策謀……全貌。
「緊張は、なさっていないのですね」
「はい。私がここで焦ったところで、結果は変わらないので」
ドームに設けられた、ステージを見下ろせる関係者席で。隣同士に座っていた妙齢の女性と幼い少女は、お互いの顔を見ようともしないまま、会話を続ける。
「今日はお一人で来られたんですか?」
「いえ、歳の離れた兄と一緒に。もっとも、こういったものには興味がないのか、ここに着くと同時にどっかにいってしまいましたけどね」
そう言ってクスッと笑みを見せる少女。対して、女性の方はその表情筋をピクリとも動かさない。
しかし、そんな薄っぺらい会話の中で放たれた少女の鋭い一言に、その真顔をわずかに曇らせる。
「賭けを、反故にするつもりはありませんよ」
「……いきなりですね」
「すみません。ただ……その余裕が少し、癪に触ったので」
悪びれながらそう言うも、その言葉を撤回するつもりはないようで。
それが事実だと言うように、聞き分けのない子どもに強く言い聞かせるような言い回しを続ける。
「ここに占める観客の、大多数が『金糸雀』のファンである以上、『アヴォル・ベイル!!』さんが投票で一位を取ることは、まず不可能かと」
「それは、あのパフォーマンスのことをおっしゃっているのですか?」
「はい、こちら側も手を尽くさせてもらいました。お遊びも、度が過ぎればおイタが来るということです」
「お遊びと断じられるのは心外ですが……お子様にはわからないことでしょうね」
飾り気のない言葉のラリー。丁寧な言葉遣いにさえ騙されなければ、子どもの口喧嘩のようにも聞こえてくる。
そんな険悪な空気が取り巻く中で、注目の『エイトビート!』の出番は訪れる。
歓声は少ないながらも、観客からの期待値は今までのどの組よりも高く、殆ど出来レースの様相を見せていた。
肝心の歌唱とダンスの方も、『金糸雀』が目をかけるだけあって、中々に高い。
勿論、新生であるが故の粗は目立っているものの、色眼鏡が入った観客の目なら誤魔化せる程度のもの。
アクシデントさえなければ盤石と言えるほどに、拍手と歓声をもって、その出番を無事やり遂げてみせた。
「? どちらに行かれるのですか?」
「少し、彼女たちの様子を見てきます」
「出番はもうすぐのはずですが」
「だからこそですよ。先程の『エイトビート!』様のライブ映像は控え室でも拝見していたでしょうし、もしかしたら弱気になっているやもしれませんので」
『エイトビート!』の出番が終わるや否や立ち上がったその女性に声を掛けた少女は、その返答に含みのある笑みを見せる。
口では強がっていたものの、隠しきれていないその弱さに、少女は嬉しそうな表情を隠さない。
「勘解由小路様が行って、なんとかなると?」
「なので念のためです。彼女たちの心のケアというより、この不安な気持ちを解消させるのが目的なので」
誤魔化せないと悟ったのか、包み隠さず本音をぶち撒ける女性。言い逃げの形でその場を離れようとしたところで、それを押し留められてしまう。
「すいません。公演中の離席は、極力控えて頂けるようにお願いします」
「………どういうことですか?」
「すみません。ご協力、お願いいたします」
そこの会場のスタッフらしき男性は、その女性の質問に取り合わず同じことを繰り返す。
その女性は我が耳を疑ったような様子であった。それもそのはず、その要求は無茶苦茶なものであったから。
ライブ中の離席を禁止されるなんて話は聞いたこともないし、それを強要してくる意図も不明。
それに何より、この音楽フェスが始まってからチラホラと何人かが席を立っている姿を見かけていた女性からしたら、それは自分に対する嫌がらせだとすぐにわかってしまった。
ーー、そして、その指示を出した人物も。
「………どういうことか、説明して頂いても?」
「え……? えーっと……、どういうことでしょうか」
そう決めつけたような発言に対して、意外にもその少女はその状況が読み込めずに困惑しているようで。
到底演技には見えないその様子に、今度は女性の方が困惑する番だった。
「……すみません。なぜ、このような真似を?」
「はい?」
「それは、誰からの指示なんですか?」
「すみません。言えない決まりなので」
