第7話:光の届かない場所にて(前編)
かつて、俺を照らす街灯は 音もなく、死んでいた。 アスファルトに染み込む雨は、 体温を奪うには十分な冷たさで。 誰にも気づかれずに消える。 それが、 俺という男の、 ふさわしい最期だと思っていた。
この世界の空は、 今日も不気味なほどに澄んでいる。
「マロー様、『光の街』外郭の設計図にございます。どうか、その御心でご検分を。」
カイルが、 一輪の百合が咲くような 鮮やかな所作で跪き、 俺の前に羊皮紙を広げた。
中性的な、彫刻のように美しい顔。 彼は、俺の光子エネルギーを 動力源とした「永久街灯」を、 街の隅々にまで張り巡らせようと 誰よりも情熱を燃やしていた。
「この光があれば、民は二度と夜に怯えぬでしょう。
我ら騎士も、この不滅の灯の下なら、街を護り抜けます。
……全ては、我が主のために。」
カイルが顔を上げ、 熱烈な忠誠を宿した瞳で俺を射抜く。 その瞳は、一点の曇りもない。 その純粋すぎる騎士道が、 今の俺には、 喉元に突きつけられた 鋭利な剣のように感じられた。
だが、現実は残酷だった。 街の中央、 神殿の地下から噴き出したのは、 光を嘲笑うような「漆黒の泥」だ。 いかなる魔法も受け付けず、 ただ静かに、 街の基盤を腐食させていく。
「マロー様、お願いいたします。あなたの至高の輝きをもって、
この忌まわしき闇を、塵一つ残さず浄化していただきたい。」
カイルの願いは、 もはや祈りに近かった。
俺は、震える右手を掲げた。 神としての義務感が、 無理やり光子を練り上げる。
「……消えろ。」
渾身の浄化の光が、 地下空間を真っ白に染め上げた。 だが。
光が収まった後にあったのは、 以前よりも色濃く、 不気味に脈動する泥の塊だった。 光を当てれば当てるほど、 その闇は、 俺のエネルギーを糧にして 肥大化しているように見えた。
(……なんでだ。消えない。)
どれだけ強く照らしても。 どれだけ必死に叫んでも。 闇はそこにある。 まるで、 深夜のオフィスで独り、 どれだけ書類を積み上げても 終わらなかった仕事のように。 どれだけ「頑張ります」と笑っても 誰にも見向きもされなかった、 あの絶望の夜のように。
「……マロー様?」 カイルの声に、 落胆の響きが混じった気がした。 実際には心配だったのだろう。 だが、今の俺にはそれが、 「期待外れだ」という、 死刑宣告のように聞こえてしまった。
「……ああ、わかった。
少し、一人にさせてくれ。」
俺は逃げるようにその場を去った。 自室へ戻る廊下で、 膝の震えが止まらない。 神様なのに。 光の王なのに。 俺の光は、 何も救えない。
「マロー様?光子の波長が八方に乱れているわ。これじゃまるで赤ちゃんね。」
背後から、 フィオナの涼やかな声がした。 魔導学者である彼女の瞳は、 時折、俺の「嘘」を暴く。 彼女の持つ知識というメスが、 俺の薄皮一枚の虚勢を 剥ぎ取ろうとしていた。
「……光は、乱れないよ。」
俺は、 表情筋を必死に動かして、 前世から得意だった、 あの「無表情な微笑」を張り付けた。 クレーム対応で、 理不尽な上司の罵声の前で、 何度も何度も繰り返した、 感情を殺すための仮面。
引きつった笑顔を作れば、誤魔化せる。 静かにしていれば、 誰も俺の孤独には気づかない。 あの雨の夜も、そうだった。 消えかけた意識の中で、 誰かが気づいてくれるのを待って、 結局、 何も言えずに目を閉じた。
「ふうん。無理に笑う神様なんて、計算が合わなくて不気味だわ。」
フィオナは、 不遜な笑みを浮かべながらも、 その瞳には、 危ういものを見守るような、 深い熱が宿っていた。 彼女は光る丸い物体を、 ただの物理現象としてではなく、 もっと歪で、 脆い何かとして愛でている。
ふいに、視界が歪んだ。 建設中の街灯の列が、 あの夜の、 壊れた街灯の残骸に見えた。
チカ、チカ、と。 不規則に明滅する、 死にかけのオレンジ色の光。 通り過ぎる人々は、 誰もその光を気に留めない。 壊れているのが当たり前で、 消えているのが日常だった。 あの時の俺も、 あの街灯と同じだった。
(……暗い。暗いんだ、足元が。)
急激な目まいに、俺は膝をつく。 視界の端で、 ルミナが驚いて立ち上がる。 バラムが金槌を落とす音が、 遠くの雷鳴のように響いた。 「マロー様!?」 フィオナの、 尖った声が耳を刺す。
皆が、俺を助けようとする。 けれどその優しささえ、 「完璧な神」に戻れという 無言の圧力に感じられた。 神様は、 跪いてはいけない。 神様は、 震えてはいけない。
「触らないでくれ……!」
俺の体から、 ドロリとした「色」が溢れ出す。 全波長の光を放つはずの神体。 それが、 涙を混ぜ合わせたような、 重苦しい「濃紺」に変貌していく。 光を撒き散らすのではなく、 周囲の光さえ吸い込んでしまう、 底なしの絶望。
「あ、ああ……」 口から漏れたのは、 言葉ではなく、 湿った嗚咽だった。
前世で、 一度も吐き出せなかった言葉。 「助けて」でもなく、 「寂しい」でもなく。 ただ、自分がここにいることを 叫びたかっただけの。
「わかんないんだ。」
俺は、自分の顔を覆った。 「神様」の輪郭が、 激しく波打ち、崩れていく。 制御不能な濃紺の光子が、 火花のように弾け飛ぶ。
「どうやって、」 「笑えばいいのか。」
「悲しいときに、」 「どう泣けばいいのか。」
「俺は、ずっと、」 「消えてたんだ!」
床に突っ伏した俺の姿は、 もはや崇高な神ではない。 ただ、孤独に震える、 一粒の光の欠片だった。
「……なんて、綺麗な色かしら。」
フィオナが、呟いた。 暴走するエネルギーの衝撃で、 神殿の壁にひびが入り、 彼女の獣耳が風に煽られる。 けれど彼女は怯えるどころか、 その「弱り果てた光」に うっとりと目を細めている。
「完璧な神様より、今のあなたの方が、ずっと愛おしいわ、マロー様。」
その指先が、 実体のない俺の濃紺の肩に、 震えながら触れようとする。 その慈しみさえ、 俺の耳には届かなかった。
意識は、 深い、深い濃紺の底へ沈む。 かつての、 あの消えた街灯の下よりも、 もっと冷たくて、 優しい沈黙の世界。
(サトシ……。 俺、やっぱり、無理だったよ。)
薄れゆく意識の淵で、 なぜか、 あのコンビニの、 不快なほどに明るい 蛍光灯の光を思い出していた。
(つづく)
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