第35話:魔導公国アステリア(前)
国境付近での聖騎士団との一戦を終えた、俺の噂は、絶望の監獄
アルカトラズへも届き始めているという。
だが、俺の歩みは止まらない。
次なる目的地――、魔導公国アステリア。
国境を越えた瞬間に感じたのは、肺胞の奥にまとわりつくような、
重苦しく、澱んだ魔力の感触だ。
それは、かつての俺が、深夜二時のオフィスで吸っていた、埃と
微かなオゾンの匂いにどこか似ていた。
窓一つない、サーバー室のような閉塞感。
誰の承認も得られないまま、積み上げられていく無意味な残業。
その精神的な「負債」が、この地では物理的な『呪詛』として、
大地に深く根を張っている。
「……空気が重いですね、マロー様。
まるで、悲鳴が満ちているようです。」
ルミナが、不安そうに俺の裾を掴んだ。
彼女の白い指先が、微かに震えているのが分かる。
「ああ。最適化されていない術式が、
至る所で熱暴走を起こしている。
まるで、引き継ぎ資料の欠落した、
古いプログラムの山だよ。」
瑞々しい生命力が溢れる、『精霊の箱庭スプリガン』。
その隣に位置しながら、ここはあまりに対極の場所。魔導の墓場。
俺は、意識を、「極光神」の位階へと、
静かに、けれど鋭くシフトさせた。
視界を埋め尽くす呪いの霧。
それは支配者が、己の権威を誇示するためだけに、無理やり編み上げた、
複雑怪奇な多重魔法陣だった。
「……助けて……。」
霧の向こう。術式の鎖に縛られ、異形へと成り果てた魔物たちが、
折り重なるように倒れていた。
彼らはアステリアの民が、実験の果てに使い捨てた、
「検収不合格」の被造物。
泥を固めたようなスライム。
腕を腐食毒に侵されたゴブリン。
翼を無残に捥がれたハーピィ。
重力魔法で圧殺寸前のオーク。
「魔力の拒絶反応で、
内側から焼かれています。
ひどい……。なんて、残酷なことを。」
ルミナの声が震える。
俺は一歩、前へ出た。
胸の奥から湧き上がるのは、神としての怒りではない。
かつて、組織の部品として使い潰された、一人の人間としての、
静かな拒絶だった。
俺は羞恥を燃料に変換し、全身を全波長発光させた。
白銀の虹が、澱んだ空間を強制的に塗り替える。
「マロー様、支援します。
その光から、紫外領域を抽出します。」
フィオナが、魔導デバイスを操作し、冷静な声で介入してきた。
俺の極光に含まれる、不可視の領域の高エネルギー光子。
フィオナが操る『マロブラック』が、呪詛の「結合部分」を、
レントゲン写真のように、白日の下に晒し出した。
「解析終了。
……マロー様、
これは、あまりに稚拙です。
強ければいいという願望だけで、
無理やり繋がれています。
オブジェクトの定義が、
完全に崩壊していますね。」
フィオナの報告に、俺は深く、重く頷いた。
そして、右手を魔物たちの頭上に掲げた。
「……全修だ。」
「こんなゴミのような術式は、
俺が全てシュレッダーに、
かけてあげるよ。」
フィオナの紫外線が、呪詛の脆弱な急所を正確に穿ち、
俺の極光が、物理的な質量で檻を撃ち抜く。
魔法陣は悲鳴を上げ、一瞬でただの光の粉へと分解されていく。
(……あ、ぷるぷる。……仲間になりたそうに、こちらを見ている
……気がする。)
解放されたスライムが、震える体をこちらへ向けた。
その無垢で、縋るような眼差し。前世で幾度も目にした、
懐かしいシステムメッセージが、脳裏に鮮やかに浮かび上がる。
泥のように濁っていたその体は、呪いから解放された。
だが――。
「マロー様、見てください!。
彼らの輪郭が、消えかかっています!。」
ルミナが叫んだ。
鎖を解かれた瞬間、彼らをこの世に繋ぎ止めていた、無理やりな定義が
消失したのだ。このままでは、彼らは「ただの魔素」へと、霧散して消えて
しまう。
「……マロー様。
彼らを救うには、
今すぐ新たな『定義』を、
上書きする必要があります。」
「魔法科学における、
個体識別情報の再構築。
つまり……、彼らをあなたの国民として、
『名付け』、保存するしかありません。」
フィオナの言葉は、あまりに合理的で、そして残酷だった。
