……驚きすぎて、手が出そうだわ。
「うわー……立派な事務所……」
高校を卒業してから一週間ほど経って。ついに今日から新生活と、神奈川へと上京したその日。
契約や住む場所の手配と、諸々伝えておきたいことがあるというので、真っ先に『Starlight』の事務所に来てくれと、事前に言われていて。
都会ってのは凄いと、母から少ない語彙力で言い聞かされていたので警戒はしていたものの、既に予想以上の人の数でふらふらになっていた。
そんな折に現れた、見上げるのが億劫なほどに高い建物。
その建物全体が看板みたいに、華やかで煌びやかで、芸能事務所というのを主張してくる。
こここそが、目的地の『Starlight』……ではなく。
神奈川No. 1アイドルグループとの呼び声も高い、『マーブル』を擁する、『立川エンターテインメント』の事務所だったりする。
近くにあるということで、遠回りになるものの一度見ておきたかった。
相手を知ることでよりやる気が出てくるかと思ったけど、この分じゃ逆効果だったかもしれない……。
そんな感じでしょぼんとしていると、後ろから肩を叩かれてしまう。
これが世に聞く職質!? と、背後をばっと振り向くも、警察官などではなく、明るい茶髪のボブカットが特徴的な小柄な女性がにこやかな笑顔で立っていた。
小動物を思わせるようなキュートな出立ち。これがもし私服警官だとしたら、天晴れと言うほどの擬態だと思う。
「もしかして……スカウトとかされた?」
「えっ……!?」
こちらが不躾にも、警官かどうかで疑っているところ、そんな訝しげな視線は意にも介さないって感じで、和やかな口調で話しかけてくるその人。
見た目以上に声は大人っぽく、かつ柔らかく、知らない土地に一人心細いこともあってか、はるか昔、迷子の私に声をかけてくれたお姉さんの姿を思い出すことになった。
「当たりかな? とっても可愛いし、そうじゃないかと思ったんだけど……違う?」
「い、いえ、その……今日、上京したてで」
「ああ、もしかして迷子? 目的地わかる? 案内してあげようか?」
不本意にも、思い出した記憶と同じ構図になってしまう。自分よりも大人びてはいると感じるものの……その見た目でそう言われると、流石に情けなくなってくるな……。
「あの、大丈夫です。迷子とかじゃないんで……それより、ここの建物に用があるんじゃないんですか?」
「あらら……シティガールとして余裕を見せるつもりが、気を遣われちゃった。ありがとね」
そう惚けたように言って、屈託のない笑顔を見せるその人。その笑顔には、同性の自分も思わずドキリとさせる、なにかがあった。
「あの、もしかして芸能人……とかですか?」
「え? 私が? なんで?」
「あの、とても可愛らしいので……」
「へー……嬉しい。でも、残念ながら違うかな。ほら、変装だってしてないし」
その言葉にびっくりする。
芸能人じゃないってことは、裏方業務の人ってことになるけど……。『立川エンターテインメント』は、表に出ない人まで、このレベルの人材を揃えているのか……。
入社するだけでも、大変なんだな。
「ふ……ふふっ、ふっ……」
「あ、あの?」
「ご、ごめんごめん……ちょっと思い出し笑い……。それじゃ、こ、この辺で……」
「あ、はい」
それだけ言うと、どこか調子が悪そうにその建物へと入っていくその人を、ただ見送る。どうしたんだろ?
まあ、そんな出会いもあって、なんとかやっていけそうだという思いを胸に、『Starlight』の事務所を目指す。思った以上に時間を食っちゃったし、急がなきゃ。急がなきゃ。
『そんなに急いでどこ行くの?』
『………どこだっけ?』
なんてやり取りを、よくさよちゃんとやったことを不意に思い出してしまう。さよちゃん、新しいところでも頑張ってるかな……?
