第42話:覇道帝国ドラグーン
ルミナス・マロー・ガイア共栄国の心臓部、光の塔の最上階。
無人となった執務室で、俺は独り、明滅する立体魔導地図を見つめていた。
アイリスが心血を注いで敷設した『光のレール』——。
大陸を網の目のように結び、フォトニック・エクスプレス999号から始まり、
物流メインの車両サンライズ号、他にも今では多くのフォトニック・エクスプレス
車両がひた走る、その物流の動脈が、北方の国境付近で、プツリ、ぷつりと
消失していく。
それは物理的な破壊ではない。
光子エネルギーの波長そのものを、負の干渉によって無へと帰す絶対的な切断。
遠隔から俺の光を正確に断ち切るこの冷徹な干渉は、俺の魂を凍えさせる。
神聖ローデリア教国、通称聖教国の最高位執行騎士、巴。
凛とした黒髪を結い上げ、俺の故郷の言葉を『魔道の呪言』と切り捨てた彼女。
その殺意が、何百キロという距離を越えて、俺の肌をチリチリと焦がすように
刺していた。
彼女は、覇道帝国ドラグーンの武力行使に合わせ、こちらのライフラインを
闇に沈めようとしているのだ。
ふと、机の上の魔導通信機が低く、一定のリズムで震えた。
そこに表示されたのは、かつて見慣れたゴシック体に近いフォントで綴られた、
一通の短い報告書だった。
『丸尾さん。現場はかなり荒れてますが、棚割りは完了しました。
覇道帝国ドラグーンの喉元は、もう俺が押さえています。』
サトシ君からのメッセージだった。
彼は今、天網商会を率い、帝国の主要拠点に
包囲網を張っているようだ。
サトシは、戦っている。
コンビニのバイトリーダーとして培った、『広域棚割り理論』を武器に。
それはかつて、数センチ単位で商品の配置を最適化し、客の動線を
支配した技術。
異世界での過酷な修行を経て、魔導理論と融合したその術式は、
「大陸そのものを巨大な棚に見立て、物流の『ゴールデンゾーン』を
完全に掌握する」という、経済的かつ魔導的な包囲陣だった。
帝国の輸出入ルートを我が国の魅力的な商品で隙間なく塗りつぶし、
皇帝プーティーンの資金源を内側から干上がらせるために。
「……俺も、俺の
役割を果たさなくては。」
俺は独り、深い沈黙の中から立ち上がった。
神という名の、孤独な舞台の上へと。
※※※
国境の荒野は、異常な熱気に包まれていた。
皇帝プーティーンが率いる最新鋭の魔導蒸気軍勢。
巨大な放熱筒を備えた数千の鉄装騎兵が、大地を揺らしながら進軍してくる。
空を焦がすほどの熱線が、我が国の防衛結界に激しい火花を散らして衝突する。
その光景は、かつてゲームの中で見た絶望のシーンそのものだった。
「降伏せよ、光の偽神よ!
