こいつ……マジかよ。
「なあ、何があったん? あいつら」
「何が?」
「筒路と織部。知らん間に、壁ができとるやろ。寝とる間に何が起きたん?」
「寝てたんなら良いんじゃない? 知らなくて」
そんな会話が後ろで繰り広げられていたとか、いないとか。
人がさざなみのようにごった返す東京駅で、もみくちゃにされながらも私たちは隊列を崩さずに歩いていた。
先頭に、私と織部さん。そしてその間を壁のように挟んで熱海さん。その後ろに如月さんと新橋さんがいて、更にその後ろの最後方に来海ちゃんと唐沢さんが仲良く並んでいた。
………この並びになったのは意図したことではない。
だからといって、気まずいからと後ろに下がるのは流石に嫌なやつ過ぎるので、お互いに下がろうとしない。
そのせいで、前方には重苦しい空気が充満しているけれど。
間で気まずそうにしている熱海さんには、流石に申し訳ないとは思うんだけどね……。
「あ、ポートファリマ周辺に行きたいなら、こっちのバス乗り場からですね。15分程度で着くと思いますよ」
しかし頼りになるなー、熱海さん。土地勘のない私たちからすれば、東京はまさにコンクリートジャングルで。
駅構内もだけど、周辺のバス停も数が多すぎて、私たちだけだと迷うことも必至だったはずだ。
まあ、もっとも。そういう時一番頼りになりそうな織部さんが、ヘソを曲げてなければの話だけど。
……私が怒るのは当然としても、不用意な発言をした織部さんがそういう態度を取るのは違うと思う。別に、謝って欲しいと思ってるわけじゃないけどさ。
「あ、あの。筒路さん?」
「はい?」
「あ、いえ……その。全員で同じバスに乗るのもどうかと思っただけで」
熱海さんのそれは、当然の提案だった。
ここまでの道のりは人が多くて、私たちが固まっていたとしてもバレるなんてことはなかったけど。
バスに乗るとなると一気に人も減るだろうし、更に如月さんや唐沢さんと、女性にしては背の高い二人が目を引くことも避けられない。
いくら本拠地が神奈川とは言え、『chronicle』の『B otC』に出るにあたって、ぼるべるのことを知ったって人も少なくないだろうし。
「あれでしたら、スピカにでも乗りますか? お金は出しますので」
「そんな悪いですよ」
「ですよね。私も言ってて思いました」
スピカとは自動操縦のタクシーの通称で。乗り場に行き、自動車免許を持っている人なら誰でも利用できる移動手段である。
その分値は張るものの、スピカ専用の車道で速く目的地につけたり、値が張る分利用者もそう多くないので、すぐに利用できたり……と良いところも多い。
ただ、値が張るだけで。
私たちはなくなく、そのデメリットを享受する。7人乗りのワゴン型と、一番お高くはあったものの割り勘することでことなきを得た。
ことなきを、……得た?
◇
『ポートフォリマ』
国内最大級の競技場であり、この広い施設には陸上のトラックや球場は勿論、人工芝が張られたスタジアムや屋内競技用のどデカい体育館まで併設されている。
スポーツ観戦が趣味の人には聖地のような場所であり、どの競技にハマるとしても、必ず避けては通らないような場所だ。
かくいう私も、何度かここでプレイしたことがある。件の選手権大会も、決勝はここで行われたし。
プレイヤー目線としても、非の打ち所がないところではあった。
床や用具がピカピカなのは勿論のこと、医務室やスパー用品を各種取り揃えた売店など、あったら嬉しい施設も揃っているし。
そんなポートフォリオの駐車場に停めたスピカの中から。
私たちは、何かのサポーターらしき人たちが車を降りてゾロゾロと施設内へと入っていく姿を見送る。
今は丁度、女子のプロバレーの開幕戦のシーズンであり、かくいう今日もここポートフォリオでは、プロチームの試合を行われる予定だった。
どちらも関東圏を拠点にしたセカンドリーグのチームではあるものの、客の入り様は凄まじく。
中が埋まりそうな勢いで、総合体育館へと人の群れが吸い込まれていく。
私たちとしても、未練があってそんな場所に来ようとしたわけではなく……というかポートフォリオに来たのは熱海さんたっての希望だった。
バレーの試合が見たいという本人の強い熱望があって、ここに訪れていたりする。
最も、こんな人が群れなす列の中を、飛び入りの私たちが入っていけるわけもないので、観戦は近くのスポーツバーでする予定だけど。
だからこうして、サポーターの姿をじろじろと観察しているのは、ただの悪趣味な趣味でしかない。
「そろそろ行きましょうか、熱海さん。試合も始まっちゃいますしーー、」
「あの! 筒路選手ですよね!!」
ガチャリと助手席のドアを開けて熱海さんにそう呼びかけると、出待ちされてたみたいに誰かからそう声をかけられてしまう。
事実、私の名前を呼んだんだから出待ちしていたに違いない。
今日の試合内容を含めて考え、中が見えづらい車の中ではあるものの一応の変装はしていたというのに、それでも足りなかったらしい。
「ごめんなさい。私たち、急いでるので」
「あ……、す、すいません。邪魔でしたよね」
わざと冷たくあしらって追っ払おうかと思ったら、その雰囲気を察されたのか、ほどよい距離を取られてしまう。
しつこいようならドアを閉めて、熱海さんに頼んで無理やりスピカを発進させようと考えていただけに、拍子抜けしたような気分を抱く。
「もう、何してんのさ! 人の車になんか近づいて迷惑かけてんじゃ……!? え!? 筒路選手!??」
「え? ホンモノ? ………本物じゃん……」
