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龍宮寺にて

作者: 星賀勇一郎





その日は正に「春爛漫」という言葉通りの日で、突き抜ける様な青空とはらはらと散る桜の花びらが良く似合っていた。


私は久しぶりに着る礼服と少し窮屈なネクタイを気にしながら、その寺の階段の脇にある喫煙所でタバコを吸っていた。

駐車場の端に停めた私の車には、塀の外にある桜の木が散らす花びらに彩られている。


私は桜が好きではない。

普段から皆にそう言っている。


「兄貴」


そんな声に振り向くと弟のユウジが慣れない革靴の爪先をトントンと鳴らしながら近付いて来る。


「おう……」


私はユウジに微笑み、また視線を桜に戻した。


「タバコくれへん」


ユウジは私の胸のポケットに手を伸ばし、タバコとライターを取った。


「何か、こんな時しか親戚の顔も見れへんって寂しいな……」


ユウジは風を避けながらタバコに火を点けると、タバコとライターを私に返した。

それを受け取り胸のポケットにしまう。


「そうやな……。皆、トシ取ってしまってるし……。仕方ないわな……」


私は青い空にタバコの煙を吐いた。


「タバコもそうやで、皆、昔はタバコ吸ってたのに、今は誰も喫煙所にもおらん……。皆、身体の為にタバコも止めるんやな……」


私は無言で、その言葉に頷いた。


「兄貴はいつ帰るん……」


ユウジはタバコの灰を灰皿に落としながら言う。


「そうやな……。まあ、しばらくこっちに居るつもりやけど……」


今度はユウジが無言で頷いた。


「新幹線、混んでたか」


ユウジは首を横に振った。


「そうでも無かったな……。まあ、朝早いってのもあったかもしれんけど……」


ユウジは今日の法事の為に関西から朝一番の新幹線でやって来た。

仕事の関係で、今日しか休みが取れず、法事が終わり次第、直ぐに帰ると言っていた。


「お前も大変やな……」


ユウジの顔をこんなにしっかり見るのも久しぶりの様な気がした。


「いやあ、兄貴の方が大変やろう……。何回も関西と九州の往復……」


私はタバコを灰皿で消して、小さく頷いた。


「これだけ往復すると慣れるモンやな……」


そう言うと二人で笑った。


強い風が吹き、塀の外の桜の木から一気に花びらが舞い落ちる。

そして、私の車の上にその花びらがシャワーの様に落ちて来た。


「車……。ドット柄になってんな……」


ユウジはタバコを持った手で私の車を差した。


「ああ、明日は洗車やな……」


私は少し肌寒く感じ、上着のボタンを閉めた。


「そう言えば、兄貴って桜、嫌いとか言ってなかったか……」


「ああ、あんまり好きじゃないな……」


私は無意識に胸のポケットに手を入れて二本目のタバコを咥えた。


「あれ、何でなん……。花粉症とか……」


桜の花粉症ってのもあるのだろうか……。

私はそんな疑問を感じながらユウジに微笑んだ。

もうユウジにも何度か説明した記憶はあるのだが、そんな些細な話の記憶はあまり残らないのだろう。


「トシオ……」


私を呼ぶ声に階段の陰から顔を出すと、母の弟であるタツアキ叔父さんがそこに立っていた。


「今日はありがとね……」


タツアキ叔父さんは礼服のポケットからタバコを出しながら私たちに近付いて来た。


「タツ兄、タバコ吸うんや……」


ユウジがタツアキ叔父さんに訊いた。


「ああ、止めとったとばってん、何となくね……」


私は咥えたタバコに火を点けて、タツアキ叔父さんとユウジの会話に微笑む。


ユウジは幼い頃に関西へ引っ越したので、もう九州弁が出る事は無い。

しかし、私は未だに九州弁と関西弁のハイブリッドだったりする。

勿論、関西に居る時は九州弁が表に出る事はそんなには無い筈なのだが。


「タツ兄……。電車で来たと……」


私はタツアキ叔父さんに訊いた。


「うん。飲むやろうって思っとったけんね……」


私とユウジはその言葉に頷く。

私は車なので、ノンアルビールを数本、ユウジは元々酒が弱い事もあるが、それでもビールを飲んでいたのを見た。


私は煙を吐くと桜色に染まりつつある車をじっと見た。


「おお、桜色になっとうね……」


タツアキ叔父さんもそれに気付いて笑っていた。


「洗車せないかんね……」


私はその言葉に頷く。


「明日するたい……」


タツアキ叔父さんは叔父さんなのだが、私とトシが十歳程しか違わず、幼い頃から「タツ兄」と呼んでいた。

そのせいで周囲もそう呼んでいる様だった。


「ユウジは今日、帰るとか」


タツアキ叔父さんはタバコを消すユウジに訊いた。


「うん。明日、朝一から会議やから、今日中に帰らんとアカンのよ……」


「そうね……。忙しかったいね……」


「課長が入院してもうたんよね……。それで余計に……」


私とタツアキ叔父さんは頷いた。


「トシオは……」


