病は気から……やばい吐き気から。
「いよいよ、本番は明日かー……結局、食べ歩きなんかはできなかったけど」
「当たり前やろ。ライブ前やっちゃうねん、牛タンを楽しんどる暇なんて、あるわけないやんけ」
「だからってライブ会場の下見なんて必要だった?」
「必要や必要。規模感もわからんと、敵陣に臨めるかいな」
明日で、ぼるべるの進退が決まると言うのに、そんな緊張感の欠けた会話が繰り広げられるのは、N23近くのホテルの一室。
向こうの計らいで、二人ずつの3部屋分で客室を取って貰っているんだけど、なんだかんだ一室に集まっていた。不気味なほどに、仲が良い。
「でも、明日本番だと思うと感慨深くない? 二週間ぐらいはずっと、今日のために練習を重ねてきたわけじゃん?」
「せやな、一曲のみとは言え踊りながら歌うんやもんな。こんなに疲れるとは、正直思いもせんかったで」
その流れで、今日までの練習の日々が蘇ったのか、思い出を振り返るターンに入る。
確かにきつい日々ではあった。
ダンスレッスン場で、筋肉痛になるまで一つ一つの動きを確認したり、カラオケで喉が枯れる寸前までよりよく歌えるよう突き詰めたり、体育館で楽曲の一連の振り付けを流しながら全員で合わせてみたり。
体育館で動けなくなったのなんて、本当に中学生ぶりだった。
歌うことと踊ること、これらを両立させるのは生まれてこの方鍛えられ続けたスタミナを、容易に削り切るだけの威力を持ってる。
まあそれは、動きに無駄が多かったから起きた被害なだけで、その動きに慣れてくれば、苦もなく踊り通せるようにはなったけど。
その上で、ダンスの中の、元々の振り付けでは想定していたであろう動きが身体構造上不可能なためやむなく省いているであろう部分を、通しの中で見つけ。
更に、その動きを取り入れた修正案を、踊り終わるまでに練り上げるという荒技も身につけれるようになったし。
(例えばステップで言うと、スリーテンポの『clockshoes』の動きの中に、シックステンポの『beginning』の動きを織り交ぜたり)
(そうすることで、機械的な演出をすることができる。俗に言う、ロボットダンスの動きに近い)
これは、踊っている様子を360度撮影できる高機能のカメラで撮影して、それを後から確認する……みたいなことができない私たちにとって、必要な技能だった。
トップアイドルを目指すと言うのも、一苦労である。
「……お? そろそろ、良い時間やな。さあ、お楽しみ。よい子の皆んな、日課のアレの時間やで」
「今日もやるか」
「むー、楽しくなんてないし」
「ここで? 動画を再生できる媒体なんてないけど」
その織部さんの言葉に、三者三様の反応が返る。私はそれよりも、よい子の皆んなって言葉の方に引っかかるんだけど。
「ちゃんと用意してるに決まってるやろ」
そう言うと、鞄の中からスルスルとレジャーシートのようなものを取り出す。あくまでもようなものなので、その材質は全く違うけど。
どこかツルツルとしていて、触ると手の先が滑るような感覚を覚える。
それを広げて、壁にかけるとあら不思議。簡易的なスクリーンが完成してしまう。
それに加えて、手のひらサイズのプロジェクター、映す映像を流すパソコンと次々に取り出していく織部さん。何を置いても、手際が良い。
更に言えば、袋に入ったタイプのポップコーン(塩キャラメル味)に、1,5Lの容器の炭酸の入った清涼飲料水まで用意しているんだからやり過ぎだと思う。
いつの間に、備え付けの冷蔵庫に入れていたんだか。
「今日見るのは、『AND MORE』の伝説的な武道館ライブの映像。ライブパフォーマンスを勉強するなら、これは外せへんからな」
「そんなものを、なんで最終日に持ってくるかな」
「そんなん、良いもんを見て明日のモチベーションも一緒に上げるために決まってんやろ。見てみーつつじーを、もう夢中になっとるで」
織部さんも、中々にセンスが良い。良いようにされているようで嫌だけど、こんなのを持ってこられたらテンションが上がってしまうのも仕方ない。
何より良いのは、このセンターポジションで歌っている本郷さんのこのファンサ。とても、この一週間後に舞台役者との熱愛報道が流れるとは夢にも思わせないほど、ファンに対してラブコールを送っている。
色々な意味で、伝説的なライブだった。
◇◇◇
そしてその翌日、つまり『スプリングフェスタ』当日の日。
私はそんな大事な日に、感じたことのない吐き気から目覚めることになる……え?