その少女に対しても毅然とした態度は崩さない男性。これでは埒が明かないと、上のものを呼ぶように少女は要求する。
「すみません、それもちょっと……」
「先ほどから謝ってばかりで話が一向に進みませんね。どのような意図があって、そのようなことをおっしゃっているのかお聞きしたいだけなのですが」
「ですからそれはーー、」
「ルールだから、というだけなら、そんなふざけたルールは無視しても構いませんよね。どうぞ勘解由小路さん、お先に行ってください」
暗に、こっちは任せろと伝える少女。その好意に預かって女性が席を離れようとすると、応援のスタッフが駆けつけてきてしまう。
「すいません。ご遠慮ください」
「なるほど……あくまでも、ここに止めるつもりですか。ということは、このことに対するそれ相応の対応を取られても、構わないということですね」
そう女性が脅しを入れると、流石に相手側もたじろいだ様子を見せる。
しかし、その立場を譲るつもりはないようで。『少し確認させてください』と断りを入れると、あからさまな時間稼ぎを始めた。
「いい加減にしてください! 確認を取るまでもないはずです! そもそも、このようなことでとやかく言う筋合いが、あなた方にあるはずが」
「花菱さん。もう結構ですので」
「ですがーー、」
「いえ。どうやら、間に合わなかったみたいなので」
そう言った女性の視線に従って、少女はステージの方を見下ろすと、そこには『アヴォル・ベイル!!』の六人の姿が。
その時間は曲前の、自己紹介等を行うフリータイムであるはずなのに、ただ黙ったままでいるその六人。
誰も何も話さず、無言の空間が過ぎていくというその異様でシュールな光景に、観客の間からもざわめきが広まり始める。
「ど、どうしたんでしょうか?」
「さあ……、緊張しているだけなら良いんですが」
そんな願いを口にする中で、ステージ上ではいきなり曲のイントロが始まる。
自己紹介もなければ曲フリもないとなれば、そういう演出を通り越して、観客の顰蹙を買ってしまうかもかもしれない。
ただそんな不安を感じる前に、その女性の顔は驚愕の色で、彩られることになる。
「な、なんですか! この曲は!?」
ぼるべるがこのライブで予定していた曲は、『アザレア』の『hole in one』。
アイドルの曲らしからぬ力強い曲調が印象的な曲で、それに加えてアップテンポの激しい動きをベースにしたダンスと、素人が簡単に手を出して良いものではない。
それでもこの曲をその女性が選出した理由は、ぼるべるのポテンシャルと個性を一番活かせる曲だと判断したからだ。
勿論、その分練習は積ませた。そのおかげか、昨日の通しでも、舌を巻くほどの上達具合を見せていた。
彼女たちの持つアイドルとしての才能を、羨まがしがっていたぐらいである。
だというのにーー、今流れているイントロの曲はそれのは全くの別物。『All Gray』の、『アストロ』に違いなく。
それは女性をもってしても、全く予想だにしなかった妨害で。まさか、かける曲を変えるなどという直接的な手を取ってくるとは夢にも思っていなかったようだ。
そもそも、こんな罠を仕掛けてくるなら、あんな観客に対するパフォーマンスも必要なかったはずなので、当然とも言える。
「即刻中断してください!」
「は、はい! でも、どうやって」
「ブレーカーでも、何でも落として!!」
焦った様子で、大人気なく少女に怒鳴りつける女性。だが、それが不可能なことは自分で言っててわかったようで。
いくら、この曲のイントロが特別長いと言っても、精々一分程度。このタイミングでは、そのステージ近くの人しか止めることは能わない。
それでいて、運営陣含めて敵ばかりとなると、その辿る命運は決まりきったようなものだった。
このままAメロが始まってしまえば、あの子たちは歌えずその場に立ち尽くすことになる。そんなものを観客の前で見せてしまえば、どんな反感を買うことになるか。
女性は忸怩たる思いを抱くことになる。卑劣な工作によって嵌められているその様は、かつての自分を見ているようで、今すぐにでも吐きそうになっていた。
もういっそ、倒れる演技でもしてくれたならーー、そうすれば無理なく中断をすることができる。