私は煙を吐いて、


「俺はしばらくこっちに居ろうかと思っとるばってん……。オカンが帰りたいって言ったら帰ろうかと……」


タツアキ叔父さんはタバコを咥えたまま頷いていた。


また強い風が吹く。

日差しが雲に遮られ、その風が冷たい事に気付いた。


「今日は、天気は良かばってん、寒かね……」


私はそう言って首を窄めた。


「そうね……。本当に天気良くて良かったね……」


タツアキ叔父さんが空を見上げたので、私もユウジもそれにつられる様に一緒に晴れた空を見上げた。


「お父さんの葬式は真夏の暑い時で、お母さんの葬式は雪の中やったもんね……。四十九日はどうなるんやろうって思っとったとやけどね……。まさか、こげん良い天気とはね」


タツアキ叔父さんは優しい表情で微笑んでいた。


二月の大雪の日に、私の祖母が他界した。

昨年の秋から体調を崩し入院していた祖母を見舞うために私は何度も母と一緒に九州までやって来た。

祖父が体調を崩した時に会えなかった事が心残りだった事もあり、私は母と何度も祖母を見舞った。

しかし、二月の大雪の日、その祖母も帰らぬ人となった。


頭とコートの肩に雪を積もらせながら、祖母の乗る霊柩車を見送った。

そして今日がその祖母の四十九日の法要だった。


私と同様で、祖父が亡くなる前に会う事が出来なかったユウジにも、


「じいさんの時、会えずに後悔したやろう。一度見舞いに来い」


と言い、九州まで来させた事があった。

不思議とユウジが見舞いに来たその日は祖母の調子も良く、昔の様に会話も出来た。


「皆、トシ取るね……」


ユウジが空を見上げたまま呟く。

私もタツアキ叔父さんも無言のまま頷いた。


また強い風が吹き、桜色が舞い落ちる。


「そう言えばトシオ。桜が嫌いって言ってたな」


今度はタツアキ叔父さんがそう訊いて来た。

どうやら一族郎党に知れ渡っているみたいだった。

私はそれが可笑しくなりクスクスと笑った。


「ああ、そうね……。あんまり好きじゃなかね……」


私はタツアキ叔父さんと同じタイミングでタバコを消しながら言う。


「何で好かんと……」


タツアキ叔父さんは私の顔を見ていた。


「ああ、大した事じゃなかとよ……」


「そう、それ、さっき俺も訊いとったんよ」


ユウジが上着のポケットに手を入れてこっちを見ていた。







「田村俊雄君が転校する事になりました」


吉本先生は、私を横に立たせるといつもより声を張って言いながら私の肩に手を載せた。


「じゃあ、トシオ。何か一言……」


吉本先生は私にそう言う。


勿論、皆、三学期が終わると私が転校する事は既に知っていた。

その最後の日になるまで、転校する事を面白可笑しく話せていたのに、その瞬間、私は堪えていた涙をどうする事も出来ず、声を発する事も出来なかった。


「トシオ……」


吉本先生は何度も私の名前を呼んでいた気がする。

私は無理に笑顔を作り、皆から視線を逸らす様に窓の外を見た。

校庭に植えられた桜の木はその花を咲かせ、風に揺れていた。


田舎の小学校で、転校する生徒も転校して来る生徒もそう居ない。

私は五年間過ごしたその同級生たちの顔を見る事さえも出来ずに、頬を流れる涙をジャンパーの袖で何度も拭っていた。


「トシオ」


誰かが私の名前を呼ぶ。

すると、また他の誰かが呼ぶ。

それは連鎖してクラスの皆が、


「トシオ」と私の名前を連呼し始めた。

それは励ましだったのだろうが、その声に涙が関を切った。

何度もしゃくる様に泣きながら、私はその同級生たちの顔を見る。


「手紙……」


そう言うのが精一杯で、私が発したその一言で「トシオ」と呼ぶ皆の声は止んだ。

そして皆は無言で私をじっと見ていた。

楽しい事も嫌な事もあった。

しかし、そのどれもが全て私の涙に変わった気がした。


「手紙……。書くけん……」


私はそう言うと顔を伏せてまた泣いた。


私の肩に添えられた吉本先生の手の温もりと、先生のタバコの匂いがずっと残っていた。







「お前、結構ナイーブなんやね」


タツアキ叔父さんはそう言うと微笑んでいた。


「俺は一年生やったもんな……。そんな感情、一ミリも無かったな……」


ユウジはまた私のタバコを取りながら言う。


「桜って毎年同じ様な時期に咲くやん……。だけん、毎年思い出しよったっちゃんね……、あの純粋やった日の自分を……」


タツアキ叔父さんとユウジは声を上げて笑った。


「今、純粋じゃないみたいやん……」


私はユウジを見て苦笑した。


純粋な訳が無い。

純粋なまま大人になるなんて出来る筈がない。

そう言おうとしたが私は言葉を飲み込んだ。


「よくさ、桜って出会いの象徴みたいな扱いされる事はあるとばってん、実は別れの季節に咲くっちゃんね……。だけん、入学式の桜はちょっとおかしいなって思うとよ。卒業式の桜。これが正解やないっちゃろうか……」


