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インフレ……かな。

「ちょっと! もう時間は終わりのはずでしょ!」

「すみません、でももう少しここの振り付けの確認がしたくて」

「何言ってんの! ルールは守りなさいよ!」


その実力行使に、無理やりに練習を辞めさせられてしまう。

場所は市内にある、某ダンスレッスン場。体育館を借りてるばかりでは味気ないし、何より自分の動きを直ぐに確認できないというデメリットもある。


ということで、無い袖を振ってたまにこういう場所を利用してたりするんだけど……どうやら今日は外れを引いてしまったらしい。


練習を止められた唐沢さんが、そう怒り立つ少女を鬱陶しげな目で眺めていた。



ここのルール上、ある団体が借りたその次の時間帯に他の団体が入っていたとき、レッスン場を開けるまでに10分ぐらいの猶予を担保されている。

これは練習時間を十全に使えるようにという配慮で、大体その時間で帰り支度を済ませたりするのだけど。


その時間を使って、練習時間の延長もできたりする。まあ、基本的にルール違反なんだけど……。



それでもこのレッスン場を提供しているオーナーさんはある程度の理解があるのか、そういう違反行為をある程度黙認していたりする。


勿論、レッスン場内で飲食をするなど度が過ぎた違反行為は、口頭で注意したり、出禁という処置をとることもあるらしいんだけどね。


つまり、この行為は公認のグレーゾーンってところ。


これは私たちに限ったことじゃないし、どこの利用者も一度はやったことがある行為。


むしろ、それを責め立てる行為こそ、ある種のルール違反というかなんというか……。とにかく、まだその少女たちの借りれる時間帯で無い以上、そちらさんにそこまで言われる筋合いはなかった。


なんなら、この合間の時間に割り込んでくることを、こっちが責め立ててもいいくらい。


そこを抑えて、この中で一番丸く収められる来海ちゃんの冷静な対応で応えたのに、より一層怒りに火を注いでしまったようで。

ならここは私の出番かと来海ちゃんと頷き合い、ずずいっと前に出た。


「すみません。あのー、私たち何かしました?」

「してるじゃない! 時間超過!」

「今、目鯨を立ててる原因はそこじゃないですよね。八つ当たりなら、やめてもらえると助かるんですが」

「八つ当たりって……! あんたねー!」

「ちょ、ちょっと! 何してんのさ!」


喧嘩腰な相手に対して、こっちも正面切ってやり合う構えを見せたところ、あちらさんのお仲間の方々がやってきた。


どうやらこれは、目の前の勝気な吊り目の少女の暴走のようで、他の面々はペコペコとこちらに頭を下げてくる。

その仲間の態度に吊り目の少女は不満気を崩さなかったけれど、遅れてやってきたもう一人。


他の人たちより少し大人びた印象を漂わせ、ウェーブのかかった髪をたなびかせる女性の方が入ってきた途端、その表情も一変する。


まるで捨てられた子犬みたいなよるべなき姿で、ひどく怯えた様子を見せていた。



「お、怒ってる」

「はい?」


それは呟きに近いか細い言葉ではあったものの、内容が内容だけに聞き逃せるはずもなく、思わず聞き返してしまう。

……この人の、どこが怒っているというのか。


その柔和な笑みを湛えながら、ふわふわとした足取りで近づくその人。どこか気品の感じれる足取りで、凡そ、ダンスをするような人間には見えなかった。激しい動きが似合いそうにない。


それに合わせて逃げようとする吊り目の人は、お仲間の人に退路を塞がれる。なんやかんやわちゃわちちゃしていたものの、そっちに気を取られ後ろを向いていたのが運の尽き。


その上品な女性に背後から握り拳を、頭部の両方の側面に当てられて、ぐりぐりぐりっと……。




私たちは何を見せられてるんだろ。

妙に耳に残る可愛らしい悲鳴を聞きながら、そんな虚無感を抱いてしまう。


そしてたっぷり5分後。折檻を終了したその人は、腰砕けになる吊り目の女性も気にせずに、こちらに向き直ってきた。


「先程はうちの比嘉がすみません……。急に走り出したと思ったら、こんなことをしでかして。後で、比嘉にも謝らせますので、今はこれくらいしか……」


そこですっと取り出された、数枚の一万円札。私たちは揃って、ギョッとしてしまう。


「い、いえ! 大丈夫です! 気にしてないので!」

「あら……、そうですよね。こんな端金、貰っても困りますよね」

「いえ! そうではなく!」


なんなのこの人!? こんなことで数万円をポンと……しかも、端金って。金銭感覚でも狂ってるの!?


