第十五話 餌
その後、光君との映画館鑑賞はうまくいった。懸念事項だった妹さんに関しては祖父母が面倒を見ると言い出したらしく、自由になった光君は家族総出で送り出されたそうだ。
「友達と映画なんて初めてだ」
そう言いながら満面の笑みで入場した彼に少し眩しさを感じた。母親との関係ならともかく、家族の絆なんて感じることなく育ってきた僕には、彼が家族に愛されているという事実だけでどこか後ろめたさを感じさせた。
ちなみにテンションの上がった光君はポップコーンを買ったが、僕は買わなかった。好感度だけを考えたら同じ行動を行う方が心理的にはいいが、流石に数日前に腹がいっぱいになるほど食べたものを食べたくない。その思いで丁重に断らせていただいた。
さて、肝心の映画の内容としてはそこそこ良いものだった。事前に光君からネタバレを食らっていたので犯人は最初から分かっていたが、それはそれで楽しめた。犯人を示唆する証拠や演出の間の取り方、そういう映像特有の面白さがあり、この前の映画よりド派手さはないが、落ち着いて見れるものであった。
「結構よかったね」
明るくなった劇場を後に、やけに静かな光君に話しかける。すると俯いていた光君は効果音が付きそうな勢いでこちらを見上げた。そして何やら高速詠唱を始めた。
「そうですかね、僕的には不完全燃焼の部分がありましたね。何故かと言うと演技が少しお粗末なんですよ。本当は主人公がヒロインが襲われた時にあげる悲鳴は原作だと情けなさの中に驚きとかすかな高揚感があると示唆されているんですが、今回の演技にはそれが反映されていないように感じました。そのおかげで主人公の反応が情けなさだけになって必要以上にコメディチックになったことが気に食わないです。ただ、バラバラ死体の出来は良かったですね。年齢制限を掛けさせないギリギリを移しながら原作の陰鬱かつ絶望的な雰囲気をうまく出した点だとも言えます。ただ、やっぱり僕としてはそういう小物や演出の間をこだわるなら演技指導ももう少しこだわってほしかった気持ちがありますね。」
その後も高速で作品の感想を述べ続ける光君を横目にモール内を歩く。あの映画は光君の何かを刺激してしまったらしい。壊れたラジオみたいに言葉を吐き出している。ただ、文句は言いつつも誉め言葉も入っているので、今回の映画館デートは成功の部類に入っているのかもしれない。現に、俳優たちをコケにしている割にはいい表情をしている。
ただ、こうも隣でつぶやかれていると少し怖い。どこからその執着が出てきているんだ。鬱屈した部分があるとは思っていたが、こう露見すると怖いな。僕が言うのもなんだが、友達が出来ない理由の一つがそれなんじゃないか。
内心ドン引きしている僕の様子なんて知らないように光君はトークを続ける。どうやら僕が用意した感想の出番はまだまだ先らしい。ひとまず、いつもの公園に帰るために足を動かした。
しばらくモールの中を歩いていると一際騒がしい場所にたどり着いた。どこかパチンコ屋の喧騒を思い出させるそれに、僕は眉間にしわが寄ったのを感じて慌てて表情を取り繕う。すると先ほどまでしゃべり続けていた光君が声を上げ、そのまま僕に話しかけてきた。
「ゲーセンだ!先輩入ろう!!」
そう言って元気にうるさい世界に入っていった。
僕はあわてながら彼を追いかけた。そして追いかけたその先で見かけた彼はクレーンゲームを始めていた。
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僕が電子音をピコピコと鳴らす筐体を訝し気に見ている間に、彼はクレーンを動かしていた。クレーンが人形の頭に近づき、そして見事な空振りを見せた。それに対して光君は残念そうな声をあげるが、至極当然であろう。彼が吊り上げようとしているでかい兎の人形に対してこのクレーンの強度は弱すぎる。あのクレーンの弱さと形なら、何回あの兎の頭を狙おうと、箱の中から出すことはできないであろう。
