第19話:光の神様と、三千人のシフト表
「ルミナス・マロー・ガイア共栄国」。
あの日、極彩色のオーロラと共に産声を上げた我が国は今、
建国以来最大の危機に瀕していた。
それは魔王軍の襲撃でもなければ、聖教国からの宣戦布告でもない。
もっと根源的で、もっと「生臭い」現実の壁だった。
「マロー様……。
もう、限界でございます……。数字が……ゲシュタルト崩壊を
起こしておりますわ……。」
執務室のデスクに突っ伏し、シスター・メイが恨めしげな声を漏らした。
彼女の目の下には、前世の深夜残業明けの私のような見事なクマが刻まれている。
「メイ、無理はしないで。
あなたの精神波が、さっきからドブネズミのような
色に変色しているわよ?」
背後から、心配そうにルミナがメイの背中に手を当てた。
エルフの聖なる癒やしの光が、わずかにメイの顔色を戻すが、
根本的な解決にはならない。
「マロー様、
今のメイの脳内負荷は、通常の個体許容量を
三〇〇%超過しています。」
「このままでは、熱暴走で倒れますね、はい。」
フィオナがタブレット端末代わりの魔導板を叩きながら、
無機質に、だがどこか楽しげに数値を読み上げる。
三千人の民。
その一人ひとりの居住区の割り当て、配給の管理、種族間の苦情処理。
それら全てが、「神の奇跡」ではなく、メイという一人の女性の
事務処理能力に依存していた。
「メイ。
君をこの街の行政担当に任命したのは私だが……。」
「これでは、かつての私と同じだ。ただのブラック企業だよ。」
俺は人型の姿で歩み寄り、彼女の肩にそっと手を置いた。
「……ブラック、きぎょう?」
「ああ。やりがいを餌に、無限の労働を強いる地獄のことだ。」
「今のこの国には、圧倒的に『仕組み』が足りない。」
その時、重厚な足音と共に、バラムとカイルが執務室に飛び込んできた。
「マロー様!
建設現場がパンク寸前だ!ドワーフの野郎どもが、
『いつになったら俺たちの番が来るんだ』と、
斧を振り回してやがる!」
「警備隊も同様です。
獣人と人間の若手たちが、見張りの交代時間が
曖昧なことに不満を漏らし、あちこちで小競り合いが……。」
バラムとカイルの報告。
それは現場の「善意」が限界を迎えた証拠だった。
建国祭の少し前。
サトシは「地這い」に乗って、ゼノスと共に旅立っていった。
『丸尾さん。
棚卸しを甘く見るなよ。管理ってのは、在庫だけじゃねえ。』
『人間の『時間』と『気力』も、在庫と同じなんだからな。』
去り際に彼が残した言葉が、今になって呪いのように、
あるいは福音のように私の胸を刺している。
「……みんな、よく聞いてくれ。
善意と熱狂だけでは、国は三日と持たない。」
「愛だけでは、腹は膨れないんだ。」
俺は指先から、冷徹なまでに透き通ったロイヤルブルーの光を放った。
執務室の空中に、巨大な透過ディスプレイが幾重にも展開される。
「マロー様、これは……?