扉を閉めずにいたせいか、後から来た友人らしき二人組にも私の正体がバレてしまった……というか、選手って呼び名はやめて欲しいんだけど。
「あの、私たち筒路選手のファンで……」
「ちょっと侑芽! さっき自分が迷惑だって言ったばっかじゃんか!」
「あ、そ、そっか……そうですよね」
侑芽と呼ばれた、でこでことデコられたバッグ(一昔前は痛バとか呼ばれてたやつ)を提げたその女性は、自重してか最初に声をかけてきた女性の横に立つ。
もう一人もその横に並んで、スピカの横に直立した姿勢で一列に並んだ成人女性たちと、なんともシュールな光景を生み出していた。
怖い顧問の監督が出てくるのを待っている生徒たちみたいで、その光景にあまりいい思い出はない。
……どうしよう、私が出てくるのを待っているみたいだけど、ここで車のドアを閉めるのは流石に感じが悪いし、対応はすべきだよね……と、迷っていると。
何かトラブルが発生したのかと嗅ぎつけ、後部座席の方から、あまり今の状況で出て来て欲しくない人が現れる。
「どした、筒路。絡まれとんか?」
「あ……え、唐沢選手まで……」
「マジ……? マジマジマジ!? アイドルになったって話は聞いてたけど、マジのマジじゃん!?」
「あー……やばい。一生分の運使ったわ」
唐沢さんが現れて、一層色めき立つ三人。
私たちを携帯のカメラで収めようとする欲望と、それを治めようと自制する理性が闘っているのか、必死にその腕を片方の腕で押さえていた。
「……知り合いなんか?」
「どう見てもファンやろ」
私たちじゃ埒が明かないと悟ったのか、唐沢さんの後ろから出てきた織部さんは、出てくるや否や軽快なツッコミを入れる。
それだけで上手くまとまりそうな気がしてくるから、本当に不思議なことだ。
織部さんと気まずい今の状況でも、その登場に歓喜してしまうぐらいには、織部さんに毒されてた。
「ごめんな。私ら、これから行く場所があるから。サインとかは勘弁な」
「は、はい。わかってます。今日行われるプロバレーの試合を見にきたんですよね」
「あー、ちゃうちゃう……ちゃうこともないか。それを見るために、今から近くのスポーツバーに行く予定やねん」
「え……? 現地では見られないんですか……?」
「せやねん……チケットが取れんくてな」
「で、でしたら! これ、お譲りします!」
そう言って、取り出したのは何かのチケット。今の文脈的に、それが今から行われる試合のチケットだってことはあきらかで。
「あ……わ、私も!」
「わ、私のも良いですか?」
その暴走を止めてくれという意味で、他の二人に目を向けるも、何を勘違いされたのかその二人もチケットを差し出してきた。
その流れに、さしもの織部さんも冷や汗を流してる。
「いやいや、ええですよ。折角取ったチケットなんやし。私らのことなんか、気にせんでください」
「いえ、そういうわけにもいかないんで!」
「そもそも、私らなんかが会場の中に入ったら結構な騒ぎになるのは目に見えとるわけで。観客席の中に堂々と行けるわけもないんで」
「そこは大丈夫です! これ全部、プレミアチケットなんで!」
その言葉に固まる織部さん。
より、大丈夫ちゃうやんけ。という声が、織部さんの口から聞こえてくるようだった。
プレミアチケットは他とは違い個室の席。個室なだけあって、お酒を飲んだりして自由に観戦できるものの、勿論その分お高くなってるわけで。
聞いた話によると、普通のチケットの1.5倍ほどの値段はしてしまうらしい。
それでもゲットできるのに一苦労するという話なんだから、恐ろしいことである。
そんな目が飛び出るほど貴重なものを、織部さんが受け取るようなはずもなく。考え抜いた断り文句を、口から出そうとする瞬間だった。
「え!? 良いんですか!?」
いつの間にか、織部さんとその女性たちの間に入って、目を輝かせながら嬉しそうに言う熱海さん。
織部さんの口から、『良いわけないやろ』という声が、小声ながら聞こえてくる。
「……あかんでー、熱海はん。無理言ったら……。さ、さっさと行こうなー。試合、始まってまうから」
「大丈夫です! 三枚しかないんですけど、どうぞ使ってください!」
「ありがとうございます! いやー、まさかこんな偶然があるなんて……ラッキーですね!」
そう言いながら、躊躇うこともなくチケットを受け取ってしまう熱海さん。あまりの手際の良さに、その手を誰も止めることもできなかった。
「「………」」
私と織部さんは、揃ってそのニコニコとした顔に良からぬ感情を抱いてしまう。
唐沢さんは、心底興味なさそうな顔で、その流れを遠くから眺めていた。
「では、私たちはこれで……」
「ちょい待ってください。……せめて、ツーショットだけでも撮りません? このチケットの、お礼ってわけでもないですけど」
去ろうとする女性の皆さんに対して、織部さんはそう言う。完全にお礼だった。
流石にこれをただで貰うのは忍びないし、(熱海さんとは違って)常識的な感性を持つなら、その行動は妥当でしかない。私だってそうするし。
結局、キャーキャーと色めき立つその人たちを相手に、車の中にいた他の面々も引っ張り出して、突然の撮影会を始めた。
全員とツーショットを撮れるということで、ホクホクとしていたその人たちとは対照的に、私たちは全員でゲンナリとした気持ちを抱えていた。
だからと言って、それをおくびにも出さない来海ちゃんは、流石の一言に尽きる。
その張り付けている笑みも気持ち柔らかくなっているように見えるのは……、気のせいかな。