毒は……効くが?
「でも、盛られたって……いつ?」
「私ら全員となると……思い当たるのは、昨日紙コップに注いで飲んどった炭酸飲料やろうか」
「それって、あんたが買ってきた?」
「せや。それをまんまと利用された形になったな」
その事実を、確定形のように堂々と言い切る織部さんに対して、私たちはまだその衝撃的な真相を飲み込めずにいた。
というか、その『金糸雀』の皆さんが犯人だという仮定には、まだまだ納得できないところがあるし。
まだ回復の兆しが見込めない……それどころか悪化しているようにさえ思える頭の痛みを耐えながら、やぶれかぶれに反論する。
「じゃあ、『金糸雀』さんたちじゃ無理じゃん……。それはずっと、織部さんの部屋にあったんだから。私たちが揃って口にしたのは、確かにそれだけだけど……、でも、何かを盛るのが不可能な以上、ただの偶然って考える方が自然じゃないの?」
「いや、不可能ってことはないやろ。こそっと私らの部屋に入って、犯行を及ぼすタイミングなんていくらでもあったはずやからな。それこそ、私らが夕食を取りに降りたときとか」
「それで? どうやって部屋に入るの?」
「忘れたんか、つつじー。ホテルの部屋は向こうが手配したんやで? そして、あのホテルは古いタイプのカードキー式。部屋が予めわかっとんなら、そこの合鍵を作って、入ることもできるやろ」
「それって、『金糸雀』さんたちが、このフェスの運営とグルだったって……そう言いたいの?」
「グルっちゅうか、運営の方も『金糸雀』に頼まれたら、まず断れんやろうな……。それが例え、犯罪の片棒を担ぐことになってもな」
憶測に憶測を塗り重ねた、らしくもない推論。
いくら流されやすい私だからって、そんな確証もない話を、はいそうですかと、信じれるわけもなかった。
「そら証拠はないわ。肝心のペットボトルも、中身を全部飲み干してしもたわけやし」
「でもそれを買ってきたのは結局、あんただったわけでしょ? 向こうが事前に仕込んでたわけでもないなら、その説は成り立たないでしょ」
「そや。それが引っかかる……でも、状況的にな」
と、織部さんが長ったらしい推論を始めようとしたところで、唐沢さんに寄りかかっていた如月さんが滝のような汗を流し始める。
体調が悪化して、とかではなく。その表情を見るに、非常に不味いことを思い出した……といったような感じで。
「なんや? なんかあったんか?」
「……昨日、部屋の冷蔵庫にペットボトルのジュースが置いてあってね」
「ジュースやと? ……それは、自分が買ったやつ……ちゃうんやろうな」
「ううん、心当たりはなかった」
「バリバリ仕込まれとるやんけ!」
こんな隅で話しているのも意味がない強烈なツッコミに、私も昨日のことを思い出してしまう。
思わず、フルフルと頼りない視線を、その弱った様子の如月さんの方へと向けていた。
「も、もしかして。昨日、寝る前に『これ、いる?』って聞いてきたのって……」
「………うん。丁度、喉が渇いてたから、聞いたよ」
「で、私はいりませんって答えて」
「そう。だから飲んだ」
「飲んだんかい!?」
その鋭いツッコミに、如月さんはビクリと肩を振るわせる。
あまりの事実に、私も額へと手を当ててしまった。
変なことを聞いとくるな、とは思っとんだよ! 思ったんだけど……っ!
まさかそれが、見ず知らずの飲料が置かれてたときの反応だなんて、気づくわけもなく! いや、すぐにでも確認すれば良かっただけの話なんだけど!
如月さんも如月さんで、もう少し警戒心ってのを持って欲しい。そこにあったからって口にしていたら、拾い食いする犬と、なんら変わらないよっ!
