3.娯楽のために努力をするな
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学校の連中はオレのことをただの筋肉馬鹿だと思っている。
朝から晩まで走り通し、お洒落には気を使わず髪は五分刈りにし、目は常にゴールテープしか見ておらず脳内はレースのことで一杯である、と。
もっぱらの噂ではそういうことになっている。
だがそれは生憎違う。オレはしっかりと周りを見た上で、あえてゴールテープだけを見て生きてきたのだ。
オレの周りのやつらは、子供だ。
子供のオレから見て子供なのだから、幼児といっていい。目先のゴールテープに向かって全力で走ることをせずに、頭の中に重い描くは大会のゴールテープのみ。ゴールテープの前から解放されればやれ焼肉を食いにいこう、カラオケに行こうゲーセンに行こうと堕落の日常を送り、文字通り怠惰に落ちる。次第に手段と目的がすり替わり娯楽のために努力をするようになる。
大会の前だけ集中して練習したところで、普段がこれでは何の意味もない。
一言オレも情けをかけた。
「お前ら、オレに勝つ気があるのか」と発破をかけた。
皆は言った。
「ムリムリ、アキレス様に勝てるわけないだろう」と。
なぜそう決めつけて、努力したり戦ってみたりという選択肢を取らないのか、オレには疑問でならなかった。
だからオレは、やつらを見捨てた。
そうして1人で走っていたのだ。
……だが去年の全国。オレは予選で、敗退した。理由はいまだに分からない。身体能力では負けていなかった。体調が悪いわけでもなかった。なのに、全くといっていいほどに敵わなかった。
後東顧問にはこう言われた。あなたは1人で走りすぎてたんだ。その結果として、大切なものを失ってしまったんだ、と。
失くしてしまった大切なもの。オレはこの一年間、それを取り戻すためにずっと走り続けていた。
今。手を伸ばして自転車を掴まえようとしているオレに、その何かは戻っているのだろうか。
確認は後だ。とにかく。
「これで終わりだ、凡百なる亀よ!」
もはや何が起ころうと、オレの勝利はほぼ確実。――に、思われた、のだが。
「あああぁあぁあああぁあああぁああああ!!!」
発狂したかのような叫びが亀井一年生の喉から発されたものだと理解するのに、オレは数秒の時間を要した。
次の瞬間オレが見た光景は、なるほど常軌を逸していた。
車道へ。
自転車は思い切りハンドルを切って、Uターンするでも止まるでもなく、大通りの車道へと躍り出た。
オレは計算していたのに。今、車道に飛び出るのは絶対にできないとしていたのに。
なぜならば、亀井一年生の後ろからは、背後からでもその脅威が分かる濃いエンジン音をさせて、軽トラックが走っていたから。
トラックの、ブレーキ音。
そして響くは、ものとものが衝突する鈍い音。
同時にオレが見たのは――勝ち誇ったような笑みを浮かべながらオレと同じく宙を舞う亀井一年生の姿だった。
なぜ、笑う?
いや……そうだ。亀井一年生は間違いなくトラックには気づいていた。
それを知っていて、この選択を取ったのだ。ここまで足として使っていた自転車が大破するのを覚悟で。自分の体どころか命まで投げ売って。
なぜかだと? 単純だ。トラックにぶつかれば、その分、前へ吹っ飛べるからに決まってる。
後退しないため。あくまでも、オレから、逃げるため――トラックに敢えて轢かれた!!
まだ追いかけっこは終わってない。
地面に両手両足をついてオレがビルの3階から飛び降りた衝撃を分散させるのと、亀井一年生がひん曲がった自転車を捨ててよろよろと走り出すのは、ほぼ同時だった。
飛び降りのダメージが大きい。全速のパフォーマンスを取り戻すためにオレは15秒ほどのインターバルを置かなければならなかった。トラックに跳ね飛ばされて前方に転がった分と、オレの体からしびれが取れるまでよろよろ走りしていた分で、亀井一年生とオレの距離は10メートルほどに開いた。
もう勝負はついたようなものだろうか?
いや、まだだ。走り出そうとしたオレは、赤信号に阻まれる。この襲撃で決めるつもりだったから、いろいろと予定が狂った。しかし、この信号が、終われば。
「いいえ、まだよ」
ソプラノが聞こえた。
「まだ終わらないわ。あなたと彼女の戦いは、こんなとこには収まらない」
オレはぐるりと首を回して後ろを見る。
トラックの運転席に、ヘッドホンのようなものを付けた見慣れた顔が座っていた。
部活の顧問、後東支葉だった。珍しく化粧もせずに、少しだけ青い顔をしている。
「なんであんたがここにいる。偶然ではないな?」
「それは後で説明するから」
とにかく、前を見て。と指差す後東顧問に促され、オレは再び前を向いた。
「……ほう」
ふらついた足取りの亀井一年生が、ある施設に入っていく。
そういえば、確かにそうだった。この信号機を越えた先にあるのは、JR佐久利駅。
電車を使ってはいけないなんて、ルールには少しも無い。