第10話 もう丸投げでいいよね?
「ふぅ……」
ほっと一息。心からの安堵。
間に合った! オレ、ちゃんと自分の尊厳守れたよ!!
……いやー、ほんっと、突っ込みどころ満載だったけどね。
履いてるのがオムツとか、一応パジャマだけど全身姫コーデとか、それ以前に部屋広すぎ!
カツカツ大股で横切る母上じゃなきゃ手遅れだったし、壁に扉がいくつもあって、どれがトイレなのか最後まで分からない迷宮仕様!!
だけど……たぶん、この部屋には見覚えがある。離宮に来たとき、皇帝夫妻が使ってた主寝室だと思う。
まあ、皇族の住まいなんて、どこも無駄に広くて豪華で、ついでに迷路みたいなんだけど。とくにオレ、母上の“小さいルク”だったから、十歳近くまで母上とベッド共有。
この別荘でも、両親のあいだに川の字で寝てたし……。
ただ、記憶の引き金になったのは部屋そのものじゃない。
ギリギリで入ったトイレ個室。立派な大人用便器の横に―― ちょこんと鎮座するアヒル型おまる!
(あーっ!! これ! 昔、使ってたやつ――っ!!)
ふつうの幼児なら、おまる時代なんて覚えてないだろうけど、 オレ、日本人の記憶持ちの転生者だったから。
日本人ってトイレへのこだわり強いし、幼児だから仕方ないってわかってても、おまる! 屈辱の象徴!!
今だってめっちゃヤだけど、オムツよりはマシ。てか、灰ネズはトイレ関連、強メンタル! どこでもトイレ!!
しかも母上、おとなしく部屋から出てってくれて、一人で使わせてくれたし。
――というわけで、なにはともあれ、すっきりさっぱり!
オレは上機嫌で、個室の片隅にある手洗い場へ向かう。ちゃんと踏み台まで置いてある。オレに使わせる気満々じゃん。
ウキウキで、前世ぶりの水道の水で手を洗う。
「ピッ、ピィッ!」
肩のキイロもなぜか誇らしげ。こいつ、なにもしてないくせに!
でも、顔を上げた瞬間――息が止まった。
「……だれ?」
鏡の中にいたのは、灰銀色の髪の小さな子ども。
灰ネズは鏡なんて見たことがない。だから、これが初めて見る自分の顔だ。
思ってたよりずっと女の子みたいで、きれいに整えられたおかっぱ頭は、灰かぶりでボサボサだった頃とはまるで別人。
それでも、肩の黄色いのがキイロだから、鏡に映っているのは間違いなく今のオレのはず――だけど、その瞳……。
灰色じゃない。金でも緑でもない。
光が混ざり合って、脈打つように揺れる金緑の――…。
「…………っ、なっ……」
まばたきしても、まぶたをこすっても、色は変わらない。
前世で見慣れたのと同じ。それは聖光樹に選ばれた皇帝の――。
「なんなんだよ、これ――っ!!」
絶叫に、扉が外から勢いよく開いた。
「吾子よ、どうしたのじゃ?」
「お、おかしい! これっ、変だろ!? オレ、灰ネズだよ!? なんで目がこんな色に……!?」
踏み台に立ったまま振り向く。
ティエルシアはそのオレの前に跪いて、目の高さをそろえた。
「その色に落ち着いたのは昨日のことじゃ。魔力飽和にて髪も瞳もくすんでおったのだろうと、医師らも申しておった。髪は銀じゃが、瞳は昔と変わらぬ。――そなたの瞳じゃ、ルクレオン」
両の手でやさしく包み込むように、長い指がそっとオレの頬に触れる。
深緑の瞳が、まっすぐにオレの目を見ている。
「そなたは妾の子じゃ。いかなる姿で生まれ落ちようとも、何度生を巡ろうとも――妾の子に変わりはせぬ」
……やーもう、これ、ムリ! 完全にキャパオーバー!!
オレはもろ手を挙げて全面降伏することにした。
「……では、母上、お話がありまちゅ!」
舌がもつれて、「ピッ」ってキイロに笑われたけどな……。
このトリ、ほんと、なんなの?
◇◇◇◇◇
部屋に戻ると、窓際の応接セットに侍女長が食事を準備していた。
湯気を上げる料理がこれでもかと並び、銀色のカトラリーと白磁の金彩ティーセットまで揃っている。
母上は軽く目配せして侍女長を下がらせた。部屋の中に残ったのは二人きり――いや、キイロもいる。
母上はまず片手に抱いていたオレを椅子へ降ろした。座り心地満点で、どう見ても今のオレに合わせたサイズだ。
それから、どこからともなく取り出したピンクの靴下を、せっせと履かせてくれる。
(……あれ? 珍しい。なんか今日はちゃんと化粧してる? いや、侍女長も年とったし、母上もそろそろコーネンキとかいうおばさんの年齢に……)
なんて、心の中で勝手に納得しかけたその刹那――。
母上が至近距離で顔を上げた。
――危険! 目が野獣!!
「まずは食事としよう。そなたは、もっと肉をつけねばならぬ」
オレはコクコクと首を縦に降るしかない。
もういい。なにも考えない。つっこまない。丸投げだ。
いや、ぜひっ、丸投げさせてください!
だって、だってだよ?
金緑の瞳って、皇族でも滅多に出ない“皇帝の証”なんだもーんっ!!
