食べれなくはないだろ……頑張れば。
『おっーす、元気にやってっか桜ー。どうせ心細そうにしてるだろうから、連絡を入れてやったぜい』
「ご、ごめんね。さよちゃん。今、取り込み中で」
『お? 意外と元気そう? なんだかんだ言って薄情? ちょっとびっくりで涙そうそう?』
「あ、後で掛け直すからーー、」
「さーくーらー。料理中に余所見はあかんでー?」
「あっ」
早いところ電話を切上げだかった、原因ともなる人物が、私の手から通話中の携帯電話をひょいと取り上げてくる。ま、まずい。
「人の目を盗んで、こそこそ電話してからに。ジョニーにでもなったつもりか……いや、ジョニーは浮気はしてなかったんやっけ? まあ、ええわ。ほんなら私も、それ相応の態度を取らしてもらうわ」
そう言うと、あーあーとチューニングして、声を作り始める織部さん。
その間も私は携帯電話を取り返そうと必死になる。も、するするとこちらの動きを読んでいるかのように避けられてしまう。
「あー、あー。あんたの旦那は預かった。返して欲しければ5000万用意しろー。一銭たりともまけへんで」
「そや冗談やで。そして、私が織部ってのも大当たり。流石紗代子はん、相方と言われていただけあって、ええ感してはるなー」
「一緒におる理由? やー、私の口から言うのも恥ずかしいなー。ま、すぐにでも私らの情報はネットのニュースに上がってくるやろうから、そんときまで首をながーくして待っときー。それじゃ、失礼しますー」
「ふー……ほな、返すな」
「いや、返されても……」
既に通話の切られた携帯電話を受け取って、力無くそう返答してしまう。何がしたかったんだ、この人は。
「……ちゃんと誤解をといておかないと」
「誤解ってなんやねん。あと、忘れてないやろな。そういう行為は厳禁って、紗雪はんに言われてるやろ」
「うっ」
確かに、織部さんと一緒にいることの理由を説明するなら、新しいアイドルグループの話題に触れざるを得ない。
それは重大な規約違反に抵触している。
話たところでさよちゃんが周りに吹聴するなんて微塵も思わないけど、そんなことは関係なく話したという事実がまずいということは、いかに間抜けな私でもわかってしまう。
そしてそんな私がわかるということは、さよちゃんも当然ながら理解しているわけで……。
その数秒後、何かを察したのかあれこれと聞かず、ただ『頑張れ』という簡素なメッセージがスタンプ付きで送られてきた。
その配慮に、また泣きそうになってしまう。
「ちょっと何してんの、二人とも。料理中でしょ」
こちらの騒ぎが聞こえたのか。リビングの方から狭い通路を通って、ダイニングと併設されたキッチンへと顔を出す来海ちゃん。
今の状況が余程癇に障ったのか、怖い顔をしている。
「まあ、ええやん? 料理中って言っても、食材を調理鍋で煮込んでいる段階やし。多少目を離したところで、さしたる問題はないやろ。それに天使のため息って言ってな? こう、料理をしている最中に目を離してたら、天使が息を吹きかけて味を整えてくれるねんて。つまりこれも、料理に必要な過程っちゅうことやな」
その鋭い視線や詰問するような声にたじろぐこともなく、ペラペラと口を回す織部さん。
料理中に余所見は駄目だと言ったのはなんだったのか。
そう問いただしたくはなるものの、今は私も責められている身。その雑な言い訳に、何度も頷いて乗っかってしまう。
ただそんなものが来海ちゃんに通用するはずもなく。その鋭い視線を緩めたりはしない。
……いや、誰にだって通用はしない。
なんなんだろう、天使のため息って。天使が料理にため息を吹きかけてくるの? 例え美味しくなったとしても、普通に嫌悪感が勝ってしまうけど。
「くだらない言い訳はいいからちゃんとして」
「なんやねん。別にええやろちょっとくらい。そんな味が急激に変わるでもなし。IHやから、火事の心配もないんやで」
「よくない。私もそれ、食べるんだから」
面白くなさそうに、そう言い放つ来海ちゃん。
そう、今こうして織部さんとキッチンに立っている時点で大体察しはつくだろうが、私たち6人は、勘解由小路さんの粋な計らいでシェアハウスを始めることになってしまった。
仲を深めるためとかその理由は色々説明されたけど、本音は単純に6人分部屋を用意するのがめんどくさかっただけだと思う。