私はそう言うと傍にあった青いベンチに座った。


「うんうん。確かにな……。俺も別れの季節に咲いてるイメージある」


タツアキ叔父さんもそう言うと私の横に座った。


「兄貴が桜、嫌うんは、葉桜になった時に大量に発生する毛虫とかが原因やと思ってたわ」


ユウジはケラケラ笑いながら煙を吐いた。


「ああ、それも嫌いやけど、そうじゃなか」


それを聞いてタツアキ叔父さんも声を上げて笑っていた。


その後、私たちは寺の中に戻り、食事をしている輪の中に戻った。






法要の後の食事が終わり、私は誰よりも先に外に出た。

そしてユウジと一緒に立つと、出て来る人たちに頭を下げて挨拶をした。


「トシ君もユウちゃんもオッサンになったねぇ……」


そんな事を何度も言われる。

それは間違いではなく、確実にトシを取っているのだ。

しかし、久しぶりに会う人にとっては、私もユウジも幼い頃のイメージしか無いのだろう。

私も昔は「トシちゃん」と呼ばれていた記憶があったが、皆が私の事を「トシ君」と呼んでいた。

ユウジの「ユウちゃん」はそのまま「ちゃん」付けなのに。


そんな違和感を覚えながら私は頭を下げていた。


皆が帰った後、私たちは今一度、寺の中に戻り、一息吐く。


「いやあ、本当に天気が良くて助かった……」


母のすぐ下の弟、ミチハル叔父さんは満足そうにお茶をすすっていた。

私も淹れてもらったお茶を飲み、皆の声に耳を傾けていた。


「このお茶、美味しいな……」


思わずそう言ってしまうお茶だった。

何杯目かのお茶だったが、今まで張り詰めていたからだろうか、お茶の味なんてわからなかった。


「トシオ……。お前、いつまで居るとか……」


ミチハル叔父さんが訊く。


もう何度、そう訊かれたかわからない。


「オカンが帰るって言うまで居ろうと思っとるばってん……」


私は母の顔を見て笑った。


「じゃあ、俺、帰るわ……」


と礼服を着替えたユウジが部屋を覗き込む。


「おお、ユウジ。ありがとうね……」


ミチハル叔父さんとタツアキ叔父さんが同時立ち上がった。

私もそれを見て立ち上がる。


私は母に、


「ちょっとユウジ、送って来るわ」


と言い、部屋を出た。


ユウジは叔父さんたちと少し話をすると、玄関に来て靴を履いた。


「兄貴、悪いけど、俺の革靴、持って帰ってくれるか……」


と自分の靴を指差し、別に履いて来たスニーカーを床に置いた。


「おお、わかった……」


私はそう言って、ユウジの革靴を忘れないように、私の靴の横に置いた。


私はユウジと一緒に外に出た。


「新幹線。何時……」


「ああ、まだチケット取ってないから……」


ユウジはスマホを見ながら言う。


「一本タバコ吸ってから行こうか……」


そう言うとさっきまでいた喫煙所へとスーツケースを引っ張りながら向かった。

そして私のタバコを取ると一本咥えた。


「新幹線乗る前にタバコ買っとけよ……。中では売ってないやろ……」


私はユウジに言うとライターを手渡した。


「ああ、電子タバコは持ってるんやけどな」


そう言って笑う。


私はそれに頷き、自分もタバコに火を点けた。

そして二人並んでまた空を見上げた。


「なあ兄貴……」


私はその声にユウジを見た。

ユウジは私に微笑むと、ユウジは空を見上げたまま、


「実は俺も桜ってあんまり好きじゃないんよな……」


そう言った。


私は視線を空に戻し、


「何で……」


と訊く。


「何か、虚しいやん……。咲いたかと思ったら直ぐに散って……」


ユウジらしい言葉だと私は思った。


「まあ、それが風情って事なんかもしれんけどな……」


「かもな……。だけど、俺はやっぱ、虚しいのは嫌かな……」


ユウジを見ると、ユウジは空を見上げたままだった。

私はそんなユウジに頷く。


「人もそうなんやろうな……。生まれたかと思ったら、その瞬間から死に向かっているんかもしれん……」


