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アキレスと亀  作者: church
6/7

6.恋する少女の走馬灯

・6・


 人って、どこから死んじゃったことになるんだろう。

 心臓が止まったときなのか、頭の中が動かなくなっちゃったときなのか、とか、そんなんじゃなくて。

 例えば死ぬことがほとんど確実になってて、走馬灯を見ているときって、死んじゃった、に入るのかな。

 ――それは、死んでいるっていうのかもしれない。状態じゃなくて、進行形の。死んでいってる最中。

 例えばいまの、私みたいに。

「……がぼ、がぅ、ばぁっ」

 人って、いつから恋したことになるんだろう。

 心臓が高鳴ったときなのか、知らないうちにその人を考えてることに気付いたときなのか、あるいはこうして、水の中に落ちちゃって、死にそうになってるときなのか。

 私はそんなことを考えていた。もう、肺が苦しくて苦しくて、息ができないほどの圧迫感に襲われて。

 走馬灯を見ながら、そんなことを考えている。


 アキレスに愛されてやがるんだ、あいつ。

 大神先輩について最初に聞いたとき、クラスメイトで陸上部の竜高くんはそう言って舌打ちをした。

 竜高くんとはそんなに仲がいいわけでもなかった。なのに、ああまではっきりとした舌打ちを、ためらいなく竜高くんはした。大神先輩がとっても嫌われていて、そういう空気ができていたからだった。

「あいつは確かに速いけどよ。ただ速いだけなんだよな。全然楽しそうじゃねーし、いつも自分と戦ってるだけで俺ら無視されてるし」

 何、まさかかっけー先輩に一目ぼれで告白とかそんなん?

 止めとけよ、あれ、ハズレくじだぜ。

 そう言って誇らしげな顔をした竜高くんとは、私はそれから喋っていない。

 どちらにせよ、誰に聞いても同じだった。みんな「アキレスは足が速い」とだけ言って、それ以外のことは全然褒めなかった。後で聞いた話では、全国大会の予選で負ける前まではまだ尊敬もされていたらしい。でも負けた。そしたらみんな、大神先輩を尊敬しなくなってしまった。

 ひどい話だと思う。一回負けただけなのに、しかも自分が負かしたわけでもないのに、みんな大神先輩に勝った気になって。

 応援にも、行ってあげてないのに。

 大神先輩が近場の中学に遠征に行ったとき、私は一回だけこっそりと見に行ったことがある。大神先輩は1人でウォーミングアップをしていて、その隣でホームの中学の陸上部さんたちが、「なんでこいつここにいるんだ」って目をしてた。

 他の中学の人たちからしたら、大神先輩は「全国区のすごいやつ」という認識でしかない。それに加えて、私との会話でも分かるように、大神先輩は人当たりのいい方じゃない。けっきょくどこに行っても、大神先輩はひとりぼっちだった。群れからはぐれた、オオカミみたいな。

 かわいそう。

 って、最初はちょっぴり、思ってしまった。

 でも大神先輩は。どんなに一人だろうと、孤独だろうと、ただ走り続けていた。

 雨の日。

 校舎の中から窓の外を見つめていたら、大神先輩が傘もささずに走っていた。

 風邪の日。

 大神先輩は足取りをふらつかせながら、風邪薬を片手にやっぱり走っていた。

 寒い日も、暑い日も、辛いことがあっても。きっと大神先輩は、走り続けてきたんだろう。周りの評価も視線も気にせずに、たった一人でゴールテープを追い求めて。

 かっこいい。

 って、いつのまにか私は、大神先輩の後ろ姿に想うようになっていった。

 私はうすのろの亀だ。走るのはあんまり得意じゃないし、いまだって海におぼれて死んでいっちゃってるくらいにまぬけで、宿題だって上手くできない。

 浦島太郎の亀みたいにいじめられているわけじゃないけど、クラスだと地味なほうだし遊びに行くような友達も少ない。あとそういえば、泳げないんだった。今頃思い出しても、ちょっと遅い。

 そして、なにより私は、意志が弱い。

 大神先輩の後ろ姿を、邪魔にならないように追い続けて。

 ずっと夢想し続けていた。それだけで満足してしまっていた。

 大神先輩と、一緒に、隣に並んで、走りたいって。

 ずっと私は思ってて、

 やっと勇気を、出せたのに。

「……」

 くらい、うみのそこ。私はもう、もがいてはきだす息もない。

 みずをすって、おもくなった、ジャージ。つめたい。よるのうみの、ふかいそこが、私をのみこもうとしている。

 プールならともかく、うみにはながれがあった。どこまでながされたんだろう。もうそれも、わからない。

 ひとって、どこから死んじゃったことになるんだろう。

 ゆめをかなえられないまま死んじゃうのって、死んだのうちにはいるのかなあ。

 ああ、ゆめ。私のゆめ。くさかんむりで、目をヨコにして、カタカナのワタをそえる夢。

 やっぱり、とどかなかったのかな。

 もう、つかめないのかな。

「掴めるに、決まってるだろうが」

「……?」

 ぐいっ。

 と、腕をつかまれるかんしょく。

 どうやって?

 温かい、手の感触。

 すぅー、っと、あがっていって。

 上昇していく自分の体が、なにに引き上げられてるのか、なんとなく分かって。

 ふしぎで、うれしくて、はずかしくて、どうにかなってしまいそうだった。

 走馬灯が消えて行って。現実がしっかりと見えてくる。

 そうだ、決まってる――この人が、諦めたり、逃げたりなんて。するわけないじゃないか。

「さて。掴まえたぞ」

「が、はっ、……せ……せん、ぱい」

「手を離すなよ。岸まで行く」

 水面の上まで、ゆっくり上がって。私は大神先輩の筋肉質な腕に、しっかりと抱きしめられた。

 びっくりして、また息がつらくなった。ここから岸まで泳ぐのに、そっちのほうが都合がいいのは、分かってるけど。

 でも。ようやく触れることができた大神先輩の腕は、なんだかとっても安心できて。

 ありがとうとかごめんなさいの前に、私はこう呟いていたらしい。

「はなれたく、ない、です」

 そこで意識は途切れた。

 次に気が付いたときには、病院のベッドだった。

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