◇◇◇
「よく来てくださいました、筒路さん。神奈川はどうですか?」
「あ、あの、来たばっかりなんですけど、えっと、とても発展していて、圧倒されてばかりです。これが都会かーって、感じです。はい」
「そんなに都会というわけでもないんですけどね」
応接室のような場所で、勘解由小路さんとそんな感じの挨拶を交わす。
そして、出された紅茶を啜りながら思う。外観はほどほどに歴史を感じるなーって感じだったけど、応接室に関してはその限りじゃないみたいだった。
「それでその、契約に関してですが」
「ああ、早速ですね。話が早くてこちらも助かりますが……。それでは、こちらの書類にサインと印鑑を」
「はい」
言われるがまま、サラサラと名前を書き、判子を押す私に対して、勘解由小路さんは絶句したような表情を見せる……あれ?
「その、筒路さん? こちらが言うのもどうかと思いますが、もう少し確認等を……」
「え、必要でした?」
「……筒路さん。これからの生活で、なにか決断を迫られるようなことがあれば、必ず私どもに連絡をくださいね。必ずですよ」
ぐっと真剣な顔で、そう言い含められる。私としては、頷くほかない。
「それでは、こちらの書類で筒路さんは『Starlight』に所属する正式なタレントとなりました。筒路さんには言うまでもないことかもしれませんが、それを自覚した態度を心がけてくださいね」
「はい、勿論です!」
「良い返事ですね……それではこれを」
そう言って手渡されたのは、携帯端末。型としては、私の持っているものよりも新しいやつだ。
「え……プレゼントですか?」
「いえ、そういうわけでは……。こちらは、『Starlight』と連絡を取るとき専用の端末ですね」
「分ける必要があるんですね」
「はい。基本的にやり取りは外部に漏れてはいけないので……人に貸したりしないように注意してください」
「なるほど。わかりました」
確かにそういう配慮は必要なのかもしれない。いわゆる、社用とプライベート用ってことかな。
「あと、これは注意事項が書かれた一覧です。このような行為は、原則謹んでください。コンプライアンス違反となりますので」
「あ、はい……」
「あ、今読み込まなくても……。というより、筒路さんには紹介しておきたい人たちもいますので、その辺で」
「え、誰ですか?」
「……秘密です」
そうイタズラっぽく笑い、口元に指を一本立てる勘解由小路さん。仕草は子どもっぽいのに、本人の見た目も相まってどこか危ない空気が過ぎる。
「それでは移動しましょうか」
「移動するんですか? えっと……どこへ?」
そう尋ねるも、勘解由小路さんは再度、唇の前で指を一本立ててくる。これも秘密なのかと思っていると、易々とその情報を開示した。
「ここのすぐ上の談話室です。タレント同士の交流のために設けられた部屋ですね」
えーっと……なら、さっきの仕草はなんだったのか。
見た目にそぐわず、そういうお茶目なところもあるのが、勘解由小路さんの魅力だった。
◇
談話室とやらの前につくと、勘解由小路さんは2回ほどノックする。
すると中から、『どうぞー』という気の抜けたような返事が返ってきた。
「それでは……開けますね?」
「? はい、どうぞ」
何をそんなに溜めているのだろうか。
紹介したい人を秘密にしていたことも踏まえて、サプライズのつもりなのかもしれないが、正直この先に誰がいても驚くことなんてないと思う。
もしかして、さよちゃんが待ち構えていたり?