「まあ、桜よりは長生き出来るやん……」


私はユウジの言葉に首を横に振った。


「桜は来年も咲ける……。人はそうはいかんやろ……。だから一生懸命生きるんかもな……」


ユウジは私を見てニヤニヤと笑っていた。


「何が可笑しいねん……」


私も歯を見せて言う。


「いや、なんか、兄貴らしいなって思ってさ」


ユウジはクスクス笑いながら言う。

私もそれにつられる様に笑った。


二人でタバコを消して、寺の外に出た。


「地下鉄か……」


ユウジは、大通りの先に見えている博多駅を見て、


「いや、歩いてみるわ……。直ぐそこやし……」


と言って歩き出した。


「気を付けてな……」


私が声を掛けるとユウジは立ち止まった。

そして振り返り私を見た。


「兄貴」


そう大声で私を呼ぶ。


「帰ったらさ、二人で飲もうや……」


そう言うと手を振りながら駅へと歩き出した。


私はそのユウジの背中を見送った。






私は桜が嫌いだ……。


そんな事を考えながら私はまた春の龍宮寺の喫煙所に立っていた。


「トシオ……」


タツアキ叔父さんは私の名前を呼びながら近付いて来る。


「タツ兄……」


私は煙を吐いて頭を下げた。


「姉ちゃんは……」


「ああ、中に居るよ……」


タツアキ叔父さんはタバコを出して私の横に立った。


「去年はユウジも一緒に此処でタバコ吸ったな」


私はタツアキ叔父さんに微笑みながら頷いた。


「去年もこんな感じで桜が散ってたな……。ちょうどこんな天気で……」


私は微笑みながら頷く。


「お前は桜が嫌いって話したよな……」


「うん……」


私は散る桜を見ながら頷いた。


「あの後ユウジも桜は好きじゃないって言ってたんよね……」


タツアキ叔父さんは私の横顔を見て笑ってた。


「咲いたらすぐに散るってのが虚しいって言ってた」


「まあ、確かに……」


私は大きく息を吐いて、彼岸の空を見上げる。


「今日はまた沢山来ると……」


タツアキ叔父さんは首を横に振って、


「今日はお彼岸やけんが、身内だけ……」


と言う。

私はそれを聞いて頷いた。


「ユウジが言うとった。もう誰が誰かわからんって。気が付いたらお寺の人にも挨拶しとったってね」


「ああ、それわかる……。俺もした事ある」


タツアキ叔父さんは声を出して笑っていた。


私はタバコを消すと周囲を見渡した。

目の前に「人魚塚」と書かれた石碑がある。

そして去年と同じ様に塀の外の桜が私の車の上に花びらを散らしていた。


私は青いベンチに座り、息を吐いた。


タツアキ叔父さんもタバコを消して私の横に座った。

そして私と同じ様に大きく息を吐いた。


「ユウジ……。早かったな……」


と一言言った。







「兄貴」


ユウジはコンコースで待つ私を大声で呼ぶ。


「ごめん、待った……」


ユウジはそう言うと私に微笑んだ。


「いや、今来たとこ……」


そう言いながら二人で歓楽街の方へと歩き出した。


「美味い馬刺しの店あるねん……。会社の人と良く行くねんけどな。そこに兄貴連れて行きたくてよ……」


ユウジはどんどん歩いて行く。


「今日は二人でとことん飲もうや……。って言っても、俺はそんな強く無いけど」


私はその言葉に笑いながらユウジの後を付いて行った。


「帰ったら二人で飲もう」という約束の日だった。

ユウジは嬉しそうに私の前を歩く。


「初めてやな。兄貴と二人で飲むとか……」


「ああ」


「まあ、飲み慣れてないからつまらんかもしれんけど……」


「そんな事ないわ……」


私はそう答える。


「まあ、話もあってな。今日は付き合ってや」


ユウジは馬刺しと書いてある店の前で立ち止まった。


「馬の肉はサクラ肉って言うねんけど、これも嫌いって事ないよな」


ユウジは振り返るとそう言う。