他のメンバーの皆さんも、誰も止めようとはしない。ただ、こっちに申し訳なさそうな視線を送ってくる。

こういうのは、内々で処理して欲しいんだけどな!



「それでは、こちらの小切手にお好きな数字を」

「あの、もう時間なんで失礼しますね」

「あ、ちょっと待ってくださいませんか?」

「あ、あの。お礼とかは本当に良いので」

「ああ、そういうことではなく。ただ、比嘉は普段はこんな子じゃないことを伝えたくて」

「やっぱり私たち、何か恨みを?」

「いえ、恨みというより逆恨みなんですが。どうやら比嘉は、同じアイドルとしてあなた方に嫉妬しているらしくて……いえ、未だ鳴かず飛ばずの私たちが、全面的に悪いんですが」


相手も同業者だという事実に、別段驚くことはない。


今の時代、特に神奈川みたいな大都会ではアイドルの宝庫ってくらい、アイドルグループが埋もれている。


だからこういうダンスレッスン場はガッポガッポと儲けれることになるわけで。

ショピングモールなんかは、ダンスレッスン場を内包していない方が珍しいくらいなんだから。


まあ、そういう施設を利用するのは大体中高生くらいなんだけど。普通は、事務所にそういう施設も併設されてるものだし。



ちなみに、『Starlight』は設立が古いだけあってそういう設備は最初から無かったらしい。

元々の事務所の方には、鏡だけが一面張りされた簡素なものしか無かったみたいだし、名前を変え事務所の位置を移転した際には、そういうものさえ作らないようにしたのだと。


なんでも、昔から懇意にしていた撮影スタジオがあって、もっぱらそこのレッスン場を利用させてもらっていたのだとか。

その仲も、一連の転落騒動で立ち消えたらしいけど。


図らずも、今の私たちはその負債を背負っている立場になる。私たちは至って、レアケースだった。



「そういう意味では、私たちもレアケースなのかもしれませんね」

「ほーん……そちらさんも、なんか色々と事情があるみたいやな。それじゃ、もうそろそろ10分経ちますんで、私たちはこれで失礼しますわ」


織部さんが話をそう無理矢理に切り上げて、そそくさと退店するように促してくる。


結局、振り付けの再確認をすることはできなかった。




「あれ。遠波んところの、アイドルグループやな」

「え……遠波って、あの?」

「……どの?」


そんな話を織部さんが切り出したのは、レンタルのレッスン場から出て暫く歩いた頃。さっきから黙ってたけど、ずっとそのことを考えていたらしい。


遠波といえば、芸能プロダクション『クラップ』の通称。一応言っておくと、そこの社長は遠波なんて名前じゃない。


じゃあなんでそんなヘンテコな通称が付いたかというと、一時期そこの会社が狂ったように出していた広告で起用されていたキャッチコピー、『to national mind』という言葉を面白がって、ネットの人たちが遠波、遠波と呼び始めた……という深くもない理由がある。