まあ、プライベートがなくなることを除けば、一人で住むよりも安上がりになるため私はとしては、あまり不満はないけど。
でもこの、ちっこくておっかない少女からは、不満の色がありありと見て取れてしまっていた。
「もう! だからシェアハウスなんて嫌だった! 私以外全員賛成なんて、どうかしてる!」
「ええやんけ、シェアハウス。6人で住むにはちょっと手狭やけど、二階建ての3LDK、しかも5人の美少女つきを一人あたり月三万円で住めるんやで? こんなおいしい話は、なかなかないやろ」
「私にそっちの趣味はない!」
そう捲し立てる来海ちゃんを宥めすかしながら、鍋に調味料をどぼどぼと入れ始める織部さん。その手際はどこか手慣れていて、本人の料理スキルの高さを感じさせる。
「……まあ、自分に比べたら誰だってそうやろな……」
「え?」
「なんでもないわ。それより来海はん、このシェアハウスの一番の利点は私の手料理を食べれることなんやで。なんやわーわー言ったったけど……その口、黙らしてやるわ」
そう言って不適な笑みを浮かべる織部さん。不覚にも、その姿をカッコいいと思えてしまうほどに。
◇
「わー……なんかよくわかんないけど、おいしそー」
「せやろ? 名付けて、なんちゃってビーフストロガノフや。とは言いつつ、牛肉は使っとらんけど……まあ、味はあんまり変わらんやろ」
「いや、変わるくない?」
新橋さんの的確なツッコミにその場が冷え込むようだった。……そう言えば、なんなんだろうこれ?
今日の料理当番は私と織部さんということで、織部さんが買ってきたものを言われるがまま調理しだけに……自分もこれが何の肉かはわかっていなかった。
「ごちゃごちゃうっさいな。疑う暇あったら、さっさと食えっちゅうねん」
「う、うわー……助けて、こがねっちー」
「はい、あーん!」
「むぐっ!?!?」
痺れを切らしたのか、新橋さんの口に箸を突っ込む織部さん。ただ咀嚼するごとに、白黒としていた目は光を取り戻し、輝きが増していくようだった。
「……え? 美味しい……?」
「せやろ? 私のあーんで、美味しさも3倍増しや」
「そこは全然どうでもいいけど」
「まあ、言うだけはあるんじゃない?」
口ではそんなことを言っているものの、箸を止める様子はない来海ちゃん。
如月さんに至っては涙を流しながら食事をしているし、唐沢さんは……よくわからない。ただ無言で食を進めている。
あまり感情を表に出さないってことは知っていたけど、唐沢さんのそれはちょっとだけ不気味に思える。その隣が如月さんなだけに、際立ってそう見えるだけかもしれない。
というか改めて、このメンバーで食卓囲むとか、なんて異常事態? ストレスで、胃がキリキリしてくるけど。
ただ、織部さんの料理に舌鼓を打っているせいか、全員機嫌良く食卓を囲んでいる。今なら、あれを出せるチャンスかもしれない。
「ん? どこ行くんやつつじー。トイレか?」
「ち、違うよ! ちょっと、追加の料理をね」
「は?」
バレないようにラップをかけて戸棚に隠しておいた料理を取り出す。
ちょっと焦げちゃったから後で自分一人で食べるつもりだったけど……折角作ったんだから、誰かに食べて欲しいって考えてしまうのは普通のことだと思う。
「……お待たせー」
「ちょ、ちょい待ち。なんやそれ……?」
「えーっと……肉野菜炒めだけど」
「わ、私。そんなの作っとったか?」
「ううん、作ったのは私だよ。だってほら……このビーフストロガノフ? はほとんど織部さんが作ってたじゃん? だから、私も何かしなきゃなーって……」
そう答えると、がっくりと肩を落として頭を抱える織部さん……なんだろう、なんか凄く不本意な感情を抱かれてるような。
「玉ねぎにしめじにキャベツにトマトになんか知らん肉……これ、材料はビーフストロガノフもどきの余りもんか……?」
「うん、ちょっと勿体ないかなって」
「いや、捨てるつもりは無かったんやが……。諸々の調理を終わらせて、私がリビングに行った後に作ったんやとしたら、そんな難しい工程は挟んでないはずや。違うか?」
「うん。ただ食材を入れて焼いただけだから……」
「ほなら大丈夫か……? なにをどうしても、最悪な事態にはならんはず……」
そんなにお気に召さなかったのか、頭をふるふると振るい、一人ぶつぶつと呟く織部さん。
え? 泣いてもいいかな?
