第8話 全面降伏!
前世のオレの母親は、皇后ティエルシアって生き物だった。なんなら皇帝ティエルシアでもよかったくらいだ。
というか、あの人に皇帝の添え物なんて立場は最初から似合ってなかった。むしろ父上のほうがティエルシアの夫扱い。
帝国最強の剣にして、国の象徴。
戦場に立てば魔物が怯み、軍が沸く。
宮廷に立てば腹黒貴族ですら息を呑む。
街に立てば、民は老若男女問わず頬を染めて歓声を上げる。
ティエルシアは十五歳で近衛騎士団に入った。
テラグリウス帝国では魔物討伐のため女性も戦うが、とくに血統正しい魔力持ちの高位貴族ほど前線に立つ。
中でも母上の生まれた光のエルディア公爵家は、帝国創建以前から名を残す最古の家系で、皇族が代々降嫁・婿入りしてきたことから第二の皇統と称されてきた。
しかも母上は幼い頃から剣の才が突出していた。
剣速が光に見えるほど速く、魔法なしで魔物の外殻を切り裂く。
精霊魔法は呪文必須で発動にタイムロスがあるけど、母上の剣はその一瞬すら許さない。まさしく帝国最強の剣だった。
入団後まもなく皇太子サルヴァリオンの護衛任務についたのも、実力が桁違いだったからだ。
で、その護衛初日に父上が一目惚れした。
……いや、気持ちはわかる。
強く、気高く、美しく──この三つが母上の場合、物理的に最強で、気高さは騎士道精神そのもので、美人なのにすっげーイケメン。
規格外の長身なのに、女性らしいメリハリボディを包む特注軍服。男より男前なのに、どう見ても女。
その凛とした声に、その澄んだ瞳に、その高潔な魂に、だれもが魅了されずにはいられない。
十八歳で皇太子妃になったティエルシア。
その後も剣を置かず、前線に出る回数はむしろ増えた。
そして先代の崩御に伴い、父上が三十歳で即位すると、そのまま皇后となった。
このとき父上は、これまでの功績を讃えて特別な香水を母上に贈った。
皇帝専用の聖光樹の香水に、皇后専用の光花を調合した史上初の香り。母上だけに許された唯一無二の香りだ。
やがて母上は近衛騎士団の枠では収まらなくなり、皇帝直属の聖騎士団──その象徴として名誉筆頭騎士に任じられ、”光の騎士”と呼ばれるように。
皇帝以上に帝国へ安心をもたらす存在だった。
そもそも父上が皇帝になったのだって、母上より先に生まれたから。もちろん魔力の質も量も十分で、御神木にも認められている。
でも、もし年齢が逆だったら──間違いなく”皇帝ティエルシア”が誕生していた。
それくらい母上は、血筋も才能も人望も、すべてが人の上に立つべき女性だった。
皇子ルクレオンが生まれたのは、母上が皇后となって二年後のことだ。
上には兄が二人。長兄ヴェルサディスは六歳上、次兄ライゼルトは四歳上で、兄上たちは慣例どおり、生後一週間で乳母と教育係にゆだねられた。
けれど、末の第三子だけは母の手で育てられた。
そもそも妊娠したときから、なにかが違っていたらしい。
『……妙に腹が軽いのう。此度は女子を授かったのかもしれぬ』
娘が生まれると勝手に思い込んだ母上は、事前に名を決めた。
光花。
生まれたのは男児。
でも、名前はそのままルクレオン──そうだよ! オレは花の名前の皇子様だよ!!
閑話休題。
三男として生まれたオレは兄上たちよりずっと小さくて、泣き声も弱くて、抱き上げたら壊れそうなほど頼りなかったという。
しかもオレ、転生者あるあるで、新生児のころから腹の底の熱い場所――魔力核を鍛えて、魔力を限界まで使ってはバタンキューしてた。
そりゃ母上も混乱するよな……。
『なぜじゃ? 吾子の魔力が感じられぬ。さきほどまでは元気にしておったのに……』
そして、悲壮な決意を固めた。
『――この子はいつはかのうなるやもしれぬ。せめて、その時には寄り添ってやりたい』
帝国最強の剣士が軍を離れ、ただの母親になった。
ただし軍服はそのまま、皇后としての仕事も山ほどある。むしろ、それまでが働きすぎだったから、周囲はほっとしたらしい。
ちなみに赤ん坊のオレは言葉もわからないし、その巨人美女が母親だなんて理解できなかった。でも、母乳は突っ込まれてた。
……いや、ほんとに、軍服の胸元をがばっと開けて『吾子よ、飲むのじゃ』って、ばぶばぶ混乱!