この灼熱の鉄槌の前には、
貴様のまやかしなど、
一溜まりもない!。」
巨大な旗艦のデッキから、皇帝プーティーンが顔を真っ赤にして叫ぶ。
彼はまだ気づいていない。自国の兵士たちが食べる食料も、兵器を動かす
ための魔導燃料も、サトシの経済封鎖によって、既に我が国の支配下に
置かれ始めていることに。
俺は、独りで軍勢の前に降り立った。
白いマントが、帝国の熱風に煽られて激しく翻る。
隣に、いつもの軽口を叩いてくれる友はいない。
ただ、背後で見守るルミナやフィオナたちの祈るような視線だけが、
俺の背中を支えていた。
(……寂しいな。)
ふと漏れかけた本音を、俺は神としての冷徹な仮面で押し殺す。
その時だ。戦場を真っ二つに割るような、巨大な『影』が走った。
空間が、まるでガラスを切り裂いたかのように剥離し、そこから黒い霧を
纏った一人の騎士が舞い降りる。
巴だ。彼女は、俺の正面数メートルの位置に着地すると、その鋭い双眸で
俺を射抜いた。
手にした白銀の刀は、鞘から放たれる前から空間を絶断する異様な
プレッシャーを放っている。
「ようやく、
お前を引きずり出したな、
忌々しき光の傀儡め。」
「巴。君とは、
剣を交えるのではなく、
対話がしたいと言ったはずだ。」
「魔道の呪言を吐くな!。
お前の存在そのものが、
この世界の理を歪める毒だ。
聖なる断罪を受け入れよ。」
巴の身体が消えた。
いや、あまりの超高速移動に、俺の視神経が追いつかなかったのだ。
瞬時に俺の背後を取った彼女が、その絶対切断の刃を振り下ろす。
だが、俺の脳内には、サトシから叩き込まれたあの『理論』が、光の
演算回路となって展開されていた。
(……商品が、乱雑に置かれているな。)
彼女の剣筋は、確かに速い。だが、それは「力」と「速さ」という、
魔法的なパラメータに頼りすぎている。
サトシの言う『完璧な棚割り』とは、一ミリのデッドスペースも許さない、
空間の徹底的な支配だ。
俺は、神の力による防御壁を張らなかった。
代わりに、光子を「商品」に見立て、彼女の剣が入り込むはずの隙間に、
ミリ単位の精度で光を『陳列』していった。
カチッ、と。空間がパズルのように噛み合う音がした。
巴の刀は、俺の首筋を撫でる位置で、完全に静止した。
どれほど彼女が魔力を込めても、その刃は一ミリも動かない。
「な……何!?。
動かない……。
私の『絶断』が、
物理的に押し返されている?。」
「巴。君の剣は、
隙間だらけだ。
まるで特売日の後の、
荒らされたパン棚のようだね。」
「何を……、
訳の分からぬことを!。」
俺は、わざと冷徹な笑みを浮かべて見せた。
内心では、今の「パン棚」という例えが彼女に通じるはずもなく、ただただ
自分の言語センスが恥ずかしくて死にそうで、ポワっとピンク色が漏れ出し
てしまったのだが。
「巴、見ていてくれ。
これが、
君の否定する光の正体だ。」
俺は空を赤黒く染め上げる巨大な熱源を見上げ、光科学の高速演算を
開始した。相対性理論。質量とエネルギーは、等価である。
E=mc²
フィオナと深夜まで語り明かしたあの数式を、魔法という名の変数で
再構築していく。
(……本当にもったいない。)
こんなに強大なエネルギーを、ただ他者を傷つけるためだけに空へ
放電してしまうなんて。
「皇帝プーティーン。
汝の怒りは、
あまりに空虚で、
あまりに無益だ。
その熱を求めて、
震えている人々がいる。」
俺は一歩、赤熱した大地を踏みしめた。
全軍の視線が、この小さな「神」へと集中する。
「我は、光。
汝らの無知な暴力すらも、
大いなる慈愛の種火へと
書き換えよう……!。」
心臓が、痛いほどの早鐘を打つ。自分でも鳥肌が立つほど芝居がかった、
中二病全開の尊大な宣告。
(うわあああああああ!今の言い回し!指先までピンと伸びたポーズ!!)