「ってことはあれか? 最初の方はターゲットは誰か一人……だったはずなんやけど。私が丁度良いもんを買ってきたのをどっからか知って、そっちにも同じもんを仕掛けてきたってことか?」
私自身、織部さんがそう出した結論に賛成せざるを得なかった。ここまで状況証拠が揃って、相手を疑うな……、という方が無理がある。
「ってことはてことは? 如月はんは昨日のうちに、毒物を二回分摂取してもうたってことでええんか? それ、ほんまに大丈夫なんか?」
「うん……強烈な吐き気と眩暈がするぐらいだし」
「充分重症じゃんか。なんでこんなとこいんの」
「その発言は全員に刺さるからやめとき……。この症状に、如月はんの発言を信じるなら……、盛られたのはおそらく風邪薬やろうな。なんやねん、バリバリ違法薬物やんけ」
風邪薬。
風邪薬とは一昔前に流行った、所謂風邪の症状に近しいものを引き起こす粉末状のナニカ。
どこかの姪っ子好きのバカで天才な薬学部の学生が、姪からの『学校を休むため、風邪になるお薬が欲しい』という可愛らしいお願いを叶えるために、情熱と心血を注いで作り出したという代物。
経緯は鼻で笑ってしまいそうなものだけど、その効果は凶悪すぎるほどに本物で。
身体にウィルスと誤認させる成分でできたそれは、強制的に身体の機能をバグらせることで、防衛反応をたちまち引き起こしてしまう。
その男は姪からの要望を完璧に叶えてみせた。ただあまりに効きすぎた結果、それを姪の方が多用してしまいーー、若くしてその命を落とすことになった。
姪を失ったその学生は、自暴自棄から自作した風邪薬をネットの海に流したという。そして罪の意識からかその学生は、警察に出頭してそれまでの経緯をありのまま話したという。
そしてその効果の絶大さは、その日を境に日本各地で起き始めた数々の事例がありありと示していた。これを受け、急遽日本の政府は、この風邪薬なるものを違法禁止薬物に指定したのである。
ただ、使うのを禁止された今でも、そのブツは裏のマーケットで盛んに取引されているらしい。
それだけその学生が大量に流したのか、はたまたどこかの誰かがその成分を研究して、同じものを作り上げたのか。
どちらにせよ、それらの噂は事実やったみたいやなーー、と織部さんは長々と説明してくれた。
いつもながら、博識なことである。
「調べたところ、量を摂ったからって、それだけ症状が悪化するなんてことはないらしい。所詮、ウィルスが侵入してきたと身体に誤認させとるだけやからな」
そこで一つ安心する。……いや、全然安心できる状況なんかじゃないんだけど。
「ただ、この様子やと人によって効きやすい、効きにくいはやっぱりあるみたいやな……。せやないと、如月はんがここまでヘロヘロになっとる理由が説明できへんし」
「ふーん……つまり、そう長々と話せるってことは、あんたにはあんまり効いてないってことか」
「逆に新橋はんにはよく効いてそうやけどな。普段から、自分を誤魔化しとるみたいなもんやし」
「ちょっ、それは失礼すぎるっしょ!」
そう言って、らしくもなくベタベタと織部さんに引っつく新橋さん。その行動一つで、織部さんの言葉の信憑性が一気に増してしまう。
「ともかくや。この薬の作用……というより、身体機能の誤反応やねんけど。最低でも、発症してから半日はずっと続いてしまうらしい。どう足掻いても、ステージにはこの状態で上がらんといけんっちゅうわけや」
「この状態で……ね。ならせめて、如月は外しておいた方が良いんじゃない? 今にも倒れそうだし」
「せやな。比較的マシなんは私みたいやし、私がこの子をホテルに連れて帰るわ。本番前には戻るから、紗雪はんにはなんとか誤魔化しとってな」
「織部ちゃん」
「あかんで、如月はん。大人しゅう、私らの活躍をホテルで祈っとき」
そう言って肩を貸しながら、イヤイヤと首を振る如月さんをホテルの外まで連れて行く。如月さんは本当に辛いのか、まともな抵抗もできないみたいだった。
「あんたも……帰っとかなくて良いの?」
「うん。私はリーダーだから」
「あっそ……。倒れても知らないから」
そんな冷たくも取れる一言を放つ来海ちゃんだけど、これだけの付き合いがあれば嫌でも、それが私を心配しての言葉だってことはわかる。
織部さんの言う通り、来海ちゃんは結構なツンデレさんなんだ。それも、微笑ましいほどの。
◇◇◇
オープニングトークを終え、ステージを降りて。少々『金糸雀』の皆さんと雑談を交えた後、私を含めた『エイトビート!』の全員は、控え室の道を戻っていた。