だけど、なんかあったかいし、うまいし、いいか……みたいな感じでスルー力鍛えられた。
てかさ、オレ、前々世の最期が微妙だったせいで、ヒステリックで依存的な女性が苦手なわけ。
でも――ティエルシアは違った。
強く、気高く、美しく、だれかに依存するどころか、夫も我が子も民草も、ぜんぶひとくくりに己の守るべき対象。
姿形にも才にも恵まれ、けれど性質こそが最も高貴で優しい女性――。
「ルク、吾子よ。我がいとし子よ。そなたはほんにいつまでも、小さいのう」
だから、その人にそう言われたら、
「――っ、途中! 成長途中! 現在進行形で、途上中!! オレは今から大きくなるんだよっ!!」
つねに全力で甘えずにはいられなかった。
なんだけど……喉に違和感?
(オレの、声が高い……?)
はっと目を開けて、まず見えたのは母上の笑顔。
至近距離いっぱい、オレのすぐ横に寝て、背中をやさしくトントンしてくれている。
(……え? なんで母上が横に……?)
視界の端で、天蓋の薄紗がほのかに揺れていた。魔導ランプの光がぼんやりにじんでいる。
ふかふかすべすべの毛皮のシーツに、ふんわり軽い羽毛布団、母上の香りはいつもと同じで……。
「ヘルミナ、食事を。ルクが目覚めた」
母上は優雅に身を起こし、片手をひと振りした。
薄紗が音もなく左右へ流れ、それに呼応するように天蓋の外の室内灯が明るさを増す。
「――畏まりましてございます、皇太后陛下」
大きな盆を抱えた女性が静かにベッド脇の丸卓に近づいてきた。見覚えのある顔――母上の侍女長のヘルミナだ。
でも……なんか、老けた? 白髪マシマシ、おばあちゃんっぽい。母上より六歳年上だけどまだアラフィフじゃ……と、そこで、さーっと我に返った。
(やばっ!! オレ、灰ネズだ……!)
寝ぼけて”ルクレオン”として答えたけど、今のオレは”灰ネズ”。
七歳の孤児。年齢より小柄で、肉付きが悪くて、手足ガリガリの――。
(……って、なに、このフリフリ? 白いレースと、ピンクのリボン……?)
灰ネズの手が変な飾りで包まれている。
蘇る黒歴史! イヤな予感!!
布団をはいで起き上がると、みごとに全身フリフリのお姫さまパジャマ姿!!
「汚れがひどかったゆえ、風呂に入れて着替えさせたぞ」
ごく自然に、当たり前のようにティエルシアは言う。
だけど、オレ、まだルクレオンって認めてないよね? 素性のしれない子どもを風呂に入れる? てか、この幼女ドレス、どっから持ってきたわけ!?
すっげーいろいろ突っ込みたいけど、我慢っ! しゃべったら、まちがいなく墓穴掘る! すでにやらかし済み自覚!!
だけど、両手で口を押さえてバッテン作っても、ぐぅぅぅぅ……腹の主張は止められない。
だって、卓上に並べられた料理ときたら――。
バターたっぷりブリオッシュに黄金色のハチミツを染み込ませたパンプディング。
ミルクでじっくり煮た白米に、貴重な砂糖を落とした甘いミルク粥。
白根菜をとろとろに煮崩し若鶏の出汁で仕上げた白スープ。
焼きたてのふわふわ白パン、蜜煮のリンゴと洋梨のコンポート……。
ごくりとつばを飲み込むオレの横を抜け出して、ティエルシアは円卓の横の椅子へ移った。そして、銀のスプーンをこちらへ差し出してくる。
「吾子よ、口を開けよ」
(……え?)
「まだ三つのそなたの手にはあまるであろう。母が食べさせてやろう」
「オレ、三つじゃない! 七つ!」
思わず反論したけど、相手はまったく揺るがない。
「そなたは三つじゃ」
「七つ!」
「三つじゃ」
「なんで!?」
と、そこで毛布の下から黄色い物体Xが顔を出した。
「ピッピッピッ」
(こいつ、いたのかよ? てか、なに、その鳴き方……!?)
「ほれ、そなたの供も三つじゃと言うておる。口を開けよ」
(……裏切り者……)
でも、甘い香りが鼻をくすぐる。
結局、オレは観念して、あーんと口を開けた。
スプーンが口に入った瞬間、バターとハチミツの香りが広がる。
ミルクと卵をたっぷり含んだブリオッシュ生地がとろりとほどけて、ほどよい甘さが口中に幸せを運んでくる。
(……うまっ……!!)
ほっぺた落ちそう!
だらしなくゆるんだオレの顔に、なぜか二人の女性はじわりと瞳を潤ませた。
「……ほんに、同じ笑い方じゃ……」
「まことに……三つのころの殿下、そのままでいらっしゃいますね」
(いや、だから七歳! 七歳なんだけど!?)
不満は山ほどあるけど、差し出されるごちそうの魅力には逆らえない。
腹はペコペコだし、目の前にあるのは灰ネズ人生で見たことも想像したこともない高級食材の数々!
「吾子よ、次はスープを取らせん。そなたの好む白きスープなり。一口にてもよし、身の糧となるものを摂り給へ」
オレは諦めて、ただ口を開けつづけた。