極限まで高まった羞恥心が、俺の魔力を爆発的に加速させる。
「神」として振る舞うことへの激しい自己嫌悪。
深夜のコンビニの灯りの下で、値引きシールの弁当を待っていたあの頃の
自分が見たら、あまりの滑稽さに絶句するに違いない。
だが、その羞恥こそが、光子を光速へと押し上げる最強の燃料となる。
俺の至純光帝としての金色の身体が、繊細なオーロラの
揺らめきを伴い、鮮やかな桃色にポッと発光し始める。
「……っ!!。」
あまりの恥ずかしさに俺は涙目で視線を伏せ、すがるように胸の前で手を合わせた。
その瞬間、桃色の光は、可視光線の全波長を飲み込む『白銀の虹』へと昇華した。
「広域拡散レーザー……ッ!。」
俺が放った純白の輝きは、帝国軍が放った灼熱の業火を、真正面から優しく
包み込んだ。
爆発音はしない。ただ、キィィィィン……という、空間が結晶化するような
高い音だけが荒野に響く。
帝国軍の魔導砲から放たれた熱量が、光子エネルギーへと一瞬で書き換え
られていく。
空へ立ち上る、数千、数万の光の奔流。
それはレールの番人、アイリスが構築した物流網を伝わり、
凍土の国ノルンへと、『暖かな奇跡』として転送されていった。
武器から熱を奪われ、ただの冷たい鉄屑に成り果てた大砲を見つめ、
兵士たちは戦意を喪失して膝をつく。そして、俺のすぐ傍らにいた巴もまた、
その光の渦の中で刀を落としていた。
「この光……。
熱を、奪ったのではない。
別の場所に、
運んだというのか……?。
略奪ではなく、
供給……、だと?。」
「……プーティーンの軍勢など、
我が教国のただの陽動。
捨て駒に過ぎなかったというのに。」
神聖ローデリア教国。大国の軍勢すら囮として使い捨てる、
その冷酷なやり方に、俺の奥底で静かな怒りが湧く。
「我が軍の……、
無敵の兵器が……!。」
遠く旗艦の甲板では、皇帝プーティーンが膝をついていた。
サトシの経済封鎖で補給線を絶たれ、俺の光で全兵器を鉄屑に変えられた
彼は、もはや戦う力など残されていない。
巴の瞳に宿っていた冷徹な殺意が、激しく揺らいでいた。
彼女が信じていた「偽神」という概念が、目の前の圧倒的な
「利便性のための光」によって粉砕されていく。
俺は、身体を包んでいたピンク色の輝きを収め、がくりと膝をついた。
全波長発光の副作用と、何より精神的な羞恥心でもう限界だった。
「……巴。
君が何を、
守ろうとしているのか、
俺には分からない。
けれど、俺がしたいのは、
ただの『物流の整理』だ。」
「物流の……整理……?。
それが、神の御業だというのか?。
お前は一体、何者なのだ。」
巴が、震える足で俺に歩み寄る。
彼女は、俺の首筋に刀を突き立てる代わりに、その場に膝をつき、俺の顔を
覗き込んだ。
至近距離で見つめ合う。
そこにあるのは、全知全能の神の威厳ではない。
汗をかき、顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな一人の男の素顔だ。
「……君と同じだよ。ただ、この世界で、自分の居場所を
守りたいだけの、孤独な異邦人だ。」
俺は、消え入りそうな声で日本語を呟いた。
「マロウ……?。
お前、今……。
何を言った?。」
「……いいから、
もう放っておいてくれよ。
恥ずかしすぎて、
もう死にたいんだ、俺は。」
巴の目から、一粒の涙が零れ落ちた。
彼女が知る「勇者」や「神」の伝承には、こんなにも不格好で、こんなにも
繊細な内面を持つ存在など、一人も記されていなかった。
「ふっ……。ははは……。
な、なんだ……。
わ、わ、私は……。
こんなにも脆いものを、
恐れていたのか。」
巴は、憑き物が落ちたような、晴れやかな笑みを浮かべた。
彼女は、白銀の刀を鞘に収め、俺に向かって深々と頭を下げた。
「執行騎士、巴。
今、この瞬間、
お前を『偽神』と呼ぶことを
やめよう。
……マロウ。
お前の不器用な光を、
もう少し近くで
見届けさせてもらいたい。」
「……好きにすればいいさ。
ただし、
このピンク色については、
他言無用だよ。」
戦場に、穏やかな風が吹き抜ける。
俺の中の人間性が、安堵の溜息を漏らした。
傍らにサトシはいない。けれど、胸元の通信機が小さく震え、
一通の画像が届いた。それは、どこか遠くの街角で、サトシが「検収完了」
という札を掲げた、茶目っ気たっぷりの自撮り写真だった。
(……助かったよ、サトシ。)
彼が遠くで、同じ孤独を背負って戦ってくれている。そう確信できただけ
で、この「神」という名の不自由な外装も、少しだけ軽く感じられた。
俺は、帝国軍の降伏の儀式などフィオナたちに任せ、巴に肩を貸される
ようにしながら、ゆっくりと歩き出した。
覇道帝国ドラグーンとの戦争は、一発の弾丸も放たれることなく、
一人の神の赤面と、一人の騎士の改心によって幕を閉じたのだった。
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