第10話:星のない夜の境界線
完璧な世界ほど、わずかなノイズが耳に付く。このルミナス・ガイアに築かれた俺たちの街は今、完成という名の頂点に達しようとしていた。「共鳴する光導神レゾナンス・デミウルゴス」となった俺の意識は、網の目のように張り巡らされた光子エネルギー網を伝い、街の隅々まで行き渡っている。
石造りの家々の窓から漏れる、温かな夕食の匂い。かつては夜を恐れて身を寄せ合っていた多種族たちが、今は街灯の下で、種族の垣根を越えて笑い合っている。バラムが精魂込めて打ち出した魔導式の水道管からは、清浄な水が絶え間なく溢れ、カイルが整備した舗道は、夜になっても子供たちが駆け回れるほどに明るい。
(……ああ、いいもんだな。)
街灯の光そのものとなって、俺は彼らの日常を慈しむように見守る。前世での俺の仕事は、誰の顔も見えない書類の山を崩すことだった。深夜まで残業し、冷え切った街灯の下を一人で歩く帰り道、俺の仕事が誰を救っているのか、一度も実感できたことはなかった。けれど今は違う。俺が光を灯せば、誰かが安心して眠りにつく。俺がエネルギーを循環させれば、誰かの食卓に温かな火が灯る。この圧倒的な充足感。それこそが、神として、そして丸尾一としての、最大の報酬だった。
――だが、その調和の絶頂で。
意識の端に、バチバチ、パチパチ、ジリリと、不快な静電気が弾ける音が混ざった。それは精霊の囁きでも、魔力の乱れでもない。もっと無機質で、不自然に安定した「電気」の音だ。古びた換気扇が、油に塗れて重く回る音。雨に濡れたアスファルトを、重いトラックのタイヤが切り裂いていく音。
幸せな夢の中に、現実という名の泥水が、一滴ずつ滴り落ちてくるような感覚。俺の全感覚が、急速に「神」から「人間」へと引き戻されていく。
「マロー様! 至急、確認していただきたい『異常事態』が発生しました。」
その鋭い声と共に、フィオナが監視塔の階段を転げるようにして駆け込んできた。右目のモノクルは、限界近い過負荷を示す真っ赤な警告色を放っている。
「街の外縁、座標E―四地点が異常な重力屈折を起こしています!
そこから、既存の魔法体系では分類不可能な『聖遺物』が、突如として出現しました。」
フィオナが震える手で、白い布に包まれた「それ」を俺の前に差し出した。俺の光が、その物体を静かに照らし出す。……その瞬間、俺の思考回路が、音を立てて凍りついた。
それは、半分に破れたプラスチックの袋だった。青と白の縞模様。見間違えるはずがない。
そこには、かつての俺が唯一の安息の地としていた、あのオフィス街のコンビニのロゴが、鮮やかに印刷されている。
「……コンビニの、袋か。」
「こんびに?この、驚異的な高分子化合物の薄膜を、マロー様はご存知なのですか!」
フィオナは興奮で鼻息を荒くしながら、さらに別の「異常」を机に並べた。
空になったアルミの缶。そこには、『ストロング・極・レモン』と、見慣れたフォントで印刷されている。そして、隅が少し破れたおにぎりの包み紙。
脳裏に、あの雨の夜の光景が、昨日のことのように蘇った。俺が孤独死を遂げた、あの路上。
サトシはレジ袋を下げて、倒れた俺のそばで「丸尾さん」と、確かに呼んでくれたんだ。これらのゴミは、あちら側の世界とこちら側が、「共鳴」によって物理的に接触し始めた証拠だ。
「フィオナ、よく聞いてくれ。
これは、俺の故郷の道具だ。
……そして、これを落とした『主』が、すぐ近くに来ている。」
「故郷の……!
では、これは神々の道具、
異世界の神器なのですね!
どうりで、このアルミの組成が判定不能な訳です!」
フィオナがモノクルを叩いた瞬間、街の空が、悲鳴を上げるように大きく歪んだ。星一つない夜空に、巨大な亀裂が走る。それは美しい雷光ではなく、寿命が尽きかけた蛍光灯のような、不規則で、冷たく、不吉な明滅だった。
「重力波の異常を検知!空間が『こちら側』へ急激に吸い寄せられています!
このままだと、ルミナス・ガイアの半分が、異次元の位相に飲み込まれます!」
街の外側で、バラムの野太い叫び声と、カイルの抜剣する鋭い音が響く。ルミナが必死に巨大な魔法陣を展開し、街の崩壊を食い止めようとするエメラルド色の光が、夜空に激しく瞬いた。
「……サトシなのか?」
俺は「光の球体」としての出力を最大まで膨張させ、空の裂け目を見据えた。理系としての直感が、冷酷に真実を告げている。俺がついこの前、放った「中和」という逆位相の波。それが、二つの世界の周波数を、無理やり合致させてしまったのだ。
俺が強くなればなるほど。俺が完璧な神を目指せば目指すほど。「丸尾一」という人間としての未練が、強力な磁力となって、サトシをこの世界へ引きずり込もうとしている。
(丸尾さん……。どこ行ったんだよ、あんた。)
風に乗って、はっきりとした声が響いた。
幻聴じゃない。裂け目の向こう。
そこには、いつもの気だるげなコンビニの制服を着て、ゴミ袋を持って立ち尽くす、サトシの姿が一瞬だけ透けて見えた。
「……あいつ、まだシフトの途中じゃないか。」
場違いな呟きが漏れる。だが、その瞬間、空の裂け目が爆発的に広がり、街中の街灯が過負荷で一斉に火花を散らした。このままでは街が壊れる。だが、今ここで手を離せば、サトシは永遠に次元の狭間で行方不明になる。
俺の「光科学」は、誰かを救うためのものではなかったのか。
「カイル、バラム、ルミナ! みんな、下がっていろ。」
俺は、自身の全エネルギーを、一点へと集約し始める。神様としてではなく、ただの孤独だった男として。自分を見つけてくれた唯一の友人を、この「夜の来ない街」へ招待するために。
「……二度と、夜は許さない。あんな、一人の帰り道なんて、誰にもさせないんだ!」
俺の決意に応えるように、球体は白熱し、空の裂け目を力技でこじ開け始めた。
何かの終焉を告げるかのような、最大の発光。それは救済の光か、それとも世界の崩壊を招く最強のノイズか。光の渦の中で、俺はただ、あの親友の名を、心の中で叫び続けていた。
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