あんなサプライズをした後で、抜け抜けと控え室に戻るなんて……と、メンバーの皆んなも最初は不安がってた。
けど、『金糸雀』さんたちから頂いた、『私たちと親しい人もいるから、多分庇ってくれるよ』という旨の言葉にそんな不安も取り除かれたみたいだった。
そしてついでに、『アヴォル・ベイル!!』の人たちも煽っといて、という指示を『金糸雀』さんたちから頂いていた。
本人たちの口からは言及されなかったけど、あの急遽決まった、私たちが壇上に上がるというパフォーマンスも、そのアボルなんちゃらって人たちに対して行ったものに違いない。
私たちとは違う方向で『金糸雀』の皆さんに、目をかけられているそのグループ。多分、私たちと同じくらい幸運だった。
だからこそムカついてしまう。
『金糸雀』の皆さんに目をかけられているというその事実が、シンプルに許せない。
あの人たちの寵愛を受けるのは私たちで良い。
わざわざ話しかけた上で、事前に同じ立場だという言葉を投げながら、あの『金糸雀』さんとともにステージに立って見せる……という煽りに近い行為を既にやっていた以上。
『金糸雀』さんに言われなくても、散々煽ってみせるつもりだった。自分でも、性格は悪いと思う。
「でも咲ちゃん。何をしたんだろうね、そのぼるばれって人たちは。あんなに『金糸雀』の皆さんに敵視をされるなんて」
「さあな……、案外あの人たちも気に食わねんじゃねーの。バレー上がりの奴らをよ」
「ちょっと。『金糸雀』の皆さんが、そんなことで目鯨を立てるはずがないでしょ。言葉を慎んで」
気が大きくなったのか、下卑た思考を披露し始めるメンバーを、振り向いて注意する。
流石に言葉が過ぎる。真っ向から叩き潰そうとする理由は不明だけど、私たちにはわからない深い事情があるはずだから。
「ん? あれ? あの今通路を通って行った人って、ぼるべるのメンバーの人じゃなかった?」
驚いたように言う、春香のその発言。
……確かにそうだ。特に肩を支えられてたあの大きい少女なんて一目見れば忘れることなんてできないし、見間違えはありえない。
どちらも妙に足取りが重そうだったけど、何かあったというのか。
「ちょっと、私。追いかけようかな」
「やめときなさい。失礼でしょ」
勝手な行動をそう諌める。『金糸雀』さんたちに目をかけられていると堂々と発表した以上、後を尾けるような低俗な行為は許されない。
『金糸雀』さんたちの評判にも関わってくるためだ。
「あなたたちはあまり喋らないように。素行の悪さがバレてしまいますから」
「はいはい。何度も言われてるんで、重々理解してますよ」
「言い方とか、酷くないですか?」
そんな不満の声を聞き流しながら、控え室えと入る。途端に私たちに刺さる、大勢の視線。
敵意も多分に含まれているが、堂々とそれを伝えてくるものはいない。『金糸雀』さんたちの言った通り、何かしらの私たちに対するフォローが入ったみたいだった。
その中でも特に気になるのは、アボルなんちゃらの反応。事前に友好的に接していただけに、さぞ悔しがっているだろうと、心の中でニヤニヤしていたものの。
思ったより応えた様子もなく。私たちを前にしても、大した反応は見せなかった。
「あ、『エイトビート!』の皆さん。さっきは凄かったですね!」
「さっきの……もしかして、見ていました?」
「そりゃ、勿論ですよー。あんな大勢の観客の前で堂々と、とてもデビューしたてには見えない、経験の差を感じましたー」
その煽りも何も含まれていない純粋な賞賛に、後ろの方で吹き出すような声が聞こえる。
それも含めて若干イラッとしてしまったものの、それをひた隠しにして、相手を挑発することに徹する。
「すみません! さっきはあんなことを言っておいて、私たちだけ……。『金糸雀』の皆さんによくしてもらっていると、どうしても言い出せなくて」
「ううん、全然! むしろ、丁度良いぐらいですし」
「……何がですか?」
「何がでしょうね?」
お互いに惚けているものの、その言葉の意味することは痛いほどわかる。
つまりこの人たちは、あんな観客を味方にするようなパフォーマンスをされた上で、それでも私たちに勝つ自信があるということ。徹底的に舐められていた。
「……どうぞ、お手柔らかにお願いします」
「こちらこそ!」
感じた怒りを見せる前に、そそくさとその場から退散する。こんなことで心を乱すなんて、我ながら情けない。
所詮、強がっているだけにすぎない。負け犬の遠吠えと思えば、なんてことはない。
必死に自分にそう言い聞かせる。
『金糸雀』さんたちとの共演。その悲願の前では、こんな挑発もなんてことはなかった。




