第33話:聖騎士領ローランド(前)
「ルミナス・マロー・ガイア共栄国」の朝は、太陽が昇るよりも早く、
俺の胃をキリキリと締め上げる事務報告の山から始まる。
まんまる球体姿の俺に胃は無いんだけどね。
かつて深夜残業の果てに、消えた街灯の下で孤独に死んだ
サラリーマン、丸尾一。
今の俺は「光神マロー」として、この国の経営と現場の板挟みにあう
言わば中間管理職のような神だ。
「マロー様、本日分の教育カリキュラムの
稟議書に承認印をお願いします。
『神としての道徳』、
第一章は『残業の禁止』でよろしいですね?。」
教育行政担当のメイが、有無を言わせぬ笑顔で書類を突きつけてくる。
その隣では、インフラの番人アイリスが、懐中時計を片手に詰め寄ってきた。
「マロー様、魔導列車の定時運行記録です。
コンマ2秒の遅延が発生しました。
原因は、線路に迷い込んだスライムの
妨害によるものです。」
「……みんな、少し落ち着こうか。
俺は全知全能かもしれないけれど、
ハンコを押す右腕は一本しかない。
今は手も無いんだけどね。」
(……サトシ、助けてよ。深夜のコンビニの品出しの方が、
どれだけ精神的に楽だったか。)
思わず漏れた溜息と共に、俺の体から、羞恥を伴う淡い桃色の光が
ポワンと溢れ出した。
唯一、俺を「丸尾さん」と呼び、一人の人間として扱ってくれる
サトシに会えない寂しさが、そのまま発光現象となって露出してしまう。
「あら、マロー様がまた桃色に。
……これは、『構ってほしい』のサインですね。
記録しておきます。
あと、押印されるには人の姿になって頂いた方が
よろしいのでは?」
アイリスが冷静にペンを走らせる。
その平穏を、北方の空を染める、澱んだ鉄錆色の光が切り裂いた。
「報告します!。北の国境より、
宗教国家『聖騎士領ローランド』の
重装騎士団が進軍!。その数、5千!。
騎士長リチャードを先頭に、
国境線を突破しました!。」
ポッドの無機質な報告が響く。
ローランド。
純血の人間のみが光の恩恵を預かれると信じる、排他的な階級社会。
彼らにとって、異種族と手を取り合う俺は、秩序を汚す「不浄の偽神」
らしいのだ。
「……やれやれ。朝のコーヒーも、
まだ淹れていないというのに。
カイル、準備はいいかな。」
「はっ。外交・防衛担当として、既に前線へ向かっております。
……師であるオーウェン殿も、あちらの軍勢にいる様子。
騎士としての『正義』、どちらが本物か、
この蒼き光で証明して見せます。」
通信魔法越しに届く、カイルの引き締まった声。
彼は今、最短波長「マロブルー」を纏い、闇を裂く光速の武を
その身に宿している。
一方、王城の静かな一角。厳重な警備をすり抜け、
一人の影が俺の背後に立った。
銀髪を揺らし、冷徹な殺気を放つ少女。
聖騎士領から送り込まれた刺客、エレーナだ。
「……見つけたわ、偽神。その首、
ローランドの正義のために、
貰い受ける。」
抜かれた剣の切っ先が、俺の喉元を狙う。
だが、俺は振り返ることもなく、目の前の「魔導フライヤー」の
油の音に集中していた。
「……あ、ちょうどいいところに。
これ、今サトシ君の監修で、
バラムが温度設定を煮詰めた
新作なんだ。食べる?。」
「……は?。何を言って……。」
俺は、黄金色に輝く「一切れ」を小皿に載せ、呆然とするエレーナに
差し出した。
以前屋台で食べたあのおでんの、静かに染み渡る慈愛とは違う。
これは、ジャンクで、暴力的で、一口で理性を焼き切る
『黄金の唐揚げ』だ。
「ローランドの食事は、硬いパンと塩辛い肉ばかりだろう?。
……火傷しそうなくらい熱いから、気をつけて。
お腹が空いてちゃ、暗殺の効率も上がらないからね。」
「……毒、でも入れているの?。
私を、たぶらかそうとしても無駄よ。」
エレーナは毒づきながらも、鼻腔を突き抜けるスパイスの香りに抗えなかった。
彼女は警戒しながらも、一切れを口に運ぶ。
――カリッ。小気味よい音と共に、薄い衣が弾けた。
「…………っ!?。
……な、に、これ。
……口の中で、お肉が、解けて、溢れてる……。
こんなに、熱くて、脂が甘くて、
……心が、ザワザワする食べ物、知らないわ……。」
「それは、サトシが教えてくれた、
『レジ横の魔力』だよ。
……エレーナさん、だっけ。
君は、銀髪だという理由だけで、
国を追われたんだろう?。
……そんな、味気ない正義のために、
命を捨てる必要はないんだよ。」
エレーナの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
肉汁の熱さと、自分の境遇への悲しみ。