名前を与えるということは、その存在の責任を、一生、背負うという
ことだ。
俺は、消えゆくスライムの、冷たい体に静かに手を置く。
かつての俺が、唯一、癒やされていた、あの国民的ゲームの、
最弱で、けれど愛おしい種族。
(……ああ。俺も、そうだったのかもしれない。)
俺の名は名刺の肩書きに隠され、労働力」という、交換可能な記号で
しかなかった。
誰かに、きちんと「君」と呼ばれ、その存在を、正しく定義された
かったんだ。
番号で呼ばれる駒ではなく。
捨てられる部品でもなく。
替えのきかない、一人の「個」として。
「分かった。俺が、君たちを定義しよう。
君たちの種族に、
新しい音階を与える。
ここから、俺たちの和音を始めるんだ。」
それは、神としての慈悲ではない。
名前を奪われ、記号として消費されてきた、同胞への連帯だった。
俺は、四つの不遇な種族の代表を、一歩前へ呼び寄せた。
「スライム族よ。
君たちの代表を、『アルト』と名付ける。」
「君たちの、形を変えられる流体特性は、
テーマパークの複雑な配管や、
建築資材の精密な混合に最適だ。
その柔軟さこそが、
巨大プロジェクトを支える、
インフラの要になる。」
アルトと定義されたスライム族代表が、驚きに震えながら俺を
仰ぎ見る。命名によって、俺の光子が流し込まれた瞬間。
彼の存在定義が上書きされる。
濁った体から不純物が排出され、澄み渡る『至純の水霊』へと、
その本質を劇的に進化させた。
「ありがとうございます。
マロー様。あなたに、
一族末代までの忠誠を捧げます。」
アルトはプルプルした声で素直にそう答えた。
その透き通った瞳には、もう、捨てられたゴミとしての、
卑屈な色はなかった。
「ゴブリン族の長よ。
君の名前は『テノール』だ。
かつて村を率いた君には、
現場責任者として、
インフラの保守を任せる。」
「君たちの勤勉さと集団行動力。
それは、二十四時間休むことのない、
完璧なパーク運営に、なくてはならない力だ。」
テノールの醜かった緑の肌が、磨き抜かれた、エメラルドのような
輝きに変わる。彼は『翠風の技師』へと、その誇りを取り戻した。
「ありがとうございます。マロー様。
この命、組織の末端として、
死ぬまで貴方に使い潰してほしい。」
テノールは深く頭を下げた。かつては「数」としか扱われなかった
己が、『現場責任者』という明確な役割を与えられた。
その双眸には、プロの技師としての、鋭い自負が宿っていた。
「ハーピィ族は『ソプラノ』。
君たちの翼は、高所の塗装作業や、
空中からの安全検収を担う。」
「地上からは見えない、
わずかなバグを見逃さない。
君たちの瞳は、ゲストの安全を守る、
最高のセンサーになるだろう。」
ソプラノの捥がれた翼が、虹色の光の羽となって再生していく。
彼女は『閃光の飛空士』となり、天高く舞い上がった。
「ありがとうございます、マロー様。
貴方の国の空を、私たちが、
どこまでも明るく照らしてみせます。」
ソプラノは虹色の羽をはためかせ、歓喜に満ちた声でさえずった。
切り落とされていた絶望の過去は、マロー様の光によって、
高所を舞うための誇りへと書き換えられた。
「そしてオーク族。
君たちの代表を『バス』とする。
その無双の怪力は、
巨大アトラクションを支える、
強固な基礎を固めるためにある。」
「君たちが踏みしめる大地は、
何があっても揺るがない。
この国を支える、最も重厚で、
頼もしい低音となってくれ。」
バスの体躯がさらに巨大化し、鋼のような筋肉を宿した、
『金剛の守護騎士』へと進化した。
「ありがとうございます。マロー様。
俺たちのこの剛腕、
貴方の国の揺るがぬ礎として捧げます。」
バスは鋼のような拳で、自身の厚い胸板を力強く叩いた。
重力魔法に押し潰されていた屈辱は消え、今はただ、主の描く未来を
支え抜く、重厚な覚悟に満ち溢れていた。
命名の瞬間。
羞恥のエネルギー変換が、限界値を超えた。
不本意ながら、全身から鮮やかな、ピンクの輝きがオーロラのように、
激しく漏れ出した。(しまった、また光った……!)