また新しい攻撃魔法……、光科学の兵器なのですか?」
フィオナの目が、好奇心で爛々と輝く。
「いや、フィオナ。
これはもっと恐ろしく、そして慈悲深いものだ。」
「名前を、『シフト表』と言う。」
俺は前世の記憶を光子演算でサルベージし、
画面上に緻密なグリッド線を描いていく。
「いいかい。
神である俺が二十四時間、全ての場所を照らす必要はない。」
「『誰が』『いつ』『どこで』。
この三点を固定し、三千人を歯車のように、
だが無理なく噛み合わせるんだ。」
「歯車……。
俺たちドワーフが得意な精密機械のようなものか?」
バラムが画面を覗き込む。
「そうだ。
だがバラム。機械と違うのは、この歯車には『休息』という
油が必要だということだ。」
「ルミナ。
君にはメンタルケアのシフトを組んでもらう。」
「カイル。
君は警備の『交代制』を徹底させるんだ。」
私は次々と、種族ごとの特性をパラメータ化していった。
ドワーフは力仕事と生産。
エルフは森林資源と癒やし。
獣人は機動力と物流。
「そして、
これだ。『業務マニュアル:窓口対応編』。」
画面に並ぶのは、
「いらっしゃいませ。」「ありがとうございます。」「少々お待ちください。」
「お待たせいたしました。」「どうぞ、ごゆっくり……。」
といった、
かつてのバイト時代に、サトシから耳にタコができるほど
叩き込まれた接客五大用語。
「これを、教育熱心なメイが、民の代表に教え込む。」
「メイ一人で三千人に答えるのではない。」
「この『紙の分身』たちが、君の代わりに答えるようにする。
……これが、『組織化』だよ、メイ君。」
思わず、サトシを君付けで呼ぶ時のように、
含みを持たせた指導者の口調になっていた。
メイは呆然と、空中に浮かぶ情報の羅列を見つめていた。
「……マロー様。これは……神の叡智というよりは。」
「もっと……血の滲むような、現場の執念を感じますわ。」
「はは……。まあ、似たようなものだよ。」
かつて深夜のコンビニで、そしてその後の、殺伐とした事務所のデスクで。
誰にも見られず、誰の役にも立たずに消えていった男の経験が。
今、三千人の生活を支える骨組みになろうとしている。
「マロー様、
この『マニュアル』という思想。魔法の定式化に近いです。」
「非常に効率的。ゾクゾクしますね、はい。」
フィオナがディスプレイを食い入るように見つめ、解析を始める。
「ああ。だが忘れるな。マニュアルはあくまで補助だ。」
「サトシが言っていた。
『廃棄直前の弁当でも食って、あと、ちゃんと休め』とな。」
「メイ。君の教育は、この国の知性の土台になる。」
「ブラックな奉仕ではなく、ホワイトな効率を。
それが、二度と夜を許さない、俺の国のルールだ。」
メイが深く、敬虔な礼を捧げた。
その瞳には、義務感ではない、新たな希望の光が宿っていた。
「承知いたしました。
この『シフト』という聖典。
必ずや民の心に刻んでみせますわ。」
行政の歯車が、ようやく適切な油を得て、音を立てて回り始めた。
だが、画面を閉じた私の心には、ふとした瞬間に、
あの冷えた空気の感覚が戻る。
「……サトシ。」
窓の外。
定刻通りに発車していくフォトニック・エクスプレスの光の尾を目で追う。
かつて自分が修理し、今は異世界で再現した「消えない街灯」の列。
その下を、サトシは今頃、どんな顔で歩いているだろうか。
彼は今、ゼノスのもとで商売の荒波に揉まれている。
唯一の「丸尾さん」を知る者がいないこの街で、
俺は完璧な神を演じ続けなければならない。
「……マロー様?
また、体がピンク色に……」
「いえ、
少し紫がかった、複雑な色をしておりますわよ?」
フィオナが、音もなく室内に入り込み、私の光を舐めるように計測し始めた。
「ち、
違うんだ。
これは、シフトの調整が難航していることによる、
高度な論理的葛藤であって……!」
「ふふ。マロー様は嘘が下手でございますね。」
いつの間にか、ルミナも背後に立っていた。
彼女は優しく微笑み、私の手元に残された、
サトシの「インクの切れたペン」をチラリと見た。
「神様だって、友達が恋しくなる夜は、あっても良いのですよ。」
「……ルミナ。君には、適わないな。」
俺は、消え入りそうな光の中で、苦笑いするしかなかった。
三千人の主、最強の光神マロー。
その実態は、一人の友との別れに胸を痛め、
前世の経験で難局を乗り切ろうとする、少しだけ人間臭い光の塊だった。
「……さて、休憩は終わりだ。」
私はペンを大切に懐にしまい、再び顔を上げた。
「次は、食料の自給率向上と、『調味科学』について
議論を始めよう。」
「ハクが持ち込んだ、あの『黒い液体』……。」
「あれには、国を一つにできる可能性がある。」
窓の外では、私が敷いた透明なレールが、夕日に照らされて
美しく輝いていた。
その先には、まだ見ぬ世界と、私を「丸尾さん」と呼ぶ一人の男がいるはずだ。
私は光り輝く手で、新たな設計図を空中に描き出した。
『あんな夜はもう、二度と来させない。』
たとえこの身が、羞恥心でピンクに焦げついたとしても。
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