それらが混ざり合い、彼女の頑なな心は、この『黄金の唐揚げ』によって、
一気に溶かされていった。
その頃、国境の戦場では、全く別の「温度」の光景が広がっていた。
「見ろ!。あの化け物を!。
人間と獣を混ぜ合わせるなど、
正気の沙汰ではない!。
あんな異端、
『常闇の監獄島アルカトラズ』に
一生閉じ込めておくべきだ!。」
騎士長リチャードが、大剣を掲げて叫ぶ。
アルカトラズ。
ローランドの最果てにある、一度入れば二度と光を拝めない
絶望の監獄。
騎士たちは口々に、私を「不浄」と蔑み、罵詈雑言を浴びせる。
だが、その背後で、騎士団の影に隠れるようにして連行されていた
囚人たちが、小さな声で囁き合っていた。
「……おい、聞いたか。
あの光の神様は、
罪人にも暖かいメシを
食わせてくれるらしいぞ。」
「ああ、アルカトラズの地下まで、
あの神様の光が届いたって噂だぜ。
……俺たちを救ってくれるのは、
ローランドの神じゃなく、
あの方なのかもしれない。」
皮肉なことに、蔑みの言葉を投げかけるほど、「救い」を求める者
たちの心に、俺の噂は浸透していった。
戦場の中央。
カイルの前に、一人の老騎士が立ち塞がる。
かつての師、オーウェンだ。
「カイル。
……まさか、お前が偽神の門番に
成り下がるとはな。
今の主を捨て、こちらへ戻れ。
それがお前の、騎士としての誇りだろう。」
「……誇り、ですか。
……オーウェン師匠。
僕は今、かつてないほど自分の仕事に、
誇りを持っています。
……なぜなら、僕の主は、
誰よりも『現場』を、そして『命の品質』を
見てくださる方だから。」
カイルの全身から、蒼い閃光が爆発した。
「マロブルー」。
それは、迷いを断ち切り、最短距離で「正解」へ至る光。
「……これより、検収を開始します。
オーウェン師匠。
……あなたの『正義』、
賞味期限が切れていないか、
僕が査定させてもらいますよ。」
「……抜かせ!。
重装騎士団、突撃せよ!。」
リチャードの号令と共に、五千の鉄塊が動き出す。
だが、カイルの目には、それらはもはや脅威ではなく、ただの
「不良在庫」の山にしか見えていなかった。
「……ポッド、敵軍の進軍ベクトル、
及び魔力伝導率のデータを。」
『了解。
対象個体数、5004。
脆弱性の検知完了。
マロブルーによる、
一括処理を推奨します。』
カイルが、愛剣を水平に構える。
その姿に、俺の声が、戦場全体を震わせる「神託」として重なった。
「……検収不合格。
君たちの進軍は、
我が国のコンプライアンスに
抵触している。
……これ以上の進行は、認められない。」
蒼い閃光が、地平線を横一閃に薙いだ。
それは、切るのではなく、「停止」させる光。
マロブルーの光子定着により、騎士たちの鎧の関節部分が、物理的な
運動エネルギーを奪われ、その場に凍りついたように固まった。
「……なっ、体が、動かん!。
……何をした、貴様ぁ!。」
リチャードが、馬から転げ落ち、無様に地面を這う。
5千の軍勢が、カイルの放った一撃によって、一歩も動けない「置物」
へと変えられていた。
「……戦闘は終了です。
……オーウェン師匠。
新しい時代の『戦闘』は、一滴の血も流さない。
……死者を出すのは、コストに見合いませんから。」
カイルは静かに剣を納め、動けない騎士たちの間を、悠然と歩いていく。
その蒼い背中は、かつての彼が憧れた、どの英雄よりも大きく、
そして孤独だった。
城の食堂では、エレーナが最後の一切れを名残惜しそうに飲み込み、
深い溜息を吐いていた。
「……負けたわ。
……こんな、暴力的なまでに美味しいものを、
惜しげもなく振る舞う神様に、
勝てるわけがない。」
「……分かってくれたなら嬉しいよ。
……エレーナさん。
君も、
これからはうちの『チーム』で、
働いてみないか?。
メイさん、人手が足りないって
嘆いていたからね。」
俺は、少しだけピンクに光る体で、彼女に手を差し出した。
エレーナは、戸惑いながらも、その手を、ぎゅっと握り返した。
ローランドの誇り高き5千の軍勢を、物理的に「フリーズ」させ、
刺客までもを「雇用」してしまったのだ。
それはこの世界に降り立った美しく新しい光だった。
北の空には、カイルが残した蒼い余光が、静かに、けれど力強く、
新しい秩序の訪れを告げていた。
だが、俺はまだ知らない。
この「蒼き検収」の結果が、アルカトラズの囚人たちに火をつけ、
さらなる大きな混乱と、そして「救済」の嵐を呼ぶことになるのを。
ルミナス・マロー・ガイア共栄国の激しく穏やかな日の光景は続く。
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