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アキレスと亀  作者: church
4/7

4.大詰めへの準備とプランE

・4・


 たぶん、左腕の骨が折れている。定期を取り出そうとしたら、左手が全く上がらなくなっていたから。

 右足首は捻ってしまって、さっきから引きずっていかないとダメですごくもどかしい。

 あと数か所は痛みを訴えてくるけど、きっとそれ以外にも感覚がマヒしてる傷があるとおもう。

 死ぬかもしれないな。

 そしたら私は、嬉しいのかな。ううん、きっと嬉しくないだろうな。

 改札口を通るとき、駅員さんに止められそうになったから、無理やり笑顔を作って「大丈夫です」って言った。少し駅員さんがひるんでくれたから、隙をついて脇を抜けて、階段を駆け下りて電車に飛び乗った。

 私を掴まえていいのは大神先輩だけなんだ。

 だれがあんたなんかに、捕まるもんか。

「1番線、大詰行きの電車が発車いたします。乗車口の近くから離れてください……」

 山あいのニュータウンとして十数年前に切り開かれたこの佐久利市には駅が1つしかない。佐久利駅。通勤・通学時には大ラッシュになるこの駅は、佐久利市からほかの市へのパイプとしてとても重要な役割を担っている。

 電車が来るのは通常でも5分おき。ラッシュ時にはなんと3分おきに来る。

 つまり、線路を足で走っていくのはまず不可能。

 そして駅を除けば、山を越えるのには長い長い山道を下って行かなければならない。高低差も加わってその道は険しく、線路と道路、直線距離に直せば差はさらに伸びる。

 だから電車に乗り込まれたら、いくら大神秋廉。

 神に愛されたアキレス腱を持つ男でも、目標に追いつくことはできないだろう。

「と、私は思ったからこのプランはD、最終一歩手前のプランにしたんだけど。あんたはやるみたいだね」

「当たり前だ」

 少し調子を落とした足を回復させるためにストレッチをし始めたオレに、後ろから後東顧問が話しかけてくる。

 すべて聞いた。このレースは、調子の出ないオレに”何か”を思い出させるために後東顧問が仕組んだものだということ。そのために、亀井一年生を利用したこと。そして、亀井一年生が、オレに好意を向けているらしいこと。

 正直いって、半分は予測できていた。一年間走って、いろんな中学や高校にまで出向いて様々な相手と走っても、オレの調子は上がっていなかった。しかも大会は一ヶ月後に迫っている。多少荒療治でも、と、後東顧問は考えたのだろう。

 しかし、亀井一年生がオレに好意を向けているというのは初耳だった。

 人を遠ざけすぎていた。周りの行動は見えていたつもりでも、心までは見えていなかったということか。

「準備は出来た」

 オレはクラウチング・スタートの体勢を取る。

「あと10秒でスタートする。後東顧問、これ以上何かオレに言うことはあるか?」

「……ないわ。あなたは、全力で走り抜けなさい。そして、あの子の気持ちに答えてあげなさい」

 丁度電車が出発する時刻だった。汽笛にも似た車掌の笛の音が、徐々に暗くなっていく空を裂く。

「当然だ。誠実は神の責務だからな」

 ごう、という車輪の音とともに、弾けるようにしてアキレスは地面を蹴った。

 ――後東支葉はその後ろ姿を見送ると、ポケットからスマートフォンを取り出して、亀井沙理奈の携帯電話に発信する。ノイズのない代わりに電話代がかかってしまうので、簡潔に。

「レース、続行よ。大詰めへ。プランEまで行って」

「ええ。イヤホンマイクは?」

「あれはかなり近くにいないと通話できないの。持つべき人が持つべきよ」

「分かりました。……あのトラック、先生だったんですね。良かった」

 おそらく何か所も怪我をして、とても笑うことができるような状態ではないはずなのに、電話の向こうの亀井沙理奈は嬉しそうに笑った。

 正気を失ったわけでも、自嘲の笑みでもなく。

 楽しげな、誇らしい笑い声だった。



 潮の香りがする。大詰めの場所で”待っていた”沙理奈は、ふとそんな感じを覚えた。

 痛覚が過敏になってた反動で、鼻が利かなくなっていたのが戻ったのだろう。だとすればとても喜ばしいことだなぁ、と、さっきから少しぽやぽやとしている頭が思考した。

 脳の一割くらいがそこに割かれている。

 残りのすべては、アキレスのことを考えていた。

 初めて見たのは入学式のとき。入学式から遅刻してしまうようなうすのろ亀の沙理奈は、入学式に出ずにグラウンドで走り込みをしていたアキレスを見てしまった。

 最初は単純な興味だった。なんであの先輩、あんなに走っているんだろう? という好奇心から沙理奈は、それからアキレスを追い続けた。

 しだいにそれが、好奇心から好意に変わっていたことに気づいた。あるいは最初からそうだったのかもしれないが、とにかく沙理奈は、いつも妥協せずにゴールを追い求めるアキレスのことが好きだった。

 今は、もっと好きだ。戦ってみて、自分との戦いで彼が楽しんでくれているのが伝わってきて。

 彼にとって自分は今、何もできない存在ではないと、知ったから。

 だから、負けない。

「……プランEです、先輩。どうぞその足で、走って。私を掴まえてください」

 タイムリミットまで、あと少し。

 沙理奈はアキレスの走ってくる音を、波に揺られながら聞いていた。

 終点、大詰駅は。浜辺まで徒歩数分の港駅として有名だ。


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