だとしても、来てもらった申し訳なさが勝って驚く隙もないんじゃないかな。だってさよちゃんは今、広島にいるわけだし。
なんてことを考えている間に、ばっと勢いよく扉を開ける勘解由小路さん。
………その部屋の中に視線を飛ばしたとき、驚くことはないというさっきの不用意な考えを、心の底から撤回したくなってしまった。
だってそこには、知った顔ばかりが座っていたし。
「よー、待っとったで、つつじー。ほんま、来るの遅いわー。鬼電するところやったで」
「すみません、織部さん。サプライズの意味も込めて、違う時間を伝えていたので」
「そんなことは言われんでもわかってますよ、紗雪はん。だからって、こいつらと一緒の空間に押し込めるのは酷いんちゃいます? 談話室やなんや知らんけど、交流なんて一切する気のないやつらですよ?」
入り口から一番近い席で、フランクにそう愚痴を溢す細身の女性。関西の血が色濃く出ており、勘解由小路さんに対しても馴れ馴れしい態度を見せる様は、畏れ知らずの一言につきる。
「何その言い草。あんただってツンツンとしたオーラを出してたくせに」
「それは自分らに合わせた結果やろ。にしても、ツンツンとか可愛いらしい表現を使うんやな」
「は? 何それ、喧嘩売ってんの? 私に負けたからって、悪口とかガキみたい」
「いきなり過去の戦績を持ち出すとか、ガキっぽいのはそっちやろ。そもそもバレーを辞めた自分がその話題を持ち出すんかい。笑いを通り越して白けるわ」
その関西弁を使いこなす女性に対して、いきなり剣呑な雰囲気を向けるのは特徴的な癖っ毛の小柄な女性。小柄であるからこそ、その勝ち気な性格が強調されるようだった。
「……いや、喧嘩は売ってないっしょ。ろ、ろなっちはほんとに可愛いし。それはもう、事実だとしか……」
「は? いきなり話に入ってこないでよ。てか、あんた誰? さっきからここにいたっけ?」
「え、えーん……! ろかっちが虐めてくるー! 助けてよ、し、し……しっきー!!」
「は、こっち来んなや。つか、誰やねんお前。キショいあだ名で呼んでくんな」
「あ、あははー……そうだよね……」
そしてまた一人。その2人とは離れたところに座っていて、そしてその2人から雑な扱いを受けるなんだか、可哀想な女性。
その声からしてもしかして……? でも、記憶とは違い、その髪色は鮮やかな色に染め上げており、お洒落さを心がけた服装やネイルをしている……気がする。
なんか、ギャルっぽくなった?
「……なあ、あんた。タバコを買ってきてくれん?」
「へ……わたし? あ、いや……ウチ?」
「今日、タバコを持ってくるの忘れてさ。ここに来てからずっとイライラが止まらんのよ。だからタバコ、買ってきて」
「えーっと…….それで、なんでウチがー……? そんなもの、自分で買ってくればよくない?」
「あんたのその臭い香水が、一番イラついたけん」
「あ、はい……すみません。これどうぞ」
「ああ、持ってたん? ありがと」
そのギャルっぽい人からタバコをもらって、周りも気にせずふかしだすウルフカットの女性。一応電子タバコみたいだし、副流煙、なんてことはないんだろう。それでも一言ぐらいは声をかけるべきじゃないの、とモヤモヤした気持ちを抱いてしまう。
というか、アイドルやるのにタバコってどうなの?
「もう! タバコいやー、煙で不味くなる」
「はっ、どこがやねん。これは電子やし、この煙も見た目だけなんやが。頭おかしいんか」
「それはこっちのセリフだけど」
そして最後の一人。のんびりとした口調ではあるものの、タバコを吸っている女性に明確な嫌悪感を示す、この中では一番背の高い女性。臭いで不味くなるとは言いながらも、談話室に置かれていたであろう市販の菓子を、食べる手は止まらない。手元の、開封された個包装を見る限り、ここに来てからずっと食べていたんだろうなと窺える。
そんなキャラの濃い5人が、同じ部屋で一定の間隔を取って座っている。
最初の女性の言葉を借りるようだけど、この5人を同じ部屋に押し込むのは無茶だと思うな……。
「筒路さん。こちらの人たちが、筒路さんを中心とするアイドルグループのメンバーです。とんだ、サプライズですね」
「………はは、はははっ……」
なんて?
そう言った勘解由小路さんの憎たらしい顔に、私はただ、乾いた笑いをあげることしかできなかった。