『クラップ』と言えば、異常なまでの所属アイドル格差が有名で、そういう内部からの告発で度々問題になっている色々と問題のある会社だ。


そこが運営しているアイドルの専門学校も、何かと黒い噂があって、搾取だなんだと騒がれている。


まあ、そんな状況でも会社を運営し続けられるんだから、中々に地力があるということで。

むしろ、そういう悪評で騒がれる分、『Starlight』よりはマシということになってしまうけど。



「あのジャンバーのロゴ、どっかで見たことがあると思ったんやけど……思い出すのに時間がかかったわ」

「『クラップ』ってデカい事務所のはず……。わざわざお金を払ってまで、レッスン場に来なくても」

「それが格差なんやろな。ほんま、胸糞悪い会社や」


よく、そんなところに人が集まるものだ。


ドス黒い内情をその目で見てしまったせいか、そんなわかりきった疑問を呈してしまう。

下地がある分、アイドルとして成功するなら近道には違いないという純然たる事実がある。


「なんの話してんのか、さっぱりなんだけど」

「仮想敵の一人っちゅう話や。同じ関東圏内に本拠地を構えている以上、関東制覇を目論むなら避けては通れんからな」


関東制覇、また大きく出ている。『クラップ』に所属している並み居るアイドル以外にも、『マーブル』や『chronicle』まで、障害となってしまうのだから。


織部さんの掲げる目標はあまりにも眩しくて、自分の小ささをより、引き立てさせていた。


◇◇◇


「………ど、どうですか?」

「うーん、やっぱりよく聞こえすぎてるかも。カラオケのマイクはカラオケ用でしかないし、限界は感じるかな?」

「新橋ちゃん、やっぱり歌上手いねー。聞き入っちゃった」

「あの、らぎらぎ。マジやめて……」


新橋さんはそうゲンナリとした顔で言っているけど、その表示された数字は嘘はつかない。


厳しめのAIで採点された中で、90点付近を安定して叩き出せるなら、十分歌上手と言えるはずだ。


「いや、それを100点近いスコアの如月さんに言われたら、普通に傷つきません?」


……言っていることは、十二分に理解できる。そして、そんな非難の視線を受けてなお、如月さんはちゅーちゅーとドリンクを吸っていて……つまり、いつも通りのマイペースだった。


暗い照明が、私たち3人をぼんやりと照らし出す。狭い室内には、ありきたりなアイドルグループの独占インタビューが垂れ流しになっていた。


ここはまたまた市内某所のとあるカラオケ。一分一秒を無駄にしないためにも、私たち6人は全員でここに来ていた。



別に息抜きに来ているわけでもなく。


織部さんの推測が正しかったのか、その『スプリングフェスタ』で、私たちの歌う曲は定番のアイドルソングに決まって。それなら、飽きるほど練習できるカラオケで……という流れが根底にある。


勿論、本当に確かめたいなら。レコーディングスタジオを利用して、そういう設備の整った施設で、自分の歌声を確認することが一番なんだろうけど、そんな余裕が私たちにあるわけもなく。

今どき、レコーディングスタジオって言ったら、需要に供給が追いついていないものの代表なため、そう易々と利用することなんてできるはずもない。


その分カラオケなら、一人5000円ちょっととリーズナブルなお値段で利用できるし、こうして3人ずつで分ければタイパ的にも非常によくなる。

カラオケに頼ってしまうのも、仕方のないことだね。


「ちょっと、トイレ行ってくるね」

「え、なら私もーー、」

「だーめ、もう歌始まっちゃってるから。ほらほら、座って座って。ワンマンコンサートだよー」


マイクを手にした如月さんに、片手で軽く抑えられる新橋さんを尻目に、その部屋をあとにする。

トイレってどこだっけ?




「ふー、危ない危ない……ん」


カラオケの通路でギリギリ保てた尊厳に安堵しているところ、聞こえてきた歌声に思わず立ち止まってしまう。


店内に流れているアイドルソングなんかじゃない。もっと直接的で、ハートに響くような……。


見れば、近くの一室から漏れ出ている歌声のようで。

見れば、カラオケのドアの仕組みがよくわかっていなかったのか、ドアストッパーが降りたまま防音ドアと壁の間に挟まって、少しの隙間を生み出していた。


あるあるではあるものの、熱唱しているのか中の人物はそれに気づいている様子もなく。

一人カラオケを、思うがまま、心の底まで堪能しているようだった。


そう、つまり磨りガラスから中の様子を覗いてしまったわけで。

マナー違反とは知りつつも、ついついそちらに引き寄せられるような、魔性な歌声をしている。


中で歌っていたのは、長い金髪が綺麗な長身の女性。情熱的な身振り手振りを加えながら、難しいと言われるメジャーソングを、本家以上の迫力で歌いきっている。


思わず拍手してしまいそうな、歌唱力だった。


得点は文句なしの100点。そのスコアに一切目もくれようとせず、本人は次の曲を選ぼうとしている。



その前に私は、そのドアを開けてみせた。


「……あ、すいません。部屋間違えました」

「!!??」


その人はびっくりしてたけど、その去り際にさりげなくストッパーを上げて、ドアをきちんと閉める。


世の中には、凄い人もいるもんだな。

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