彼女たちを思うがあまり、そんな心無いことを思ってしまう女性。そんな願いが届くはずもなく、その女性より余程高潔な少女たちは、このまま敢行するつもりかマイクを口元に当てた。
あまりにも堂々とした態度。アクシデントなんて感じさせない、立派な立ち姿。
そこから見てわかる通り、『アヴォル・ベイル!!』の面々は、表現者として天賦の才を持っていた。
だからこそ悔しさが先行してしまうようで。
アイドルとして、本当の意味で走り出していた少女たち。少女たちがアイドルに魅入られ、囚われていたことを知っていただけに、こんなくだらないことでその未来が潰されてしまうのが、どうしようもなく許せなかった。
これが、これが終わったらーー、まずあの子たちを抱きしめる。そしてーー、差し違えても花菱を潰す。人脈を何でも利用して、絶対に潰してみせる。
そんな仄暗い感情を抱き、固めた決意はーー、聞こえてきた歌声に全て粉々に破壊されてしまう。
「嘘……なんで?」
そのあまりの衝撃に、取り繕った敬語口調も、思わず取れてしまうほど。
その少女たちは歌えていた。最初のワンフレーズではなく、完璧に。動きも含めて、『アストロ』を再現していた。
その状況を的確に理解したのか、少女は尋ねる。
「こ、これはどういうことですか? 流す予定の無かった楽曲も、練習していたのですか?」
「それが、私にもさっぱりで……。この一曲に賭けていた以上、そんな余裕があったはずがない……はずなんですが。どうして歌えているんでしょうか……」
それにただ歌って踊っているだけじゃない。その振り付けは元の『All Gray』を意識しているようだけど、『アヴォル・ベイル!!』の独自性も多分に見て取れた。
コピーというより、ブラッシュアップ。元の振り付けを知っているその女性からしたら、物足りなかった部分を身体能力で補っているように見えていた。
「やはり……織部さんが、何かやったんでしょうか」
その織部何某の、並外れた優秀さを知っている以上、その女性は当ても無く勘繰ってしまう。
この思考回路は、筒路何某と殆ど同一のものだった。
そうやって自分を納得させて見ると、その口角は自然と上がってしまう。
こんな嫌がらせのようなハプニングに遭ったというのに、それを跳ね除けてみせるその姿に、女性は年柄にも無く興奮してしまったのだ。
逆境を越えるその姿に、ピンチをチャンスに変えるその様に、少女たちが並んで黄金世代などと呼ばれていた理由を、図らずとも理解してしまう。
少女たちの溢れんばかりのスター性に、そういう星の下に生まれてきたんだと、とても似合わないスピリチュアル的な思考を抱いてしまうのだった。
◇◇◇
「お疲れ様でした。あのようなハプニングに遭いながら、素晴らしいパフォーマンスだったように思われます。よく、頑張りました……本当に、よく」
『アヴォル・ベイル!!』の出番も無事終わりを迎えて、もう私を止める必要は無くなったのか解放された身で、私は真っ先に彼女たちの元へ向かう。
そしてステージから降りてくる彼女たちの、そのやり遂げた勇姿を見るや否や熱くなる目頭。
それを必死に抑えて、賞賛の声を投げかける。
それに対して、返ってくる言葉はない。
いつも飄々とした態度でいる織部さんや、何かと噛みついてくる来海さんも、そのいつもの元気もないようで。
二人して、荒い呼吸を繰り返している。
このハプニングは事前に予測していたものとばかり思っていたが、そういうわけでも無かったのか。
ギリギリの綱渡りをしたような疲労感に苛まれている風にも見える。
「……どうやら、皆さんお疲れのようですね。こちらに部屋を用意しておりますので、そちらにーー、」
そう言い終わる前に、示し合わせたかのように前のめりに倒れ込んでしまう、四人の姿。
あまりのことに二の句の継げれない私に対して、唐沢さん、如月さんの両名はそれを予期していたのか、倒れる四人を両腕に二人ずつ、がっちりと抱えた。
「え、あの? 何がーー、?」
「悪いけど、『金糸雀』との合同ステージには立てれそうにもないけん。こいつら、病院に連れて行かんと……タクシーを、呼んでくれんか?」
唐沢さんがそう言うと、二人して寄りかかるようにしながら、その場にへたれこむ。
どちらとも、それ以上喋る余力はまるで残っていないようだった。




