6.恋する少女の走馬灯
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人って、どこから死んじゃったことになるんだろう。
心臓が止まったときなのか、頭の中が動かなくなっちゃったときなのか、とか、そんなんじゃなくて。
例えば死ぬことがほとんど確実になってて、走馬灯を見ているときって、死んじゃった、に入るのかな。
――それは、死んでいるっていうのかもしれない。状態じゃなくて、進行形の。死んでいってる最中。
例えばいまの、私みたいに。
「……がぼ、がぅ、ばぁっ」
人って、いつから恋したことになるんだろう。
心臓が高鳴ったときなのか、知らないうちにその人を考えてることに気付いたときなのか、あるいはこうして、水の中に落ちちゃって、死にそうになってるときなのか。
私はそんなことを考えていた。もう、肺が苦しくて苦しくて、息ができないほどの圧迫感に襲われて。
走馬灯を見ながら、そんなことを考えている。
アキレスに愛されてやがるんだ、あいつ。
大神先輩について最初に聞いたとき、クラスメイトで陸上部の竜高くんはそう言って舌打ちをした。
竜高くんとはそんなに仲がいいわけでもなかった。なのに、ああまではっきりとした舌打ちを、ためらいなく竜高くんはした。大神先輩がとっても嫌われていて、そういう空気ができていたからだった。
「あいつは確かに速いけどよ。ただ速いだけなんだよな。全然楽しそうじゃねーし、いつも自分と戦ってるだけで俺ら無視されてるし」
何、まさかかっけー先輩に一目ぼれで告白とかそんなん?
止めとけよ、あれ、ハズレくじだぜ。
そう言って誇らしげな顔をした竜高くんとは、私はそれから喋っていない。
どちらにせよ、誰に聞いても同じだった。みんな「アキレスは足が速い」とだけ言って、それ以外のことは全然褒めなかった。後で聞いた話では、全国大会の予選で負ける前まではまだ尊敬もされていたらしい。でも負けた。そしたらみんな、大神先輩を尊敬しなくなってしまった。
ひどい話だと思う。一回負けただけなのに、しかも自分が負かしたわけでもないのに、みんな大神先輩に勝った気になって。
応援にも、行ってあげてないのに。
大神先輩が近場の中学に遠征に行ったとき、私は一回だけこっそりと見に行ったことがある。大神先輩は1人でウォーミングアップをしていて、その隣でホームの中学の陸上部さんたちが、「なんでこいつここにいるんだ」って目をしてた。
他の中学の人たちからしたら、大神先輩は「全国区のすごいやつ」という認識でしかない。それに加えて、私との会話でも分かるように、大神先輩は人当たりのいい方じゃない。けっきょくどこに行っても、大神先輩はひとりぼっちだった。群れからはぐれた、オオカミみたいな。
かわいそう。
って、最初はちょっぴり、思ってしまった。
でも大神先輩は。どんなに一人だろうと、孤独だろうと、ただ走り続けていた。
雨の日。
校舎の中から窓の外を見つめていたら、大神先輩が傘もささずに走っていた。
風邪の日。
大神先輩は足取りをふらつかせながら、風邪薬を片手にやっぱり走っていた。
寒い日も、暑い日も、辛いことがあっても。きっと大神先輩は、走り続けてきたんだろう。周りの評価も視線も気にせずに、たった一人でゴールテープを追い求めて。
かっこいい。
って、いつのまにか私は、大神先輩の後ろ姿に想うようになっていった。
私はうすのろの亀だ。走るのはあんまり得意じゃないし、いまだって海におぼれて死んでいっちゃってるくらいにまぬけで、宿題だって上手くできない。
浦島太郎の亀みたいにいじめられているわけじゃないけど、クラスだと地味なほうだし遊びに行くような友達も少ない。あとそういえば、泳げないんだった。今頃思い出しても、ちょっと遅い。
そして、なにより私は、意志が弱い。
大神先輩の後ろ姿を、邪魔にならないように追い続けて。
ずっと夢想し続けていた。それだけで満足してしまっていた。
大神先輩と、一緒に、隣に並んで、走りたいって。
ずっと私は思ってて、
やっと勇気を、出せたのに。
「……」
くらい、うみのそこ。私はもう、もがいてはきだす息もない。
みずをすって、おもくなった、ジャージ。つめたい。よるのうみの、ふかいそこが、私をのみこもうとしている。
プールならともかく、うみにはながれがあった。どこまでながされたんだろう。もうそれも、わからない。
ひとって、どこから死んじゃったことになるんだろう。
ゆめをかなえられないまま死んじゃうのって、死んだのうちにはいるのかなあ。
ああ、ゆめ。私のゆめ。くさかんむりで、目をヨコにして、カタカナのワタをそえる夢。
やっぱり、とどかなかったのかな。
もう、つかめないのかな。
「掴めるに、決まってるだろうが」
「……?」
ぐいっ。
と、腕をつかまれるかんしょく。
どうやって?
温かい、手の感触。
すぅー、っと、あがっていって。
上昇していく自分の体が、なにに引き上げられてるのか、なんとなく分かって。
ふしぎで、うれしくて、はずかしくて、どうにかなってしまいそうだった。
走馬灯が消えて行って。現実がしっかりと見えてくる。
そうだ、決まってる――この人が、諦めたり、逃げたりなんて。するわけないじゃないか。
「さて。掴まえたぞ」
「が、はっ、……せ……せん、ぱい」
「手を離すなよ。岸まで行く」
水面の上まで、ゆっくり上がって。私は大神先輩の筋肉質な腕に、しっかりと抱きしめられた。
びっくりして、また息がつらくなった。ここから岸まで泳ぐのに、そっちのほうが都合がいいのは、分かってるけど。
でも。ようやく触れることができた大神先輩の腕は、なんだかとっても安心できて。
ありがとうとかごめんなさいの前に、私はこう呟いていたらしい。
「はなれたく、ない、です」
そこで意識は途切れた。
次に気が付いたときには、病院のベッドだった。