その光は、代表から種族全員へと、データベースが、
一斉更新されるように伝播した。
だが、ここにいるのは代表の四人だけではない。
霧の向こうには、アステリアに見捨てられた、数千にも及ぶ
「不合格者」たちが、息を潜めて俺を見つめている。
この巨大な『労働力』を、単なる番号で管理するのは、
俺のポリシーに反する。それは、前世の俺を殺した、
『代替可能な部品』としての扱いだ。
「フィオナ。
命名プロトコルを拡張する。
主要な幹部クラスには、
『フォルテ』や『ピアノ』、
『ピアニッシモ』といった、
役割を象徴する音強記号を付与。」
「それ以外の全個体には、
俺が今から放つ、
『基調音』と、
彼らが元々持っていた名を、
魔法科学的に結合し、再定義する。」
俺が指を鳴らすと、白銀の虹から、数千通りの柔らかな音色が、
雪のように魔物たちへ降り注いだ。
例えば、スライムの一体には、『アルト・ポコ(少し)』という、
愛らしい接頭辞が冠される。
また別の一体には、『アルト・○○(元の名)』という、
過去を肯定する名が刻まれる。
「音楽用語は、強弱、速度、奏法、感情表現……。
組み合わせれば数万通り。
……ふふ、マロー様。
これなら数千人のスタッフも、
重複なく定義できますね。」
フィオナが、手元のデバイスに次々と登録される、
膨大な「国民リスト」を見て、満足げに口角を上げた。
数千人の魔物たちが、自分だけの「新しい音階」を得て、
霧散しかけていた輪郭を、鮮やかな実体へと変えていく。
それは、魔導の墓場に響き始めた、壮大な交響曲の、
チューニングだった。
それは、誰一人として取り残さない、神による完璧な、
個体管理プロトコル。
「わあ、
大きいランプ!。
とっても、明るいランプね!。」
偵察に来た妖精たちが、俺の頭の周りを、羽音を響かせて飛び回る。
「ランプ……。
まあ、間違ってはいないけれど。」
苦笑いしながら肩をすくめた。神としての威厳は、このピンクの光
のせいで、どこかへ消え去っていた。
(人は一人である。けれど、こうして灯りに集まる虫のように、
誰かの熱を求めて、隣に座ることはできる。)
それは、静かで、けれど逃れがたい、命と命の連帯の肯定だった。
「救っていただいたこの命。
あなたの『ルミナス・マロー・ガイア共栄国』
のために捧げます。」
進化した四種族が深く跪いた。
進化した四種族が、規律正しく、深く跪いた。
その背後から、砂利を踏みしめる、あの不吉で頼もしい足音が響く。
「丸尾さん。
いい労働力だねえ。
……さて、そろそろ、
本番の『建設費用』を、
絞り出させてもらおうかな。」
サトシが、手元の魔導端末をタップしながら、残酷なまでの笑顔で
俺を覗き込む。
次なる羞恥の嵐。「全波長発光」による、一晩のテーマパーク爆誕が、
今、始まろうとしていた。
アステリアの夜が、俺たちの放つ「マロブラック」の余韻に包まれていた。
だが、その静寂を破るように、サトシが画面を俺に見せる。
「丸尾さん。
これ、覚えてる?。
君が就職して二年目に悩んでた頃、
深夜のテンションで書いた、
『俺の最強の聖域』
っていうポエム。
……読み上げようか?。」
「やめろぉぉぉ!。」
俺の絶叫が、魔導公国の荒野に響き渡る。
極限の羞恥。
それが、光子加速装置の燃料となり、アステリアの空を、
「白銀の虹」が埋め尽くしていく。
絶望の墓場が、歓喜のテーマパークへと、強制的に、
書き換えられようとしていた。
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