「馬刺しは大好物やな」


私は笑いながらユウジと一緒にその店に入った。


向かい合って座ると、私たちの前にはビールと綺麗な色の馬刺しが置かれた。


「これは美味そうやな……」


私はその馬刺しにタレをつけて口に放り込んだ。

溶けてしまう様な馬肉だった。


「いや、これは美味いな……」


私は何度も何度もそう言いながら馬刺しを食べた気がした。


「しかし、これの何処がサクラなんやろうな……。桜とはまったく色違うでな……」


「ああ、それはあれだよ……。馬肉の中のヘモグロビンかな……、それが空気に触れると桜色になるらしいよ……」


ユウジは何度も頷く。


「流石は兄貴やな……。何でも知ってんな……」 


「まあ、こんな仕事してるとな……」


そう言うとまた馬刺しを口に放り込んだ。


「で、話って何や……」


私はまた馬刺しを食べながらユウジに訊いた。







「去年のばあさんの四十九日法要の前日……」


私は晴れた空を見たままタツアキ叔父さんに言った。


「どうやらその前日に余命宣告されたみたいでさ……」


私はまたポケットからタバコを出す。


「一年は無理だって……。結局半年しかもたなかったんやけどね……」


タツアキ叔父さんは俯いたまま頷く。


「肝臓癌……。酒も飲めない癖にさ……肝臓癌なんて……。普通、肺癌でしょ……アイツの場合」


私はそう言いながらユウジの事を思い出していた。


そう。

ユウジは肝臓癌で去年の秋に死んだ。

去年、祖母の四十九日法要でこの寺に来た前日に余命宣告をされていたらしい。

それを誰にも言わずにユウジは此処にやって来た。

そして私が関西に戻った後、約束した「差し飲み」で会った時、私はユウジからそれを聞いた。

気が付いた時には既に遅く、数か所に転移していたらしい。


「ユウジ言ってたんだよ……。余命宣告された時も、窓の外で桜が満開だったって……。ちょうど、こんな感じで……」


私はその寺の塀の外に咲く桜を見上げた。


「そうか……」


タツアキ叔父さんは静かにそう言う。

私は何度も頷きながら込み上げて来る涙を堪えた。


「そりゃ、アイツも桜が嫌いな筈だよ……。人の気も知らないで咲き誇りやがって……」


そう言うと涙が溢れて来た。


「ふざけんじゃないよ……って思うよね……」


タツアキ叔父さんは無言で頷いていた。

そしてそっと涙を拭く。


「お前ら兄弟で桜が嫌いって……。笑っちゃうな……」


私は目を伏せて頷いた。

そして手の甲で流れる涙を拭いた。


「けど、アイツ言ったんだよ……」


私は眉を寄せて堪える様にじっと桜の木を見つめる。


「咲き誇ってから散るってのも悪くないって。だから、俺は悔いはない。また次の春を待つ様に俺はいつか生まれ変わって、兄貴たちの傍に居る筈だからって。だからしばらく待っててよって」


私はあの日、ユウジが言った言葉を口にしながら堪えていた涙をまた流した。


「またいつか、龍宮寺の桜、見ながら、桜が嫌いだって語り合おうって……」


私は耐え切れず俯き肩を揺らしながら泣いた。

こんなに泣いたのはあの転校した日以来だったかもしれない。


タツアキ叔父さんは私の肩に手を置いた。


「トシオ……」


タツアキ叔父さんは何度も私の名前を呼ぶ。

あの日の吉本先生の様に。


「ユウジがそう言うんだから間違いないよ。きっとお前の傍に帰って来るんだろう……」


私はその言葉に頷く。


「帰って来たら……」


私はゆっくりと立ち上がった。

そして、タツアキ叔父さんを振り返った。


「帰って来たら、ぶん殴ってやるつもりです。出来れば満開の桜の木の下でね……」


そう言って微笑んだ。


「ああ、それが良い。お前らにはそれがお似合いだよ……」


私は笑った。








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