前世でオレ以外にこの瞳を持っていたのは、父上とヴェルサディス兄上だけ。
歴代皇帝が全員この色だったわけじゃない。母上みたいな深緑の瞳の皇帝もいたし、金緑でも皇帝にならなかった人もいる。
皇帝を決めるのは瞳の色より、魔力量と属性、そして聖光樹との相性だ。
とはいえ、金と緑が混ざる光の双眸は、ただもうそれだけで筆頭皇帝候補。
しかも皇子ルクレオンは、周りが次々に魔法を使えなくなっていく中で、一人だけ平然と最強魔法をぶっぱなしていた。
そりゃ期待値マックスだ。貴族も神殿も民衆も、父上や兄上たちですら、みんな「次はお前だ」みたいな空気だった。
だから、前世のオレはぶっちゃけた。
十五の春、家族にぜんぶ話した。前世の記憶があること。精霊魔法じゃなく、別の理屈で魔法を使っていること。
それでもなお、ヴェルサディス兄上はオレを皇帝に推してきたけど、よーく考えてもらった。
母上やほかの家族も巻き込んで、ほんとにほんとによくよく考えてもらった。
オレの常識は、この世界の非常識。
象徴的なのが、オレの『オレ』って一人称だ。
転生チートによる異世界言語理解――オレにはなかった。
しかも頭にしみついた日本語が邪魔して、日本語にない母音や子音がなかなか聞き分けられない。発音できない。
それでも、英語みたく自分を指す一人称が『I』だけならなんとかなった。
だけど、帝国語の一人称は日本語並みに豊富だ。
『私』『俺』『僕』『妾』『あたし』『わし』『うち』『わたくし』『おいら』『わて』『あたい』『儂』『拙者』『某』『余』『吾輩』……自分の名前呼びまで含めると無限にある。
にもかかわらず――発音がぜんぶ一緒!!
いや、周囲はほんのちょっとの抑揚や、誤差レベルの母音・子音の違いで何十種類もの『私』を使い分けている。
だけど、オレの耳にはぜんぶ一緒……。
いやルクくんはね、『私』って言ってるんだ、ほんとはね。
だけどちっちゃいから、自分のこと『オレ』って言ってるのかな? って、空気、めちゃぬるっ!
大いに挫折。
『父上・母上』も、オレが言うと『とーちゃん・かーちゃん』。
十歳過ぎても幼児語認定。敬語なんて論外。宮廷で浮きまくり!!
そう、魔法バカのルクレオン皇子、時代が違えばただのおバカさん疑惑!
とりあえず、しゃべりは絶対的におこちゃまだったんだよ!!
だけど――、
『ルクは小さいからのう。まだ舌がうまく回らぬのじゃろう。あな、いとしや。愛らしいのう』
皇后ティエルシアの“小さい可愛い”の前では、誰もが口を閉じるしかなかった。
実際に前世のオレは小さかった……。
両親も兄上たちも二メートル近いのに、オレだけ日本人時代と同じくらい……たぶん百六十センチ弱。
この国の女性は、血統正しいお姫様――母上みたいな高位貴族ほど、百八十センチ越えてくる。
なのに、成人後も百六十センチ(弱)!!
しかも顔は母上似。綺麗系の女顔。
体形は父方祖母に似たとか。細身で華奢で筋肉がつきにくい。
加えて、諸々のカルチャーショック。
庶民でしかない小物の発想、元・日本人らしい政治への無関心さ、清濁併せ吞むとか、オレにムリムリムリムリーっ!!
――って、泣いて土下座して、なんとか皇帝候補から外してもらった。
だもんで、六大陸巡りの旅は帝国の権力争いから逃げる意味もあった。
うん。逃げ癖はオレの習性。もはや個性!
そして、だからこそ――母上はオレの生まれ変わりを確信している。
ルクレオンの“異世界転生”の告白。あの息子なら、きっとまた生まれ変わる――そう信じて待っててくれたんだろう。
だからとにかく先に朝食。
自分でスプーン握って、とろけるパンプディングをぱくぱく。バターと蜂蜜がしみて最高。
あ、キイロ、卵焼きの前にいる。くちばしでつんつんしてるけど――共食いじゃ……?
長椅子に座った母上は、横からオレの口元を拭ったり、食器を整えたりしながら、合間に紅茶を優雅に飲んでた。
腹が落ち着いたところで、オレは母上の顔を見ながら事情をささっと話す。
「オレ、たしかにルクレオンの記憶あるけど、思い出したのはついこないだなんだ。七年前の聖光日に児童管理院に捨てられたんだって。そんで、ちょっと前に記憶戻って……とりあえず昔の自分の秘密基地に飛んで来た。以上!」
「吾子よ……」
かすかに震える声。揺らぐ深緑色の瞳。
聞きながら、オレの灰ネズとしての七年をまともに想像したのだろう。
でも、オレはもう過去を振り返らない。
大事なのはこの先、未来だ!
せっかくの三度目の人生、今度こそ長生きして、のんびり楽しく!
「あ、別に苦労自慢してるわけじゃないから。それより、母上、お願い! オレ、もう皇子も貴族もやりたくない!!」
上目遣いで可愛らしく小首をかしげ、《可憐さ+300%》の愛玩皇子(※女装済)バフを限界突破。
続けて、わがまま末っ子だけど遠慮がちな超おねだりモードを解放――!
「ほんとはね、オレ、どっか人のいないとこでスローライフしたかったんだ。だけど、オレ、服とか靴とか作れないし、料理もできないし……。だから、物資ってか、生活支援してもらえない? 家は魔法で作るつもりだけど、場所はこの辺のどっか、土地貸してくれないかなぁ?」
結果。
なぜか一番上の兄ちゃん――皇帝ヴェルサディスが呼び出されることになりました……。