そりゃ、織部さんの作ったものと比べたら貧相なことには違いないけどさ……。
そうやって傷ついている私を見兼ねてか、その肉野菜炒めをガッと持って立ち上がる新橋さん。その傍ら、厳しい目を織部さんに向けていた。
「織部さんは意地悪ですね。こんな人、気にしなくてもいいですよ筒路さん。確かに多少焦げは目立ちますけど、ただそれだけですから」
「早まったらあかんよ、新橋はん。まずは慎重に毒味をしてからやな……」
「いい加減にしてください! なんのつもりかは知りませんが、筒路さんを貶すような真似……! 料理に対しても失礼です。こんなに美味しそうなのにーー、」
そう言って皿を顔に近づけるや否や、さっと顔から遠ざける新橋さん。それは反射だったようで、そんな行動をとった本人も不思議そうな顔をしている。
「あんたの方が酷いじゃん」
「いや、だってこれ匂いが……へ……?」
「あかん……予感が的中してもうた。どうやったらあの材料で不味く作れんねん。調味料か? 調子に乗って種類揃えたのがあかんかったんか……?」
なぜだか私の知らないところで話が進んでいく。不味いってどういうこと……? 変なものは何も入れないはずだけど。まさか、知らない誰かが料理の中にこっそりと何かを……?
「いや、自分や自分。そもそもその劇物の存在、つつじー以外に知っとったやつはおらんやろ。例え普通の調味料でも、かけすぎたら味が変になるのは当然の話やし、これやから料理下手は……分量って概念を知らんねん」
「料理下手って誰が……」
「だから自分以外におらんやろ。ほんま驚いたで。ただ食材を切るだけで、あんな失敗するなんて。自分、漫画の世界から抜け出してきたんか」
ズガガーン!!
あまりの衝撃に、そんな効果音が脳内に流れるようだった。自分が料理下手だったなんて。
確かに台所には立ったことはない。立とうとしたことはあるけれど、母に必死で止められたような記憶だけが頭によぎってくる。
学校でやった調理実習や野外炊飯のときも、あまり力になれた思い出はない。尽く、さよちゃんにやってもらってたような……。
経験はある方じゃない。それでも自信だけはあっただけに、人知らず打ちひしがれる。
「な、なんですか皆んなして! た、確かに匂いはあれですけど食べれないことはないはずです!」
「やめた方がいいよー。なんか、毒々しいオーラが見えるし」
「というか禍々しいな。今後、食事作るルーティンからは外すべきやろ」
如月さんと唐沢さんからの評価も散々で。あ、味はともかく見た目は結構いけてる……と思うんだけど。
「うー、うー……」
「無理しなくていいよ。私が全部食べるから」
「いやいや、つつじー。自分が生み出したからってそこまで責任を感じることはないんちゃう? 全員で分ければ、致死量にも届かんと安全に処理できるやろうし」
「そんなに美味しくないかなー……?」
そう言いながら肉野菜炒めをひょいと口にすると、全員の目が驚きに見開かれる。中でも、一番驚いていたのは新橋さんだった。
……口ではああ言ってたけど、匂いを嗅いだ瞬間身体が拒否したんだろうな。そう自分で冷静に分析して、悲しくなってくる。
「え……大丈夫なんか?」
「まあ……はい。一応味見はしているので」
食べれないものを食卓に並べるはずもない。私なりにちゃんと味見して、見た目はあれだけど味はいけると判断したから持ってきたのであって。
「それだけの良識はあったってことやな。ただ病的な味音痴やったってだけで」
「……いえ、もしかしたら本当に味は美味しいんじゃないんですか?」
「ん? 大丈夫? 目がバキバキなんだけど」
「考えても見てください、ただ匂いがキツイだけですよ。ドリアンしかり、匂いとそのものの美味しさは別ってことですよ」
「? ドリアンを食べたことあるの?」
「疑問を抱くとこはそこじゃないやろ」
「匂いのきつい食材は進化の結果やけど、ヤバい匂いのする料理はただの失敗作やからな……やからな?」
「いえ、大丈夫です。大丈夫なはずです。大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫……」
周りの静止も振り切って、肉野菜炒めを口へと運ぶ新橋さん。
そしてゆっくりと咀嚼する。深く味わうように、飲み込むのを躊躇うように……その表情ひとつでは、その心境を判別できなかった。
そしてゴクリと飲み込む新橋さん。恐る恐ると言った雰囲気で、口を開く。
「あの、ギリギリ食べれるレベルの不味さですね……」
「まあ、そりゃ調味料を入れすぎとるだけやからな」
「食べてすぐ卒倒……みたいなことは起きないか」
全員がズーンという雰囲気を纏った、なんとも言えない空気が漂うダイニング。
それを作り出した張本人としては、終始肩身の狭い思いだった。