に、ほとほと困り果てていた。
しかしそんな時、一人の若者が声を上げる。
――私が魔王を倒してみせましょう。
男は、かつて男の村があった場所に来ていた。
二十年以上前の滅びた村のことなど、覚えているのは生き残りである彼くらいのものであろう。
手には抜き身の剣を持ち、半分ほど白くなった髪は切りまとめもせず後ろに流しているだけである。
よくて盗賊、悪ければ亡霊にしかみえない。
男は、まだ彼の村があった頃を思い出していた。
――あの頃は魔王も英雄も勇者も居なかった。
そんなことを考えていると若者がやってきて声をかけてきた。
――私と勝負しろ、魔王!
――ああ。
ようやく私は死んだのか。
そしてどうやら、私は私として死ねるようである、とも。
もはや体に染みついて取れることのないもっとも相手を殺すのに適した動き。
対峙している若者も、なかなかの使い手のようだ。
ただ男には遠く及ばない。
男は若者より、三呼吸は速く剣を振った。
若者は驚愕する。
忘れることなど終ぞなかった、かつての師匠の技がそこにあった。
――師匠。
男の動きは、三呼吸は速かったはずだ。
声を発するどころか瞬きすら出来るのか怪しい。
だが聞こえた。
動きが、剣閃が。縫い留められたようにびたりと止まる。
そして、やせ細った男の体は、何の抵抗も見せず切り裂かれた。
――男は、思い出していた。覚えている。
誰よりも勇者が好きだった男の子。
自分よりもはるかにまっすぐな男の子。
あの時の男の子は、どうやら立派な若者になったものだ。
気付けば、遠くまで来たものだ。
――男を呼ぶ声が聞こえる。
このまっすぐな青年に、伝える必要があった。
勇者は親しいものを切ってはいけない。
どのような理由があろうとも。
親しいものを助けられるのが、勇者なのだから。
ただし、魔王だけは別である。
涙をのんで討たなければいけない時もある。
男はここに来て初めて、己の定義を定めた。
――己は、魔王である。
十年以上声を出さなかった喉は、地獄の底から響くような恐ろしい声を出すことしかできない。だがそもそもの話、声が出るだけでも奇跡の領域である。
しかしそんな事は気にせずに、男は抜き身の剣を若者に渡した。
それは男が、英雄と呼ばれる前から使い続けた剣である。
戦場の血を吸い、大地を赤く染めるほどの魔獣を切った剣である。
その刃は吸い過ぎた血によってうっすらと赤く染まり、いくら切ったところで血で切れ味が鈍ることはない。
抑えるべき鞘すら簡単に切り裂いてしまう、正真正銘魔王の剣である。
――この魔剣をもって、魔王討伐の証とするがいい。
そういい男は笑顔で力尽きた。
後世この時代には二人の勇者と一人の英雄、一人の魔王が居たと伝えられている。
魔王は、勇者か英雄にしか倒せないほどの実力を誇っていたそうだ。
英雄の誕生に恐れをなした魔王は、魔獣に英雄の村を襲撃させた。
英雄は何もできなかった己を恥じ、ひたすらに己を鍛えたそうだ。
そして魔王は送り出した魔獣と共に、英雄を攻撃した。
何度も、何度も。
英雄は返り血に濡れながら魔王と戦った。
そんな戦いの中、一人の仲間が深手を負う。
治療を頼むが、誰もが助からないと判断した。
結局、英雄の仲間は死んでしまう。
英雄は悲しみにくれながら戦い続ける。
そして最後の戦い。
魔王は激突する人と魔物の両軍を、無差別に攻撃する。
頼もしかった英雄の仲間たちは、魔王に操られてしまう。
英雄は仲間を殺し、それでも魔王を討った。
これでようやく平和になった。
だがそれは始まりに過ぎなかった。
魔王の本体は、剣のほうだったのだ。
英雄はそれを知り、この剣を誰も来ない場所に隠すことにした。
だが英雄は、その道半ばで魔王に意識を乗っ取られそうになる。
もう限界だと感じたころに、各地を回り人助けをしていた勇者が現れた。
英雄は事情を話し勇者に剣を託した。
無理がたたった英雄は、剣を託した次の日の出を待たず死んでしまう。
勇者は英雄の頼みならと、魔王の剣を持ち各地を回りながら誰も来ない場所を探した。
だが勇者も、道半ばで倒れることになる。
勇者は魔王に体を乗っ取られて、十年以上にわたり各地をさまよった。
一般人を切らなかったのは、勇者の精神の強靭さをうかがわせた。
そして二人目の勇者が現れる。
かつての師であり恩人でも、ある魔王となってしまった勇者を見て二代目勇者は思った。
早く眠らせてあげないと。
剣の交差は一瞬だったが、わずかに二代目勇者のほうが速かったと伝わっている。
初代勇者は魔王の剣の秘密を伝え、息絶えた。
その後に二代目勇者は、王城の地下深くに専用の安置部屋を作り、そこに魔王の剣を封じた。
一人の英雄と一人の勇者の犠牲を払い一人の魔王を倒すことができた。
かつて英雄と呼ばれた男がいた
かつて勇者と呼ばれた男がいた。
かつて魔王と呼ばれた男がいた。
そして英雄も、勇者も、魔王も。
それぞれが凄まじい実力を誇り、男であった。
共通しているのはそこだけなのだなというのは、ちょっとしたブラックジョークとして現代にも伝わっている。