顔を洗おうと洗面所に行こうとしたとき、危うくバランスを崩しかけたときは流石に夢かと思った。
私もそりゃ、人並みに体調を崩したことはある。けれど、今まで大事な試合のその日に……なんてことは一度もない。
むしろ、こういう体調を調整することに関しては、慣れていたはずなのに。
「……んー? 大丈夫ー……?」
「な、なんでもないです。はい」
起こしてしまったのか、寝ぼけ眼を擦ってそう心配してくる同室だった如月さんに、申し訳なさから思わず嘘をついてしまう。
大丈夫だ、これくらいならパフォーマンスには支障がないはず。
ぼるべるのリーダーとして、本番当日に体調不良でダウンなんてするわけにはいかない。
ふらふらとした足取りをなんとか踏ん張り、なけなしの空元気を見せてみる。
「嘘じゃん、大嘘じゃん」
どうやら、私に演技の才能はなかったらしい。その事実に、ぱっちりと目が覚めてしまったのか、如月さんはわかりやすく顔を青褪めさせる。
「ね、桜ちゃん。寝てた方が良いよー。今日のなんとかフェスタは、私たちの方でなんとかするから」
「いや、これくらい大丈夫……です。いや、大丈夫です。はい。ほんのちょっと、頭がぼーっとしているだけなので」
「それって、熱があるんじゃない? 確かめよう」
確かめるも何も、体温計もないのにどうやって……と困惑していると、如月さんは躊躇わず髪をかきあげ、おでこを丸出しにしてくる。
あー……。なんとも、原始的な方法で。
もはや、こっちとしても避けることは出来ないので、なんとか熱がないことを願いつつ、そのおでこに自分のおでこをピタリとくっつけた。
瞬間ーー、
「「熱っ!!??」」
二人の叫び声が同時に重なる。
私たちはただただ青褪めた顔で、お互いを見つめ続けるのだった。
◇
「どしたん、二人とも。なんや元気なさそうやけど」
「いやー……柄にもなく緊張しちゃって」
「うんうん。緊張緊張」
「いや、つつじーはともかく、如月はんはそんな玉やないやろ」
織部さんのその言及に、二人して口裏を合わせて誤魔化して見せる。
体調が悪いことは、お互い隠しておこうと決めた。
私としては病院に行くことを強く勧めたかったんだけどそれは私も同じことで、私も如月さんも頑なに否定した以上、やむなしである。
……多分、倒れるなら私が先なので、私がダウンしたらちゃんと皆んなに誤魔化さず伝えることを如月さんに約束させた。如月さんは、泣きそうな顔になってたけど。
「まあ、なんでもええか。ほな、会場に向かうで。紗雪はんも、向こうで待ってるらしいからな」
「あの会場が今日は一杯になるんしょ? いやー、信じられなくない?」
「お、ギャル言葉も流暢になったもんやな。…….、そのほとんどが『金糸雀』のファンなんやろうけどな。あの程度のキャパじゃ、全然足りへんやろ」
そう言わせてみせる、『金糸雀』の凄さだよ。流石、勢いで言えば、間違いなくトップ20に入ると囁かれているだけはある。
それでもトップ10かと言われると角が立ってしまう、アイドル業界の層の厚さ。ひいては異常さ。今の日本には、ドームを満員にできるアーティストがゴロゴロといる。
「移動は歩き?」
「いや、ホテル前にジャンボタクシーが停まっとる。料金は先に紗雪はんが払ってくれとるで」
「助かるー! ドーム近くのホテルとはいえ案外距離があるからさー。昨日はマジくたくただったもんね」
その言葉に私も内心ホッとした。正直、今の体調でたどり着けるかは微妙なところだったし。
そして、その話が織部さんだけに通されていることに関しては、もう何も言わない。織部さんの有能さは、身にしみてわかっているし。
「あー、あそこのソフトクリーム美味しそー。伊達巻きソフトだって、珍妙すぎん?」
「なんやねん、自分。さっき朝食とったばかりやろ」
「甘いものは別腹だし。ねー、らぎらぎ」
「そうだねー」
ホテルの外に出て、いきなりそんなことを言い出す新橋さん。……なんか、今日はやけにテンションが高い。
いつもなら、如月さんや唐沢さんと話すときは、おっかなびっくりって感じなのに、今は如月さんに寄り添って腕まで組んでみせてる。
なんとなくだけど、絶好調のときの新橋さんを思わせる挙動だった。
それから、タクシーで移動すること数分。
ライブ会場にたどり着くと、会場の1時間前だというのに既に大勢の人が待機列で待機していて、それを横目に関係者入り口からドームの中へと入る。