なぜ解り切ったことに対して無駄な金を使うのであろうと疑問に思うが、多分人は無駄な行動を行うことを楽しみにしているのであろう。それに、人間は取れそうで取れないものを目の前にした時、脳みそのどこかを刺激されるのであろう。
そうあたりを付けて光君や周りの人間を観察する。取れもしないし、取ってもそれほどいいとは言えないものに対してなぜそんなにも執着するのか僕には理解できない。本当に金をドブに捨てているだけではないか。
その間にも光君はクレーンを動かしている。もう5回目のチャレンジだ。そろそろ踏ん切りをつけないと永遠に止まらないことは、養父の姿を見ていたからわかる。ああいうのは引き際が大事だ。僕が光君に制止の声を掛けようと思い、彼の横に立つ。すると彼はこちらを向きうれしそうな声で僕に言った。
「先輩もやりますか⁉」
そう言って目をキラキラさせながら僕を見つめる。
先ほどのポップコーンの件もあるし、彼に同調したほうがいいだろうと思い、内心不服だが、承諾した。
目の前のクレーンと操作台に目を向ける。触ったことはないが、光君の様子から動かし方は把握している。どうせ失敗するんだ。適当にやろうと思い、クレーンを動かす。
人形の首の位置、重心、出口までの距離、アームの可動範囲、胴体と首の隙間、様々なところを観察し、クレーンの位置を微調整する。
ある程度納得したらそのままボタンを押し、クレーンを下げる。
予想通りと言えば予想通りだが、クレーンは人形を10センチほど持ち上げ、そのまま耐え切れずに落とした。
光君は「惜しいー」と声に出すが、それに対して僕は苦笑いで返す。
「初めてなんだ、こういうの」
言い訳のように言った言葉に光君は納得したかのように「確かに、先輩ゲーセンとかいかなそうですもんね!」と元気に返す。
その言葉は、多分何気ないことだったろうが、僕の胸に鈍く刺さる。
実は、ゲーセンは小さいころに何度か行ったことがある。しかし、お金を持っていなかったので何も遊ぶことができなかった。僕はただ、コインゲームにはまる養父の姿を見つめながら色鮮やかな世界に取り残されていた。
そんな苦い記憶が思い出される。
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その後、光君とはいつもの公園に戻り、少し話をすることにした。
光君は改めて映画に誘ったり、チケットを用意したお礼などを言った。それに対して僕は「気にしなくていいよ」と返す。我ながら、気のいい好青年を演じ切れていると思う。
光君は何の疑いも持たず、僕と接しており、そこに警戒心などはないように感じた。そこで僕は次の仕掛けを用意した。
「次もどこか遊びに行かない?」
そう彼に言う。彼は嬉しそうに「はい!先輩とならどこにでも行きたいです!」と返事をした。にこにこと笑う彼に僕は微笑み返し、言う。
「じゃあ、次はこの日にしない?」
そう言って携帯で二週間後の火曜日を指す。
彼は目を輝かせてうなずいてくれた。学校の成立記念日を覚えていてよかった。
「じゃあ、今からどこに行くか決めようよ」
そう言って、遊園地を提示する。それに対して彼はちょっと落ち込んだ顔をする。多分チケット代のことであろう。なかなか高いからな。そう思い、僕は言葉をつづける。
「実は知人に、このテーマパークのチケットをもらっているんだ。2枚分」
良かったら一緒に行きたいな。なんて言葉をすらすら口から出す。でまかせだ。本当は普通に2枚買った。
彼に信用してもらい、彼に恩を売り、彼に自分が思うように動いてもらうための必要経費だ。
ほら、彼は嬉しそうな顔をして僕の顔と携帯の画面を交互に見つめている。
さっさと餌に掛かれ。
そう思いながら僕は温和な笑顔を浮かべ続けていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
主人公の闇は深い