ドームの中の静謐な空気は昨日までと変わらない。けれど今は、その中に耐えようもない熱が籠っているように思えてくる。
待機列に並んだ観客たちの並々ならぬ情熱が、ここまで届いて来ているように感じたくらいだ。
「おはようございます。皆さん、遅かったですね」
「あ、勘解由小路さん」
「すんません。このちびっ子が、中々起きんくて」
「……はっ倒すよ」
「お喋りは後にしましょう。他の出演者の方々は既に到着されているので」
なんか……勘解由小路さんの態度がいつもより冷たい、というより固い。面持ちは普段通りに思えるけど、その実かなり緊張しているみたいで。
今日のイベントを、私たちと同様かそれ以上に重く受け止めているらしいことが見えてくる。
……勘解由小路さんだけにはバレないようにしないと。
「こちらが控え室です」
「……わー、凄い人の数」
「……あんまり、叫んだらあかん空気みたいやな」
勘解由小路さんに案内されるまま、控え室に着くと、そこには部屋中ピリピリとした空気が漂っていて。
出演者全員を同じ部屋に押し込んでいるせいか重苦しい空気に、思わず窒息してしまいそうだった。
「順番が来たら控え室を出てステージの方に、そして出番が終わるとまた控え室の方に戻ってくる流れになるので、今日はほぼここにいるということになります。……そこのところを踏まえて、よろしくお願いしますね」
「なんで最後にそんな嫌なことを言うんですか」
「今から気が滅入るんだけど……」
そんな私たちの嘆きも聞こえないフリをして、勘解由小路さんは出て行ってしまう。
残された私たちは寄る辺ない姿で、味方がいない空間の中、身を寄せ合っていた。
「取り敢えず目立たんようにしような。唐沢はん」
「なんで名指しやねん」
「こん中で、いっちゃん喧嘩を売りそうやから。あかんでー、百害あって一利なしやからな」
「私を輩かなんかかと、思っとるんか」
そんなことせーへんわ、と言いながら徐にココアシガレットを咥える唐沢さん。
まあ正直、一番輩に見えることには違いない。今の格好も、タバコを咥えてるようにしか見えないし。
その上で、変な絡まれ方をしたら多分、唐沢さんならやり返してしまう。
だからそういう威圧的な態度を崩さないでくれていることは非常に助かった。そんな唐沢さんに、好き好んで絡みにくる人なんていないだろうし。
なんて安心してたのも束の間、そんな唐沢さん……いや、唐沢さんを含む私たちにわざわざ声をかけてくる一団が。
「あの、ぼるべるの皆さんですよね?」
「はい?」
「その、噂になってたんです。最近話題のぼるべるっていうグループが、今日の音楽ライブに出演するって。で、あまり見かけたことのない人たちがいたのでもしかしたらと思ったんですが……違いましたか?」
「………ですです! 私たちがぼるべるです。それで、わざわざ声をかけてくださったんですかー? とっても嬉しいです!」
「いえいえこちらこそ! お会いできて光栄です!」
その集団のリーダーっぽい、サイドテールが特徴的な子と固い握手を交わす。
他の出演者たちとは違ってその人たちは、混じり気のない好意の視線を向けて来ていた。ライフポイントが回復するようである。
「あの、私たち『エイトビート!』ってグループなんですけど、実はぼるべるさん同様、結成してから日が浅くて……そんな自分たちがこんな素敵な催しに出て良いのか不安だったんですけど、失礼ながら親近感みたいなものが湧いて勝手に安心してたんです。新参者は私だけじゃないんだって……」
その気持ちはよくわかる。
顧問のコネとかを使って合同合宿に参加させてもらうとき、他の合宿してるチームがやけに強いところとかで、自分たちなんかがこんな合宿に参加して良いんですか……? ってなるやつね。
「でも、今日会ってそれが勘違いだと思い知らされました。ぼるべるさんは私たちなんかと違って、オーラがある。比べるのも烏滸がましかったです」
「いえ、そんなことは」
「なので今日は、ぼるべるさんのパフォーマンスを見て勉強させてもらいます。お手柔らかによろしくお願いします」
その言葉に合わせて、他のメンバーも頭を下げる。正直、そんなことをされても困るだけだった。
「それでは先に失礼しますね……行くよ」
「「「「はい!」」」」
そう言うと、全員揃ってゾロゾロと控え室を出ていく『エイトビート』の皆さん。中々に統率が取れていた。どこか軍隊っぽい。
というか、どこに行ったんだろ控え室を出て。連れ立ってトイレにでも行ったのかな。




